第3話 真田豹、ブタに先を越される
清い。冷たい。麗しい。
そして、目が覚める。
「真田さん、水お待たせしましたっ」
「これで卵もスッキリですっ‼」
「バカっ、びちょぬれじゃねえかっ‼」
どうやら真田の取り巻き、ヤマトとタケルに、買ったばかりと思われる冷えたミネラルウォーターを頭からかけられたらしい。
「その水は傷口を冷やすための……っ」
うん。明らかに冷えた。
「真田さんっ‼ 色気倍増ですっ」
「さすがですっ‼ 水も滴るイイ男っ!」
「え。……そう?」
なんか。真田から水が落ちてくる。
それがすごく……
「……っ」
美味しかった。
水道水とは違う。濁りなき真水。適度なミネラル。喉ごし爽やか。
ビバ、ミネラルウォーター。
顔を滴り落ちてきたミネラルウォーターの雫をひと舐めすると、
「な、……」
なぜか真田がひるんでいる。
「……なんか。クサムラがエロい」
「濡れた髪。潤んだ瞳。紅潮した頬」
「あなた、もっと」
「うわぁぁ、お前ら、何をっ⁉」
「真田さん、据え膳食わぬは男の恥ってやつですよ」
「早くっ、口移しで水を」
ヤマトとタケルがやいやい真田をけしかけて、抜かりなくミネラルウォーターのペットボトルを手渡す。
そのペットボトルが100ボルトの輝きを放つ。
……いいな、あれ。欲しい。
思わず真田を(厳密には真田の手元のミネラルウォーターを)ガン見すると、
「く、くく、くっ⁉ バカお前っ‼ 手も繋いでないのに、く、く、口移しとかっ‼」
真田が吠えた。
「真田さん。……無駄に清い」
「あのピュアさはなんだろう? 谷口と付き合ってるんじゃないの?」
真田から(厳密には真田の手元のミネラルウォーターから)目が離せない。
どうしても気になる。あれ、くれないかな。ダメかな。欲しいな。
こんなだけど、実は。
実は、今日は……
草村アカリ、十六歳の誕生日なのである。
なくなり続ける上履きを買うお金がないから職員スリッパを借りて過ごし、
バイト先でもらったチラシの裏紙をノート代わりにするも捨てられ続け、
なけなしのパンの耳を詰めたお弁当は無残にばらまかれ、
卵は飛んでくるわ、蹴りは飛んでくるわ、金持ちバカに水をまかれるわ……
散々なのだけど。だけれども。
今日は草村アカリが十六年間無事に生き延びた祝うべき日なのである。
……美味しい。
滴り落ちてくる雫を無意識に舐めてしまう。と、……
「さっ、真田さん、おねだりですよ」
「口移しどころか、舌出しですよっ‼」
「……え」
真田豹と目が合った。
「……おねがい」
声になっていたかどうかわからない。そんな意地汚い望み、口に出すべきではない。
大体、真田豹がアカリのお願いなんて聞いてくれるはずもない。のに。
真田はアカリから目を逸らすと、手にしていたペットボトルを開け、勢いよく水を口に含んだ。
「あ……」
見せびらかしただけで飲んじゃったよ―――っ⁉
真田から目を離せずに、悲壮感に打ちのめされたまま見つめていると、真田が妙に艶めかしい仕草でアカリの髪に指を差し入れて、その無駄に整った顔を傾けたまま近づけた。
目の前に、真田の顔がある。
高く通った鼻筋が、長いまつ毛が、触れてしまいそうなほど近くに。
「さな……」
急に動悸がしてきた。緊張と、困惑と、……予感。
「……
なんかいろいろ堪えられなくて、思わず目をつむってしまった直後、真田が吹いた。盛大に。
再び顔面からミネラルウォーターが垂れ落ちる。
……勿体ない。
「痛えよ、何だよ」
顔をしかめて臀部あたりに手をやった真田は、
「痛って‼」
指先に何かぶら下げて手を振り回している。
「大丈夫ですか、真田さん⁉」
「惜しかった‼ あと一ミリでしたねっ⁉」
真田の異変に取り巻きヤマトとタケルが駆け寄ってきた。
「ピグっ」
真田の指に勇ましく噛みついていたものの、振り落とされて、アカリの胸元に着地したのは……
「なんだ、これ」
「……ネズミ? ハムスター?」
頭を寄せ集めて、真田と取り巻きがアカリの胸を凝視してくる。
「ちょっ、……っ!」
慌てて起き上がるとスカートの上に何か小さな塊が転がり落ちた。
「……ミニブタじゃん。だいぶ小せぇけど」
真田がハムスターサイズの薄桃色のミニブタを摘み上げて睨み合う。
「おいこら、チビブタ。俺に噛みつくなんて百万年早えんだよ」
「……ピグっ」
ミニブタがプイっと真田から顔を逸らす。
「なんだと、こら。可愛くないぞ、おま、……」
「……可愛い」
「は?」
ピンクと黒の艶やかな毛並み。つぶらな瞳。良く動く平たい鼻。
ピンと立った耳。短い足。光沢のある爪。千切れそうに振り回される尻尾。
「可愛い~~~~~っっ」
思わず声を上げると、ピンクのミニブタは真田の指から免れてアカリの手の上に飛び乗ってきた。
身軽。柔らか。むにむに。……可愛い。可愛すぎる。
テンションが上がって撫で繰り回していたら、
ちゅ。
ミニブタの柔らかな鼻面を唇に感じた。
……喉、乾いてたのかな? と、アカリは理解したのだが。
「ああ―――――っっ‼」
真田がこの世の終わりのような形相で、こちらを指さしながら絶叫した。
「あーあ、真田さんがぐずぐずしてるから」
「ブタに先越されるとか」
やれやれ風味満載でヤマトとタケルが口々に呟き、
「お前っ‼ この俺をないがしろにするとか、いい度胸だなっ‼」
真田がアカリの手のひらから、ミニブタを絞め殺しそうな勢いで奪い取った。
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