第19話 旅行の後で
部屋の壁にかけてあるカレンダーを見ると、あの温泉旅行の日から、一か月ほどが経った。日付は九月十七日。僕はベッドに寝転がりながら、カレンダーの日付をぼんやりと眺めて、カレンダーのすぐ隣に置かれたカラーボックスに目をやる。縦に三段、置き場のあるカラーボックスの二段目と三段目には、大好きな漫画のセットが収まっており、一番上の段には温泉旅行で竜に買ってもらったテディベアのぬいぐるみと、射的の景品の小さなドラゴンの人形が飾ってある。それを見るたびに、僕はとても幸せな気持ちになる。
竜と初めて結ばれた翌日の朝、部屋で旅館の朝食を食べているときに、突然、竜に告白された。
「なんか、だましたみたいな旅行になっちまったけど、蓮のこと、俺、本気で好きだから。料理もうまいし、ずっと一緒にいたいと思ってる。俺自身、男好きになったのなんて初めてだから、戸惑った部分がすげえでかいけど、俺、自分の気持ちに嘘つくことってできないタチだからさ。一生懸命カレー作ったり、運転の練習したりしてんの見てたら、なんだかほっとけなくなっちまって、いつの間にか好きになってた。彼女とは、八月一日に電話して別れた。月初めが一番キリがいいと思ったし、その日にお前を落とす覚悟を決めた。けっこうごねられたけど、職場に好きな奴ができて、そいつのことしか考えられねえって言ったらわかってくれた。俺の気持ちは本気だから。だから、本気で言うけど、俺と付き合ってくれないか?」
朝食を一口も食べないで、正座しながら一生懸命に告白してくる竜の唐突さに、僕は驚いて納豆を混ぜていた箸を落としそうになりながら、大きく何度も首を縦に振って「こんな僕でよければよろしくお願いします」と答えた。
昨晩の情事は、ほんの気まぐれの出来心で、「好き」と言ってくれたのも、ただの好奇心を満たすための、ていのいい嘘だろうと思っていた。
僕はそれでも、ほんのひと時でも、竜と結ばれることができたから、これっきりで忘れてくれても構わないと思っていた。
だから、告白された時は嬉しかったと同時に信じられない思いでいっぱいだった。あの桐藤竜さんが、僕のことを秘かに好きでいてくれて、旅行に誘われて偶然にも結ばれることができて、何もかもがうまくいきすぎて、怖いくらいだ。
そうだ、オバチャンに報告することを忘れていた。オバチャンのおかげで恋愛成就したのだから、すぐに報告しなくてはと思い立って、僕はメッセージを送った。
「オバチャン、ありがとう。おかげさまで、温泉旅行の日から僕と竜(桐藤さん)は付き合うことになりました」 蓮
オバチャンから、すぐに返事がきた。
「あら、良かったじゃない。おめでとう。オバチャンの占い当たるでしょう? アタシはプロだからね。今度ちゃんと紹介しなさいね」 オバチャン
「わかったよ。僕、幸せすぎて怖くて、どうしていいかわかんなくて、悩んでる」 蓮
「何よそれ。完璧ノロケじゃない」 オバチャン
「だって、ノンケの人が男の僕を好きになってくれるなんて、奇跡すぎて怖いよ」 蓮
「人の嗜好なんてそんなもんよ。コーヒー派が紅茶派になったとか、そんなもんの違いじゃないかしら。オバチャンはずっと男が好きだったから、よくわかんないけど。あんまり深く考え過ぎないことよ。せっかくのきれいなお髪が剥げてきちゃうわよ」 オバチャン
「うっ。それは困る。わかった。考えないようにする」 蓮
「そうよ。深く考えずに今の幸せを噛みしめて楽しみなさいな」 オバチャン
「そうだね。そうする。ありがとうオバチャン。おやすみ」 蓮
「ゆっくりお休みなさい。またね」 オバチャン
オバチャンとメッセージのやり取りをしていたら、僕は何だか安心して眠くなってきたので、眠ることにした。
明日から仕事が始まるから、また一週間頑張らなくちゃいけない。
うとうとしていたら、竜からのメッセージがきた。
「遅くに悪い。明日、ファミレスで昼メシ食わないか? ちょっと話したいことあるんだ」 竜
「いいよ。じゃあ、お弁当は持ってかないことにするね」 蓮
「ああ、よろしく」 竜
話って何だろうって気になったけれど、順調に付き合いが続いているから、悪い話じゃないことは確かだ。
竜とは休みのたびに会っていて、連休のどちらか一日は一緒に過ごし、もう一日はお互いに自分の用事を済ませたりと自分自身のために使おうというルールを話し合って決めた。休みが一緒だから、時間を合わせれば毎日会うこともできるだろうけれど、一日とはいえ、顔を合わせないことでマンネリを防げて結果、長く付き合うことができるからっていう、竜からの提案だった。
僕はそれに激しく同意した。竜のことは大好きで、毎日会いたい気持ちは強いけど、一人の時間も大好きで必要だ。一人で部屋にこもってアニメや音楽鑑賞をしたり、お菓子を作ったりすることが、僕にとって最大の息抜きになる。その時間がないと、僕はきっと死んでしまう。もちろん、竜とそれらのことをしてもいいのだけれど、僕は一人になって誰にも邪魔されずに思い切りその世界に没頭したいタイプだから、その提案は都合が良かった。
それに、竜とはあの温泉旅行の日から、一度も愛の営みをしていない。僕は竜とすごくしたいし、竜だってきっと同じ気持ちだと思う。それはデートの時に僕を見る視線や、頭を撫でたりする時の手から何となく伝わってくる。
けれど、僕は実家暮らしだし、平日休みなんだから昼間に家に呼んですればいいんじゃないかと思うけれど、家族との生活の場では、そんな気分になれないし、竜からもそんな提案はない(提案されたら引いてしまうけれど)
かといって、竜の部屋は元彼女との思い出が詰まっているから僕は絶対にその空間ではしたくないし、それを察してか竜も部屋には誘ってこない。
デートの日は十一時くらいに竜が僕の家の前まで車で迎えに来てくれて、どこかのお店で空いている時間にゆっくりランチを食べながら「これからどうする?」って話し合ってからその日のプランを立てる。
田舎だから、ショッピングモールでふらふらしながら買い物したり、映画を観に行ったり、ゲームセンターでクレーンゲームに夢中になったり(僕は苦手で一つも取れないけれど、竜はたいてい僕のリクエストした景品をさくっと取ってくれる)気になっていたカフェに行ってみたりと、その日、その時のお互いの気分で好きなところに行って遊んでいた。
この一か月、プラトニックなデートが続いて、それはそれで大好きな人と一緒に過ごせてすごく楽しいのだけれど、付き合う前の感覚とはやっぱり僕も違ってきていて、会えば会うほど、好きになっていって、もっと触れ合いたいと思ってしまう。
仕方がないから、あの温泉旅行の日を思い出して、何度も自分で慰めた夜が数えきれないくらいにある。あの出来事が起こる前は、自分で自分を慰めることなんて、ほとんどなかったのに、どれだけ竜を欲しているのかと、自分で自分にあきれてしまう。
僕ってこんなに強欲だったっけ? いや、竜のせいだ。竜が魅力的すぎるから、そしてその味を知ってしまったから、僕を余計に強欲にさせるんだ。僕は時々、自分の強欲さが恥ずかしくなるけれど、竜のせいにしてしまえば羞恥心が薄らいだ。
翌日の朝、僕はいつものように自転車を走らせて出勤して、自分の席でメールチェックをしていたら、桐藤さんが出勤してきて僕だけに「おはよう」と耳元で囁くと、僕の頭をポンポンと二度ほど軽く叩いて自分の席に座る。付き合うことになってから、これが日課になっている。
社長もサイさんも、何度もこの光景を見ているけれど、特別何も興味がなさそうに無表情で掃除したりパソコンをいじったりしている。だから僕と竜は時々見つめ合ったり、頭をポンポンし合ったりしていた。
仕事のある日のランチは、僕が毎日のように自分のお弁当を作るついでに時々は竜のお弁当も作って渡していた。
けれど今日は、ファミレスランチする予定だから、お弁当は作らなくて済んだ。ファミレスも久しぶりだから楽しみだ。話の内容が気になったけど、ノートパソコンをいじりながら僕にちらちらと熱心に視線を送ってくれる様子から、別れ話じゃないことは確かだ。桐藤さんは朝イチから営業に出かけて行った。
ここは純粋に、ファミレスランチを楽しもうと決意してデスクワークをこなした。
十二時半になったら、僕は社長とサイさんに声をかけて、ファミレスまで自転車を飛ばす。ずっと座り仕事だったから、自転車を漕ぎながら浴びる真夏よりは少し涼しくなった秋の風を感じながら、五分ほど漕ぐと、ファミレスに着いた。
駐車場に桐藤さんの車が見えた。僕は急いでファミレスの中に入る。まだ昼時なので、そこそこ混雑してはいたが、座席には程よく余裕がある。奥の窓際の席で、桐藤さんが手を振っているのが見えた。僕は急いで桐藤さんのもとへと駆け寄る。
「ごめん。待った?」
「いや。俺も今来たとこ。たまたま営業がうまくいって、早めに切り上げられたからさ」
「そうなんだ」
僕は早まる鼓動を抑えつつ、言った。
「何だ。息切れするほど早く来るなって」
「うん。何か、竜の顔を見たら、早く近くで会いたくなっちゃって」
「何だお前って。本当にかわいいな」
桐藤さんは頬を少しだけ赤く染めつつ、僕の頭を撫でる。
竜はハンバーグランチ、僕はグラタンランチを頼んで、他愛もない話をしながらランチを食べる。竜は相変わらず大口で良い食べっぷりで、見ているこっちが気持ちよくなる。こうして気軽にファミレスでランチをできる仲になれたことに、今でも信じられない思いと同時に感動する。
食後のコーヒーとココアを楽しんでいた頃に、竜が思いつめたような表情をして話しはじめる。
「あのさ、蓮。俺たち、一か月ほど会うの辞めないか?」
「え? 一か月も?」
「ああ、ダメか?」
「ダメ、じゃないけど。でも、どうして?」
いや、本当は嫌だ。竜と一か月も会えないなんて、死んでしまうかもしれないくらいにつらい。
「ちょっと、やりたいことがあってさ。ま、どっちみち会社で会うし、毎日のように顔を合わせることはできるだろう。ここんとこ、社長からふっかけられて営業の仕事がきつくてさ。そんで、新しく勉強しなくちゃいけないことも増えてさ。しばらくそれに集中したいんだ。まっ、一か月もすれば落ち着くだろうから、それまでの辛抱ってことで。それまではデートは無しだ。あと、仕事の日に一緒にランチに行くことも無し。悪いがお前に会っちまうと、どうしてももっと会いたくなっちまって、勉強に集中できなくなっちまうからさ。本当は俺もお前に会えなくて辛いんだぞ」
「そう・・・。それなら、仕方ないね」
「そんなに落胆すんなって。ひと月なんかすぐなんだからさ」
「竜に会えないひと月は、すぐなんかじゃないよ・・・」
「かわいいな、お前。今すぐ抱きしめてやりてえけど、ここじゃ無理そうだ」
竜は本気で残念そうな顔をしている。その様子から察するに、僕ともう別れたくて距離を取りたくてそう言っているわけじゃないということは理解できる。でも、せっかく大好きで手の届かなかった人と付き合うことができてすぐのこの、一番盛り上がりそうな時期に、この仕打ちはなんだろう。まあ、仕事のことだから仕方がないのだけれど、僕は軽く社長を恨んだ。
「じゃあ、お弁当は? お弁当なら、たまには作って持っていってもいいでしょう?」
僕は少しでも、竜に僕のものだという爪痕を残していたくて提案する。
「弁当もいいよ。こんな提案しといて弁当だけしっかり作らせるのも悪いし」
「そうなんだ。じゃあ、せめて栄養のあるものしっかり食べてね。毎日ラーメンとか牛丼ばかりじゃなくて、きちんと野菜も食べてよね」
「わかったよ。おかんみたいなこと言うな」
竜は照れたように微笑む。僕も合わせて微笑んでみせたけれど、本当は泣きたい気持ちでいっぱいだ。
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