26.とある魔法師のぼやき② リンゼイ



「殿下、リンゼイ殿が固まっています。おふざけが過ぎますよ」

「悪い悪い。恐らく私を心配して、慌ててここにやってきたと見受けるが、君もあの魅了を受けたのだな?」


 レイルが窘めると、クリストファーがははっと声を上げて笑う。硬かった空気を、緩めてくれたのだろう。

 瞬時にすっと表情を引き締めたクリストファーの問いかけに、リンゼイの背筋が伸びた。こくりと頷く。


「ええ、今しがた。君も、と仰るということは、殿下方もですか?」

「ああ。私とレイルも、入学式の直後くらいにね、やられたよ。それでこうして、秘密裏に対策本部を立ち上げて、王家としても全力で調査に当たっている最中だ。まあ、目的がはっきりしない今、泳がせざるを得ないが……」


 その一言で、リンゼイはほっと胸を撫で下ろした。

 クリストファー本人が禁呪をその身に受けたことも相まって、リンゼイが想定していた以上に動きが早い。国が、王家がしっかりと現状を把握して、対策を取り始めたのであれば、いずれきっちり解決するだろう。


「そうでしたか。であればよかった。早期解決できればよいのですが……私ですら、かなり危うかったので、あの魔法は相当手こずりそうですよ」

「あっ、リンゼイ様の制服に、穴が開いておられますね……?」

「ああ、咄嗟にペンを刺して、間一髪痛みでどうにか……」

「リンゼイ様も無茶をなさいます」

「そうでもしなければ、囚われていた。しかし、あの厄介な魔法を受けて、殿下方はよくご無事でいられましたね?」


 左腕の制服に開いた穴を見て、マクベスが痛ましげに眉を寄せる。

 あの強力な魅了を直に食らって、平然としていられるはずもない。リンゼイですら膝を屈したのだ。もしかしたら、王家はあらかじめ何かしらの対策をしていたのかもしれない。

 そう感心しかけたのも束の間、クリストファーとレイルの唇から飛び出したのは、全く予想だにしていない言葉だった。


「ミルフィへの深くよどみない愛故かな」

「ステラリア嬢への一点の曇りもない愛のおかげですね」

「愛」


 2人は、さらりとためらいも恥ずかしげもなく自然体で言ってのけた。

 いや何言ってんだ。

 そう反射的に突っ込まなかった自分を、リンゼイは褒めたい。

 クリストファーはともかくとして、氷の貴公子と名高いあの塩対応レイルから、そんな情熱的な言葉が発せられようとは。

 というか、クリストファーもレイルも、婚約者とは政略で、愛情の欠片もないというもっぱらの噂だったのだが……。

 思わず胡乱な目をしたリンゼイに、当の2人は不思議そうに首を傾げている。お互い意味がわからんという顔をしてる。本当に意味が分からない。


「え? あの? いや、はぁ? え……?? 愛、ですか?」

「愛だよ。私は、腹の底からミルフィを愛し欲しているんだ。何故、見ず知らずの女からの魅了なんかにかかると? はっ、あんな児戯に踊らされるなど、愛が足りないよ、愛が。ミルフィの可愛い顔を思い浮かべるだけで、幸せな気持ちでいっぱいになるんだ。他の女性にふらつくなど、絶対にありえないよ」

(児戯……相当強固な魅了なんですが……)

「殿下のおっしゃる通りです。ステラリア嬢以上に、私を虜にする女性など、この世のどこにもおりません。彼女だけが、私を生かしも殺しもする。魅了などという偽りで低俗な愛情に、我々が屈するはずがありません」

「ほら、レイルもこう言っている。我々は何かおかしなことを言っているだろうか?」

「ええええ……???」


 重っ……。最初にリンゼイが感じたのは、その一言だった。

 理屈はわかるような、わからないような。リンゼイは、すっかり混乱していた。クリストファーとレイルは、やはり澄み切った瞳できょとんとこちらを見ている。段々リンゼイが間違っている気がしてくるから不思議だ。

 精神干渉系の魔法って、そんなことで防げるものじゃないだろうと、魔法師としての思考がそう囁いている。要するに、彼らの落ち着くところは根性論である。

 だが、気力があらゆる困難を凌駕するのは、今までの歴史を見ても往々にしてある。

 泥臭く言えば、婚約者に対する愛情故に物凄い根性発揮して、かけられた魅了魔法を自力で破棄キャンセルしましたというわけだ。


 リンゼイは、思わず額を押さえた。婚約者もおらず、魔法研究に没頭しているリンゼイには、決して理解が及ばない世界である。いずれリンゼイも誰かと恋をすれば、わかるのだろうか。

 隣に座っていたマクベスから、同情のようにぽんぽんと肩を叩かれたのだけが救いだ。


「私としては、魅了を直接食らいつつも抗った優秀な魔法師であるリンゼイがいてくれれば心強い。君には、解呪の魔法構築を行ってもらいたい。師団長に話は通しておこう。共に、任に当たってくれ」

「か、かしこまりました。全力で解析と構築に当たらせていただきます」

「頼む。それと、これも重要な任務の一環なのだが……」

「はい。私にできることであれば、何なりと」




 その日、リンゼイはめちゃくちゃ書類仕事した。




* * *




 その後、情報を集めるために、クリストファーとレイルが、件の男爵令嬢アイリに近づくことになった。

 まさか、王太子が直々に矢面に立つとかありえなさすぎる。いくら何でも危ないと忠告したのだが、クリストファーは全く聞く耳を持たず。魅了にかからない揺るぎない自信があるようだった。

 そこまでいわれては、臣下のリンゼイが逆らえるわけもない。

 アイリの用いる魅了の構築術式の解析を行いつつ、いざとなったら盾となるべくクリストファーの傍に控えていたのだが、結果としてリンゼイの出る幕などなかった。

 リンゼイは遠い目をした。どこぞで話題になった、星空を背景に猫が形容し難い複雑な顔をしているシュールな絵画みたいに。

 傍から見ると男爵令嬢を囲んだ優雅で楽しげなお茶会は、リンゼイにとってただのカオスでしかない。


(本当に魅了魔法を跳ね返している……だと……)


 跳ね返しているというか、受け流しているというか。うっすらと魔力を追えるリンゼイだからこそ、事態の異様さが良くわかる。

 今、目の前で高度な魔法戦のようなものが展開されているわけだが、正直何が起こっているのか、思考が理解を拒んでいる。

 リンゼイはその場にうずくまって、ええええと頭を抱えて叫びたくなった。

 素の精神抵抗値は、わざわざ鑑定をかけずとも、学園全体でもリンゼイがトップだ。魔力が多ければ多いほど、精神干渉を行う類の魔法に対して強くなる。

 もちろん、歴史が古く高貴な家柄もあり、クリストファーやレイルも、そこそこ高いはずだ。でも、あくまでそこそこだ。魔法に特化して血筋を繋いできた伯爵家の嫡男たるリンゼイほどではない。

 そのリンゼイですら、気を抜いていたところをまんまと抜かれた魅了を、クリストファーは笑顔で、何事もなかったかのようにいとも容易くいなしている。リンゼイみたく鉄壁の魔法障壁を貼ったり、反射魔法を展開しているわけでもないのに。それだけで、もうおかしい。

 アイリが目線でめちゃくちゃ膨大な魅了を蒔いているが、どれもこれも一切効いていない。むしろ余波を受けるこっちのほうが、胸やけしそうだ。


 レイルも以下同文。こちらは、しれっとした顔で弾いている。

 弾いているというか、飛ばされた魅了魔法が、パァンと術式ごと滅茶苦茶に破壊されている。リンゼイは、思わず肩をびくつかせてしまった。花火みたいにキラキラと魔法の余韻が飛び散って、とっても綺麗だ。魅了魔法の残骸だけど。そりゃあ魅了にかかるわけがない。魔法を受ける前に壊すって一体何だ。そんな芸当が、果たして人間にできるのか。

 理屈では、常識では絶対にありえない事態を目前にして、リンゼイは白目を剥きそうだった。


(これは一周回って物理フィジカルと呼ぶべきか、はたまた精神力メンタルのたまものか……?? 愛って、愛って強い……)


 愛って奥が深い。

 よくよく考えると魔法を跳ね返すほどの愛情というのは、それはそれで恐い気もするが、リンゼイは理知的に考えることを放棄した。己の精神の安寧のために。

 彼らの婚約者に対する一途な愛は、常識すらも凌駕するものなのだ、と。

 噂など当てにならない。自分の目に見えることが真実だと、改めてリンゼイは胸に刻む。


 とりあえず、ヴァーミル公爵令嬢とガルシア伯爵令嬢におかれましては、今後二人の深い深い愛情でがんじがらめにされないことを祈るばかりである。





 その後、魔法師団長としても魔法研究家としても大成したリンゼイが残したといわれる魅了魔法対策書には、事細かな術式の解説とともに、「強く深く相手を想う一途な愛があれば、魅了魔法は跳ね返せる」と記されており、後の魔法研究家たちに首をかしげられたという。




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