2-7:若狭平理(1)
結論を出した。脱出の方法を探そうという単純な結論である。
一旦俺の感情については置いておくことにした。
感情の整理なんか幾らしたところで付くはずがない。
名幸に悪感情は一切見えなかった。かと言ってそれが自然状態のまま悪質な行為に及ぶような、悪を悪と思わないような人でなしの性格でもないように思える。これが最善と名幸は考えているのだ。
だから冷静になってみると、名幸を憎むとか、怒りを覚えるとか、そういう嫌悪するような感情は無かった。
俺は名幸を嫌いになれなかった。敵とも見れなかった。味方でないのは確かだが、それでも俺の感情的な部分は名幸をある程度好ましく思ってしまっているのだ。
当然これは理屈や道理と矛盾している。
「あー、もう訳分かんねえよ。頭の中ずっとぐちゃぐちゃだ」
愚痴を溢しながらも俺はゲームセンターを探索することにした。
まず一階。壁沿いは全て閉ざされており、外と繋がっている扉は無い。ポインタを弄ったとか言っていたが、それが原因なのだろう。恐らくゲームのマップ切り替えだ。例えば2Dゲームは操作キャラが建物を出入りすることでロードが入って、マップが読み込まれたりする。本来このゲームセンターは一般道に面していたが、ポインタを削除することにより出口が消失してしまったのだろう。残ったのは無理矢理ポインタを削除したことによるバグテクスチャって訳だ。
ブルメモは3Dゲームだがそもそも本編は街マップは実装されていない。つまりゲーム開発者の設計外の範囲……遊びがあるってことだ。きっとそういう滅茶苦茶な実装もどうとでもなるんだろうな。うん。知らんけど。
出入口消失についての考察はさておき、探索を続ける。
建物だというのに窓すらもないな。思い返せば二階にも無かった。消防法上絶対それはダメだろ。火事が起きたら炎の棺桶まっしぐらだ。
……昨日この世界は現実化が進んでいると万里は言っていたが、この様子だと俺の考えている現実化と言う概念と異なる気がする。現実化という単語は俺の住んでいる現実に近づいていると解釈していたがこうも無茶苦茶な建物構造を見ると現実的なもんには見えないな。考えてみれば売られてるゲームのタイトルは違うし、首都圏らしいのにこの街の名前は一度も聞いたことが無い。現実じゃないこの世界は何なのか。
……うん、一旦パスで。今はどうでもいい。
従業員用スペースにも入ってみるが物一つない空っぽの空間があるだけで、勝手口とかもやはり存在せず、手掛かりは何一つ無さそうだった。何となくだがバックヤードは作りこむ必要がないと考えて空間だけ一先ず切り出してみました、て感じがする。
一先ずここまでで、通常の出入り手段は完璧に消えていると。
念のためクレーンゲームの中を調べてみる。こういう脱出ゲームならば大抵重要アイテムや情報が景品になっているもんだが、見る限りは全てフィギュアやぬいぐるみ、それからデカい箱に入った菓子類だ。特筆して重要そうなものは無い。試しに適当な筐体をプレイしてみるが何も取れなかった。止めておこう。無意味に時間を浪費することに意味はない。
他にも隅々調べてみるが何も無かった。オーケー。一階はただのゲームセンターだな。
続いて二階に上がる。
さっきまで夢中で遊んでいたビデオゲーム筐体が同じように置かれている。ゲームをクリアすることでヒントが……ってのも無さそうだな。二階には男女ともにトイレがあったので男性トイレに入ってみた。小便器が三つと個室が二つ。不審なものは見つからない。それから女性トイレは……まあいいか。心理的抵抗がある。この感じだとどうせ入ったところで手掛かりも無いに違いない。不必要にSAN値を削る必要はないだろう。
壁沿いに歩くが特に不自然な箇所は見当たらない。普通の白い壁紙で、時折ゲームやプライズ新商品を告知するポスターが直貼りされている。
剝がしてみるか。
俺はポスターに手を掛ける。もしかしたら壁と一体化していて取らないかと思ったが、普通にポスターの端に手を掛けることが出来た。そのまま剥がす。
……なんもねえな。
一階のものも併せて片っ端から剥がすが変なスイッチや脆い壁みたいなゲーム的攻略要素は出現せず、ただただ真っ白の壁だ。
俺は格ゲーの筐体前に置かれた丸椅子に腰を掛けてフロアを眺めた。
出入口は無い。どこにもだ。
───密室。
俺は完全に閉じ込められた。
探索を開始する前から何となく分かってはいた。名幸が俺を逃す穴を用意するわけがない。これはゲームじゃないんだ。ゲームに近い現実。攻略が不可能でも存在を許されるこの世界で、名幸が穴を残すとは到底思えない。何度考えてもそうだ。恐らくこの建物はもはや俺が一時間前までいたあの世界とも隔離されてしまっている。閉鎖領域、ねえ。
「いや、まだ早い。名幸は確かに穴を用意していないけど認識していない穴が存在する可能性はある」
俺はほ息を吐いて立ち上がった。
穴を用意してないからといって、絶対に無いとは断言できないはずだ。
何故ならこの世界の元はゲーム───つまりバグが通用する可能性がある。
このゲームはそこまで作りが精巧なわけじゃない。何かあるはずだ。考えろ。思い出せ。何かこの状況を打開できるバグとか裏ワザ小技を。
「───ボクは無いと思うなあ、そんなご都合主義な抜け道は」
ゲームセンターの騒々しいBGMを上塗りするように唐突に女の声が後ろから響いた。声質はボーイッシュながら、吐息の混ざる甘さから女だと反射的に考えて。
この声。この話し方。
指でピンと琴線が弾かれて振動する感覚。
平理……若狭平理……!
「……平理、なんでここに?」
俺は慎重に言葉を選びながら口を利く。
振り向けば白黒のゴスロリ服に身を包んだ平理が佇んでいる。
肩の高さで切り揃えられた銀髪に、紅い虹彩、心配になるほど陽の光を浴びていない白い肌。黒いスカートから覗き出る太ももは細くすらっと伸びて、厚底のゴシックブーツを履いている。
美少女なのはギャルゲーのヒロインだから当然で、現実では原宿とか秋葉原くらいでしか見ないような格好でも板についた風貌に見えて目に馴染むのも、平理が本編中大概こういうゴスロリ服を着ているから必然だ。
いや、だからか。
違和感を覚える隙が僅かほどにも無いこと、それ自体がこの現実と近しい世界において違和感に思えて仕方がない。
そして俺には平理という少女が危ない奴に見えて仕方がなかった。
回る。思考回路が。名幸に閉じ込められた瞬間以上の不可視の危機感に。
まず何処から入ってきたか。
いや、論ずるまでも無かった。俺が探索していない場所なんて一つしかない。
隠れていたのか、女子トイレに。
だが何のためだ?
何故こんな場所で隠れて……まさか俺と二人になるのを狙って?
「そんな怖い顔しなくて良いと思うなあ。あ、勘違い系とか大嫌いだから先に言っておくけどもボクはキミを襲わないよ。だから月風ちゃんみたいにキスしなくていいからね。勿論キミがボクの柔らかい唇に口づけしたいって言うのなら本望だけど」
「キス……?」
理解の出来ない話を始める平理に俺は身構える。
それを平理はきょとんとした目をして、誤魔化すように自身の後ろ髪を梳いた。
「アレ、ああまだ通ってないのか。まあいーや。ともかくボクが言いたいのはボクはキミを殺そうだなんて考えてないってこと。というかボクがキミを殺すと思ったの? ホント心の底から酷い話だよ。ないないない、有り得ない! ボクのすべてはキミだよ! キミだけなんだ! キミキミキミ! キミだよキミ!」
「……話が見えないな。俺は何でここにいるって聞いたと思うが?」
「あ、ゴメンね。ボクちょっと感情を安定させるのが苦手でさ。喜怒哀楽は人間の根本的本質を司る感情だけあってコントロールするのが難しいんだよね。許してよ」
そう言って舌をペロリと出してコミカルに笑った。
俺の頭はそんな姿を冷静に分析しようと表情の仔細を見つめる。
……記憶にあるブルメモの平理よりもテンションが些か高い。本編でもお喋りな性格だったが、ここまで弾けてはいなかった。格好自体はブルメモのパッケージと同じだ。ただ……気になるのは前髪を抑えるように付けられたピンクの髪留め。あんなものは身に付けていただろうか?
「ゴメンゴメン、また話を反らしてしまったね。ボクがここにいる理由を聞いたよね。二つあるんだ」
平理は数えるように人差し指を立てる。俺は一旦監察を止めた。
「一つはキミと話したかったんだ。キミと話すのは……初めてだよね。うん。だからキミには最初に聞きたいことがあるんだ」
「俺に聞きたいこと? 言っておくが本名なら教えないからな」
「それはいいや。ボクは赤に朱色を塗る趣味はないからさ」
相変わらず意味深に嘯く平理に思考放棄しそうになる。コイツの言葉は意味が分からない。さっきからずっと自己完結してやがる。雲のような言動だけは本編準拠なのかよ。
平理はにこっと緩い笑みを浮かべると両手を広げた。
「この世界はどう? とても現実的で美麗なグラフィックだろう? 人も沢山行き交ってアトランダムに動き犇めき合ってるし、建物の質感も新築からオンボロまで解像度の高い造りだとは思わないかい? 有限なリソースに縛られない自由の世界。キミにはどう見えるかな?」
俺に解答権を差し出すように平理は俺へウインクを送る。
しかしその目はウインクほどに笑っていないように見えた。
温度の無い鉄釘を飛ばされているような、冷淡で無機質な視線。
平理に忖度した答え方は悪手な気がした。平理は俺のことを殺さないと言ったが、それは平理を裏切らない限りなのだろう。そうでもなければベルトコンベヤーで流れてくる製品の合否を見極めるような、こんな作業的な瞳を向けるはずがない。
思わず俺は唾を嚥下した。
となれば率直に答えるしかないのだが……。
この世界がどう見えるか、だって?
「そりゃ現実に思える。食い物を口に入れれば味覚が刺激されるし、砂利を踏みしめた感覚とか、人間の温かさとか、全て実物に見える」
「ふうん。それは良いことを聞いた」
「───だがよくよく見れば綻びがあるんだよ。この建物を見ろよ。窓一つ無くて、さっきまで存在した入口も名幸の手で消失したよな。現実じゃ有り得ないだろこんな超常現象は。それに俺の知っているゲーム、アニメ、音楽だってこの世界には存在しない。世界地図なんてアジア周辺しか存在しないんだぜ。まあ並行世界と考えれば当然かもしれないし、この世界の完成度の高さを前にしたら俺の抱いてる違和感なんて微々たるもんかもしれないがな。それでも、少なくともお前たちがこの世界を本物と思っているのと同じように、俺にとってはこの世界は現実じゃない」
言い切ってやった。
この世界がどれだけ知った風な形をしていようが俺にはコピーにしか思えない。
不思議と胸の中に宿る意思が熱くなったように感じる。
……帰ってやる。
絶対に現実に帰ってやる。
「なるほど……ふむふむ。ボクの想像以上にキミは強欲だねえ。キミの掲げる現実世界にこの世界は足りていないと解釈しようかな。感謝するよ。非常に有意義な意見だった」
「はあ……それは良かったな」
「本当にね。キミと話すことが出来て本当に良かった。本音を言えば逃げ場も無いのにいつでも逃げ出せるよう背後を気にしていることだけは気に食わないけど、ま、ボクは器の広い女の子だから許してあげようじゃないか」
……クソ、バレてたか。
逃げるというか、月風みたいに何か刃物を投げられた時のためにすぐにゲームの筐体に潜り込めるように構えていただけなのだが、まあ大きくは外していない。
信頼されてないという実感だ。平理はそれを感じているのだろう。
俺は変わらず平理を警戒している。
それを見てか少し寂し気に眉を落として、口弧を上げる。
「大丈夫だよ。ヨシヨシってしてあげようか。ボクなら構わないよ。胸に飛び込んでは全力でおぎゃって良い、君にはその権利があるんだよ?」
「誰がするか!」
「あ、そう」
すんと無表情に切り替わった。
滅茶苦茶な奴だ。可愛らしく笑ったかと思えば冷たく目で射抜いてきたり、また微笑んだかと思えば能面みたく感情を抜け落としたり。情緒どうなってやがる。
……まあ殺す気が無いって言うのは信じてやってもいいかもしれない。平理は何も武器を持ってないようだし、俺に近づくこともしない。
「さ、榊田くん、離れて!」
唐突に大声が響き渡った。
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