2-8:理解不能


 ……名幸?

 声の方向を見ると、名幸が一階に繋がる階段を登り切った場所で俺の元へと駆け寄ってきていた。その表情が見たことが無いほどに真に迫っていて。

 敵意だ。

 俺にではなく、明確に、平理へ敵意を示すように名幸は睨みつけている。


 名幸はそのまま俺の腕を両手で掴んで、俺を背中に隠すような動きをした。


「まるで図ったような丁度いいタイミングじゃないか。やあ名幸。久しぶりでいいのかな?」

「あ、貴方に、挨拶されたく、ない!」

「うーん嫌われてしまったみたいだ。意外とみんな道徳心あるからなあ……是非もないか」


 平理は首を傾げながら納得するように相槌を打った。

 ……まただ。

 昨晩の焼き増しに身体が固まった。

 名幸が牽制するように睥睨していて、平理はそれを淡々とした様子で受け止める。


「……名幸?」

「だ、ダメ! あいつだけは、近づいたら、ダメ!」


 小さい背中で俺を隠すようにして平理から遠ざけようとする。

 演技や冗談ではなさそうだ。いや分かってる。大丈夫だ。そんなのはこの世界に存在しない。いつだってこの世界は俺に優しくないし、表面が平和に見えても裏面はバグみたいな現実が散りばめられている。

 分からなくてもいいから冷静になれ俺。

 ここに万里はいないんだぞ。


 わざとらしく悲壮感を出して平理が言う。

 

「名幸はボクと会話すらしたくないのかな。それはとても寂しいことだ。同じ立ち位置同士だというのにいがみ合う理由がどこにあるんだい。でもボクは心が広いからね、その程度は受け止められるさ。せめてボクたちヒロイン同士、主人公の前でくらい仲良しこよしでいようとか殊勝な心掛けはないのかな?」

「あ、あるわけ、ないでしょ! さ、殺人鬼に、心を許す、はずがない!」

「連れないなあ。残念だ」


 小さな身体で吐き捨てるように名幸が強く謗った。

 …………は?


「殺人鬼って……」

「そ、そこの女は、も、もう3人、こ、殺してる」

「ちょっと待て。名幸お前、何を言ってるんだ」


 意味は分かったが、その言葉をすぐには理解できなかった。

 殺している……って平理が?


「キャラクターデータは破壊してないけど、この世界的での命と言う意味ではそうだね」


 俺の動揺を肯定するように平理が付け加える。


「ど、どの口、が!」

「まあ落ち着きなよ名幸。殺すって言葉を使うのは少し過激なんじゃないかなとボク思うんだよね。だってキャラクターデータは無事なんだから手動バックアップすればリカバリー可能じゃないか。多少のデータ損失はあるかもしれないけど、それも大した問題にならないよね。だから退場って言ってくれるかな、まるでボクが悪い人みたいじゃないか」

「な、何を言おうが、貴方は、殺しをした!」

「君はずっと前からそういうところが面倒だよなあ。見た目にそぐわず思い込みが激しい石頭だ」


 平理は聞かずん坊を相手にして困っていますと言いたげな顔で眉を上げてを首を左右に振ると、


「じゃあこう言えば満足かな。泗水縁しすいよすがは蹴り飛ばして頸椎を折って殺したよ。彼女はどうもボクとは気が合わないし、常に自分の意見を全力で他人に押し通そうとする力士型人間だったからウザかったんだ。それから蓬莱院礼音ほうらいいんあやねは拳銃で殺したかな。生徒会長になってからは張り切ってたのかボクに学校来い来いってさ、行くかどうかなんていうのはボクの自由だよね。ダブってる分の学費だってちゃんと払ってるのにさ、ハエみたいにブンブンと喧しいのなんの。相容れないよ彼女とは。あーでも妹の蓬莱院寧子ほうらいいんねいこを殺すのは少し気分悪かったなあ。ボク、姉は嫌いだけど妹は落第生徒繋がりって共通点もあったし、あと性格もそこそこ大人しい方だから嫌いじゃないんだよね。でもボクにも弁明があってさ、彼女、ボクを殺すって言うんだよ。確かに寧子は姉をボクに殺されてるし、彼女がその怨恨からボクに復讐を誓う自由をボクは認めるとも。でも殺意を向けられて許すかどうかって話と、ボクを殺す可能性がある危険人物を放置する話はまた別だよね。だからここは声を大にして言わせてもらおうかな。悲しい行き違いの結果なんだ、ボクと寧子は」

「……み、耳が、腐る!」


 ギリッと。

 歯を食いしばるような音が背中越しに聞こえた。

 怒っている……それも当然か。

 この世界は見かけ上は平和だ。月風と愛夏だって積極的に殺し合っているようではなかった。意見の相違の上でそうなっただけで、俺を殺そうとした月風だってここまで狂ったことは言っていなかった。


 目の前の少女は違う。俺は一部を理解してしまったから、平理の鋭く歪曲した狂気の主張に吐きかけそうになる。

 ウザいから殺した。目障りだから殺した。

 そこに抱く感情なんて蚊を潰すした時と同じだろ、そう平理は言っている。

 まだ悪意を持って目的のために殺すとかなら分かる。でも平理は違うのだ。平理は平気で人を殺している。そこに罪悪感はない。殺害に至るまでのハードルが地底の底に埋まっている。


 恐ろしい。悍ましくて理解不能。

 目の前の美少女が、何かとんでもない悪意の塊のように思えてくる。


「あのねえ名幸、ボクはキミの想像通りの悪逆非道なボクとして言葉を並べただけだよ。本音はもっと無味乾燥としてこんな悪意塗れじゃないさ」

「な、何を言ってるのか、さ、さっぱり、理解できない」

「どうでもいいんだよ。榊田君、キミ以外はね」


 平理は俺を指差した。


「だから別に悪感情を持って殺しなんかしないさ。それこそ窮屈じゃないか。悪意に囚われて人を殺すなんて哀れだ。そんな無駄な枷を嵌められちゃ可哀想だ。お腹が減ってご飯を食べたとき、瘡蓋が出来て腕が痒いとき、少し疲れて軽く胸から酸素を吐き出すとき───ボクが人を殺すのはその延長上の事柄なんだ。別に何も思わない。自由っていうのはこういう事だという僕の考えを理解してくれるかい?」

「す、するわけ無い、き、気狂いめ!」

「だろうね。期待するだけ無駄っていうのは知ってたんだけどねえ……ボクは内心で君にも期待していたのかもしれなかったかも」

「い、一生、無理!」

「はいはい。そうだキミ、ボクの大好きな主人公サマ。ここに来た理由は二つあるって言ったよね?」


 名幸が来る前に言っていたことか。でも……凄まじく嫌な予感がする。

 言葉を返せぬ俺に、平理は飄々と語りかける。


「二つ目の理由を話す前に、ホントに名幸が来てくれて丁度良かったんだよ。だってボク───名幸もそろそろ殺そうと思ってたところだからさ」

「あ、アクティベイト!」


 突如、平理の言葉を塗りつぶす轟音が床を震わした。

 ───名幸の手に従うように、周囲に配置されていたゲームの筐体が平理を押しつぶしたのだ。


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