緩やかな自殺

葛城 雨響

1

人生を終わりにしたくて、首を括った。たまたま帰ってきた親に見つかり失敗した。

早く眠りたくて、薬を飲んだ。飲みすぎて部屋に吐瀉物をまき散らし、胃洗浄をした。

漠然とした自殺願望から逃れたくて、煙草を吸い始めた。

「それ何ミリ」

「ん、十」

 冬も終わりに近づく季節。公園の喫煙所で二人、揃って煙を吸い込む。先についた朱が臭い葉を燃やしていく。じわじわと増えていく灰を、灰皿の上に叩き落とす。そういえば家の灰皿がいっぱいだったことを思い出す。古いし買い直さなくちゃ、と思った。

 俺の目の前で甘い香りを漂わせ、文斗は分厚いマフラーに顔をうずめながら、パチ屋のネオンをじっと見つめている。ネオンが瞳に反射し、彼の茶目がよく見える。通った鼻筋が、美しいと思った。

「飯、どうする。」

金曜の夜、そこらじゅうにキャッチがいる中で、彼が言った。俺たちが行く店は基本決まっている、だけどたまにこうして、臆病な冒険家が顔を出す。チェーンの決まった店にしかいけない、臆病者なんだ。俺たちは。

人間はどうせ死ぬ、彼はそれが口癖だった。俺は彼に何があったか知らないし、訊ねるつもりもないけれど、彼の存在は俺の生きる意味だった。彼に出会ったのは入社直後の同期顔合わせ。地元の大学で法律を学び、ここまで出てきたらしい。死ぬことしか興味のなかった俺に、彼の犯罪心理学の話はとてもおもしろい話だった。

「灰、落ちるぞ」

気付くと灰がすぐそこまで来ている。彼が言わなければ、俺は火傷していたかもしれない。でも、火傷したところで、死ぬことはできないし、いいか。

「家の灰皿って、水入れてる?」

 彼が俺を見ながら訊ねる。どうして、と言うと、別に、と彼は言った。俺は彼のこういうところに惹かれているんだと思う。多くを語らないから、俺の興味を引き出していく。こういう奴ほど教育者になればいいんだ、そうすればきっと彼はおもしろい授業をする。その反面、はっきりしないな、とも思っている。彼はとにかく言い切らない、彼の言葉はなんでもかんでも可能性を秘めている。

 いつもの大衆居酒屋で適当にハイボールと焼き鳥を頼み、うだうだと言いたいことを言いたいように話す。彼にだけは本音を言える気がしている。死にたくても、文斗のためになら、生きていられる気がする。なぁ、文斗。

「お前にとって幸せってなんなの」

 ふと思いついた疑問を彼に投げる。文斗の中で、何が幸せなのか。俺は知りたい、もっと。彼の事、彼自身の事を。

「じゃあ、訊くけど。荘太は、何を幸せだと思ってる」

 期待して投げた質問は、跳ね返ってきた。俺にとっての幸せか。俺にとっての幸せは、波長の合う友人と一緒に過ごすこと、俺の考えを否定されないこと、否定され続けて本来の正義がわからなくなること、そして

「死ぬこと、かも。死は救済っていうだろ」

「……ふーん、そう」

彼は黙った。

俺は君の答えが聞きたい。そう願うのは、駄目なことなのだろうか。

「もう一服」と、文斗が立ち上がる。俺は、ついていくよ、と背中を追った。俺は文斗のこういうところが好きなんだ。

 外で煙を吹かす。ビル風で身体が凍り付きそうになる。俺は文斗にそれとなく近づき、暖を取る。文斗のトレンチコート越しに、彼のぬくもりを、優しさを、染み付いた甘いにおいを味わう。その味わいは深く、舌に心地がよい。

「死ぬのが幸せなら」

 彼が煙草の火を消しながら言う。水の入った吸い殻入れが、じゅわっと音を立てた。

「これ、飲めよ」

 指差されたのは、吸い殻入れだった。戸惑いながら、言葉にならない感情をどうにか表情で伝えようとする。彼はなんともないような、おおよそジョークを言ったわけではない顔で、続けた。

「こん中なら、吸いかけのまま消された煙草も随分入ってるだろうし、少なくとも煙草十五本分のニコチンは染みてるんじゃねぇの」

何言ってんの、俺は戸惑いながら言った。

「本当に死にたいなら、それくらいしてみろよ」

 あざ笑うような表情を浮かべ、文斗は言い放つ。俺を軽蔑しているような、そんな顔。

 なんだよ、お前に俺の何がわかる。行きたくもない学校に入れられ、学びたくもない学問を学ばされ、興味のないことで毎日が埋め尽くされていた。そんな状況をお前は、過ごしたことがあるのか。父親の暴力に耐えたことがあるか、母親のストレスのはけ口になったことがあるか。仲が良かったはずの友人に、襲われたことがあるか。

「お前に何がわかる」

「そのまま返してやるよ」

 文斗の瞳から光が失せていく。結局俺は、文斗のことを何も知らなかったのだ。こんなやつであることを、こいつはこんなことを言うような人間であるということを。

「死にたいなら死ねばいい、死にたいやつから死ね。風邪薬でも、除草剤でもなんでも食って死ね」

 文斗は吸い殻を踏みつけ、そのまま駅へ向かう道へ消えていった。

 それから会社で彼と関わることは減った。届け出でも出したのか、俺とは部署が変わっていた。彼を思い出すのが嫌で、煙草をやめた。

 半年ほど経った頃だろうか。街中を歩いていると、鼻につく香りがした。香りの先を見ると喫煙所がある。懐かしく思えてふらりと立ち寄ると、見覚えのある顔があった。その男も俺の存在に気付いた様で、灰を叩き落とす。ふぅと息を吐いたかと思うと男は「生きてたんだ」と言った。俺は何でもない顔で彼に近づいた。

「久しぶり。煙草、忘れちゃったから一本ちょうだいよ」

「ん、いいよ」

 差し出されたブラックデビルを右手につまみ、フィルターを咥える。散々だった別れ際を思い出し、大人げない悪意が心を染めた。

「ごめん、火もらっていい」

 俺の言葉に、彼はライターを探し出す。いやいいよ、と俺が告げると俺より高い位置の目が、不思議そうな顔でこちらを見やる。俺は可能な限りフィルターを深く咥え、吸っている最中の彼の煙草に押し当てた。彼の命を燃やすはずの酸素を奪い取る。すると、じわじわと火種はこちらに吸い付き、甘い香りが鼻腔を満たした。何を思っているかわからないような彼の表情を見て、俺は告げる。

「俺、お前の中にずっといられるかな」

 久しぶりにふかした煙が燻る。宙にのぼる煙は風に揺られ、彼の吐いた煙と混ざっていった。

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