24.とある侍女の独り言




 たとえ、運命というものがあったとしても、それはきっと、無数に連なる糸の中から、これと手繰り寄せ、紡いだ結果だ。




 ジャスミン・セラ男爵令嬢が、前世の記憶を取り戻したのは6歳の頃。年の離れた兄二人と庭で遊んでもらっている最中、勢いあまって転んで頭を打ちつけた瞬間のことだった。

 よりにもよって、異世界転生。

 できたたんこぶの痛みに泣きわめきながらも、前世の大人の人格が強く出てしまったジャスミンは、本当に異世界転生なんてものがあるんだなあと、冷静に自分の状況を把握した。

 脳裏に次々と押し寄せてくる情報の渦に巻き込まれ、熱に倒れたのも今となっては良い思い出だ。あと、騎士の家系の男どもは脳筋が過ぎる、とその時ジャスミンは学んだ。


 この世界は、ジャスミンの知る乙女ゲームの世界に良く似ていた。

 だが、あくまでも良く似ているというだけで、決して同一ではない。

 そもそも舞台となる国の名前が異なるし、登場人物たちの家名や身分も微妙に違う。

 そして、自分は一介のモブだ。名前すら聞いたことがない。ジャスミンは、はてと首を傾げた。

 そもそもジャスミンは、自分が何らかの物語の中に転生したのではないかという現状に、少々懐疑的だった。

 だって、自分は今この瞬間、この世界に自分の足で立って生きている。

 もし、何らかの流れの中で役割が与えられ、配役をこなすために存在するのだとしたら、そこにジャスミンの意思はなく、単なる神の駒でしかない。たとえ、モブだとしても。

 ジャスミンは、それが凄く嫌で嫌でたまらなかった。前世の記憶が戻り、少しばかり世界を俯瞰する視点を持ってしまったからだろうか。

 なので、ここはあくまでも、酷似してはいても、前世のゲームの世界とは全く別なのだという意識を強く持って日々を過ごしていた。



 けれども、ゲームの悪役令嬢と同じ名前を耳にして、そわそわしてしまうことは避けられなかった。

 ジャスミンの知る前世の乙女ゲームの世界には、いわゆる悪役令嬢に位置する存在が二人いる。

 一人目は、公爵令嬢のミルフィオーレ・ヴァ―ミル。こちらは、王太子クリストファーの婚約者で、オーソドックスな悪役令嬢。権力を持ち、高貴で高飛車な女の子。幼い頃からクリストファーを慕うが故に、ヒロインへの嫌がらせに及んでしまう物理攻撃タイプだ。

 二人目は、伯爵令嬢のステラリア・ガルシア。こちらは宰相子息レイルの婚約者で、悪役令嬢と呼ぶには少々我が弱い。幼馴染で婚約を結んだ二人だが、レイルの感情が乏しく他人を拒むが故に、上手に関係性を作ってこれなかった。レイルの氷の心を容易く溶かしたヒロインに、自分が先にレイルを好きだったのにと嫉妬を向けてしまう精神攻撃タイプだ。


 二人とも、婚約破棄に至るまでのバックグラウンドを思うと、ただの悪役にしておくには惜しい立ち位置だった。

 何気に、ジャスミンは、正統派ヒロインよりも、悪役令嬢二人を好んだ。キャラデザがクリティカルヒットだったのもあるし、ゲーム内描写がしっかりしていて、それぞれ婚約者との関係性の積み上げ方とすれ違いが切なくてよかったのだ。


 だから、ジャスミンは考えた。

 万が一にでも、ゲームと同じ流れになってしまうのは嫌だなと。

 違う世界だと頭でわかっていても、確証はない。不安は残る。

 それに、人は、置かれた環境や状況で、心の在り方をいくらでも変えてしまえる。

 ならば、悪役令嬢が悪役令嬢にならないよう、ほんの少しアシストできるのではないか。

 ただ、流れを知る故に、ジャスミンは自分の存在が、世界のイレギュラーとなるべく動くつもりなどさらさらなかった。それ以前に、しがない男爵家のモブである。大々的に影響力があるわけもなかった。

 もちろん、この世界が、乙女ゲームと同じ流れをたどるかはわからない。全く違う道を進んでしまうかもしれない。それでも、小さな一石を投じてみたくなった。

 もし、本当に運命や強制力などといったものが存在するのであれば、ジャスミンという脇役にもならないモブの一人や二人が出張ったところで、太刀打ちなどできないはずなのだから。

 

 公爵家に近寄ることが難しかったので、さしあたってガルシア伯爵家に突撃をかけ、ろくろを回すようにアピールしたみたところ、面白がった伯爵からステラリア付きの侍女見習いとして採用された。後から両親にしこたま怒られたが、結果オーライである。

 こうしてジャスミンは、レイルとステラリアが婚約を結ぶ2年前ほどから、ガルシア伯爵家で働くことになったのである。



* * *



「まあ、まさか、レイル様があんな風になるとは思いもよらなかったけれど……」


 仲睦まじく手を恋人繋ぎで絡めて、サロンから馬車に向かおうとする二人を、柱の陰でそっと見送りながら、ジャスミンはふふっと小さく笑う。

 花霞月の園遊会は、誰を狙うにしても、ゲームの中でルート分岐が関わる重要なイベントだ。給仕のバイトとして、変装してこっそり園遊会に潜入してよかった。

 幼少のころから見守ってきた二人が、幸せそうで何よりだ。ジャスミンの見たかった絵が、今目の前にある。




 冷静沈着、感情を表に出さず冷酷、まるで人形みたいな氷の王子様。

 前世のゲームで、いわゆる感情を凍らせたクールキャラのレイルだが、ここのレイルはステラリアの影響もあってか、蓋を開けてみるとだいぶ斜め上にぶっ飛んで熱い想いを抱く男だった。


 レイルと初めて出会うまで、内気で弱気なステラリアを、良いところは良いと優しく褒め、悪いところはダメと厳しく叱り、俯きがちだった彼女の背をしゃんと伸ばしたのはジャスミンだ。

 ちょっとぽやぽやしているものの、ステラリアが素直で優しく真っ直ぐな可愛いお嬢様にすくすくと育って、ジャスミンとしては鼻高々である。私のお嬢様が世界で一番可愛いと贔屓目で見ているあたり、割とジャスミンもレイルと似た者同士だった。

 そうして、姉のような存在として、年の近い身近な友として、ステラリアと一緒に過ごしつつ、侍女の仕事を全うしていたところ、レイルとステラリアの関係性は、ゲームとは明らかに異なる様相を見せた。

 それがわかったとき、どれほど嬉しかったことだろう。やはり、ここは一人一人に血が通って生きていて、ゲームの強制力なんかが働く世界ではないのだ。ジャスミンはこっそり泣いた。


 ちなみに、公爵家に伝手はできなかったのだが、ジャスミンの上の兄が何の因果か王太子付きの近衛騎士に就任した。脳筋の兄は、意外にも優秀だったのだ。

 そのため、どこまで作用するかはわからなかったけれども、兄にひたすらツンデレのいろはを説いておくことにした。ゲームよりも腹黒で愉悦主義の雰囲気が垣間見える当世界のクリストファーは、素直なヒロインよりもツンデレのミルフィオーレを面白がると踏んでのことだ。

 ツンデレの生態をイマイチ理解できなかった兄は、終始胡乱な表情でしきりに首を傾げていたが、結果はさもありなん。


 ただ、レイルの感情の表に出なさ具合は相変わらずで、ここに至るまで、少々ひやひやする場面がなかったとはいわない。何度内心で「レ、レイル~!!」とダメ出ししたくなったことか。落ち着くところに落ち着いてくれて、ようやく肩の荷が下りた気分だ。

 レイルのベッドローリング現場を目撃しなければ、二人の関係は最終的にすれ違ったままだったかもしれない。

 自分をヒロインと思い込んでいる少女の頭お花畑っぷりにも助けられたのだろうが、それ以上にベッドローリングがこんなにも状況を変えるとは、さしものジャスミンも想定外である。

 前にマクベスが呟いていたけれども、ベッドローリングが世界を救った。何とも締まらない言葉に、ジャスミンはふふっと吹き出してしまう。

 きっとこの先も、残念な令息は変わらず残念なまま、婚約者への愛をベッドローリングしながら叫ぶに違いない。

 そして、ジャスミンの大事なお嬢様は、そんな情けない姿さえも楽しく受け止めて、いつまでも彼の隣に立ち続けることだろう。



(前世のゲームのレイルも、もしかしたらひっそりベッドローリングしてたのかもなあ……)



 もちろん、そんな乙女ゲームにあるまじきアレな姿、ゲーム内で描かれるはずもないので、真相は闇の中である。




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