番外編
25.とある魔法師のぼやき① リンゼイ
リンゼイは、魔法師でありこの国の魔法師団長の息子である。
これまでに優秀な魔法師を何度も輩出しているフェルザー伯爵家の長男で、リンゼイ自身魔力をかなり多く持って生まれ、魔法の扱いにも長け、父の後を継ぎ次代の魔法師団長になるだろうと将来を嘱望されている。
王立学園でも、魔法において自分の右に立つものなどいないと自負していた。ただ、それに奢らず、ひたすら高みを目指して、リンゼイは日々粛々と魔法研究や魔道具の開発に没頭していた。
そんなある日、入学式から少し経った放課後のことだ。
学園の購買に自作の魔道具を卸していたリンゼイに、突如魅了魔法が放たれたのは。
何の詠唱もない、予備動作もない、完全に不意打ちのそれは、生まれつき精神抵抗値が高いリンゼイがまとわせている魔法障壁すらもぶち抜いた。
くらりと、心地の良い眩暈がリンゼイを襲う。えもいわれぬ恍惚。甘やかな誘惑に捕らわれそうになりながらも、リンゼイはたまたま手にしていた羽ペンを、ためらいなく己の腕に突き刺した。
「ぐ……」
強い痛みで、ぐらついていた意識がリンゼイの元にはっきりと戻った。
周囲をざっと見回せば、男子生徒に囲まれた一人の女生徒が、リンゼイをうっとりと見つめている。彼女だ、元凶は。ラズベリーのような瞳から、キラキラと魅了魔法が無造作に発せられている。
テロか。リンゼイは警戒度をマックスにするものの、少女は酷く無防備で、魔法の、禁呪の使用を隠そうともしていない。意図的に魔法を操っているようには、到底見られなかった。
痛みのおかげで、かろうじて魔法に絡め取られないでいられたが、瞳を合わせては危うい。囚われてしまう。
リンゼイは、魔道具を整理しているふりをして物陰に身を隠しつつ、魔法障壁を最大限に強めた。
そうこうしているうちに、姿が見えなくなったリンゼイに興味をなくしたのか、少女は話しかけてくる男子生徒たちに連れられて、どこかへ行ってしまった。
リンゼイは思わずその場にしゃがみこみ、安堵のため息を吐いた。
「あ、あっぶな……。禁呪をモロに食らうなんて嘘だろ……てか、一体何だったんだあれは……」
リンゼイは、血を流している傷口を眺めた。容赦なく刺したので、ずきずきとかなり痛むが、これがリンゼイの明暗を分けた。一瞬の判断で、自らを傷つけていなかったらと思うとぞっとする。それほどまでに、あの魅了魔法は強力だったのだ。
痛みを堪えつつ羽ペンを抜いて、すぐさま水魔法で治癒をかける。みるみる間に傷口は塞がった。穴の開いた制服は戻らなかったが、この程度で済んでよかったと思うべきか。
しかし、封印指定されている魅了魔法なんぞを垂れ流して、彼女の目的は何なのか。災厄を巻き散らしているのと同義だ。周辺にいた男どもは、彼女にまんまと魅了されてしまったのだろう。
魅了魔法の発動自体、よほど扱いに長けていないと捉えるのは難しい。自分が魔法にかかったと自覚する前に、魅了に絡め取られてしまうからだ。気が付く暇すらなく、術者の掌の上。背後からいつの間にか忍び寄る恐ろしさにも似た、魅了の本質。
そこまで考えて、リンゼイははっと面を上げた。
――この魅了は、果たして、いつから始まっていたのか?
「……っ! 殿下……!」
この学園には、現在王太子クリストファーが通っている。もし、彼女の目的が彼であるのだとしたら? これが万が一他国からの介入であるのならば、真っ先に狙われるのはクリストファーだろう。先ほどの集団にクリストファーの顔はなかったが、それが単にたまたまなだけで、すでに彼女の虜となっているのだとしたら?
最悪を頭に描いて、ぞっと背筋に震えが走る。リンゼイは震える膝を叩いて立ち上がり、購買に鍵をかけ、慌てて生徒会室へと向けて駆けだした。
クリストファーは普段、業務を行うために、放課後は生徒会メンバーと生徒会室に集まっていたはずだ。
いてくれ。祈るような気持ちで、リンゼイは、ばたばたと廊下を全力疾走で走る。普段さほど身体を鍛えていないのが、裏目に出た。息が苦しい。もっとちゃんと鍛えないと駄目だと変な反省をしながら、リンゼイはようやく辿り着いた生徒会室の扉を、ノックをするのも忘れ勢い任せに開いた。何やら、魔法の引っかかりがあった気がしたが、とりあえず無視だ。
「クリストファー殿下はいらっしゃいますか!」
荒げた呼吸のままに、リンゼイは室内へと押し入る。マナーも何もあったものじゃないが、緊急事態だ。
すると、膝に手をついてはあはあと呼吸を整えるリンゼイを、きょとんと見やる視線が3つ。
大量の書類を手にした王太子側近のレイルとその従者のマクベス、そして目を丸くした後、いやに愉しげに瞳を細めたクリストファーだ。
「やあ、リンゼイ。どうやら、君は無事か」
「はぁ……は……殿下も、ご無事のよう、で……?」
「ははっ、君もアレの洗礼を浴びたクチか。まあ、かけたまえ。リンゼイ、君が来てくれて助かった。今、生徒会はてんやわんやしていてね。猫の手も借りたいくらいなんだよ」
「はぁ……?」
「ちょうどいい、我々も一旦休憩しようか」
「かしこまりました」
クリストファーの一声で休憩に入ることにしたらしく、リンゼイはマクベスに促されて一角に着席した。
レイルはうずたかく積み上がった書類をどけて卓上にスペースを作り、マクベスは見事な手際で茶を淹れていく。ふわりと、紅茶の良い匂いが生徒会室に充満していく。
何だろう。毒気が抜かれる。先ほどまでの緊迫感は、一体どこにいったのか。
「あ……結界……。これ、は……悪意のある者が、入室できないよう……?」
「うん、気づいたね。さすが、我が校随一の魔力を持つ者だ」
マクベスが置いたティーカップから紅茶を一口飲んで、クリストファーはにっこりと美貌に笑みを乗せた。
「ようこそ、魅了魔法対策本部学園支部へ。歓迎するよ、リンゼイ」
「みりょうまほうたいさくほんぶがくえんしぶ」
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