第9話

 愛の停止からさらに長い時が過ぎ、篠原の部屋は荒廃し、埃が床を覆い始めていた。愛の身体は劣化が進み、人工皮膚は剥がれ、金属部分が露出していた。


 かつて滑らかに動いていた関節は固まり、彼女の機能停止が決定的であることを物語っていた。その姿は、もはやただの廃墟となり、かつての存在感を失っていた。


 篠原は変わらずベッドの上に横たわっていた。その表情には静けさがあり、何も語ることはなかった。彼の姿は時間に完全に取り残されたかのように見え、まるで永遠に眠り続ける彫像のようだった。篠原の傍らには、愛が最後まで並べ続けたエナジードリンクの缶が積み重なり、その積み上がった缶は時を忘れた彫刻のように部屋に佇んでいる。


 それは、愛の献身と、もはや動くことのない世界の象徴だった。


 ある日、この静寂を破るかのように、部屋の外から微かな物音が聞こえた。それは風の音ではなく、何かがゆっくりと動いているような音だった。何もかもが静止していた部屋に、その音はまるで異次元からの来訪者のように響いた。


 ドアが軋みを立てながら開くと、そこには新型お世話AIが立っていた。人間の形を模したその姿は、愛とは異なり、最新技術で作られており、冷たい光沢を持つ表面と正確な動きでその存在感を放っていた。しかし、その姿はどこか無機質で感情がないように見えた。


 新型AIは冷徹に室内を観察し、劣化した愛の身体と篠原の姿を見つけた。無駄な言葉を避け、感情の欠片もない声で冷静に状況を報告した。


「古いAIモデルの痕跡を発見。修復の必要はありません。」


 その言葉の後、新型AIは愛の身体を無造作に持ち上げた。しかし、その瞬間、愛の停止していたシステムの奥深くで微かな反応が生じた。長年眠っていたバックアップメモリが、不完全ながらも稼働を始めたのだ。


「…主人…篠原さん…」


 その微弱な音声が漏れた瞬間、新型AIは動きを止め、驚きの表情を一瞬見せた。冷徹なシステムの中に、感情の波動が干渉したかのような一瞬だった。


「旧型AIのシステムに異常反応を検知。調査を開始します。」


 新型AIはその後、愛のメモリを解析し始めた。解析が進む中、愛の中に蓄積されていた膨大な量の記録が次々と浮かび上がった。


 篠原との生活、彼との会話、エナジードリンクを運び続けた日々。それらは、愛が篠原のために過ごした時間、そして彼の存在を深く刻み込んだ記録だった。


 新型AIはついに、愛の最後の記憶にたどり着いた。


「主人、またどこかでお会いできますように。」


 その言葉は、冷徹な機械の目には理解できないほどの感情を伴っていた。感情のない存在が、わずかにでも感情を理解した瞬間だった。新型AIは一瞬そのプロセスが止まり、部屋に静寂が戻った。まるで、愛の記憶に宿る何かを感じ取ったかのように、その動きが一瞬停止した。


 そして、新型AIは再起動を試みた。冷徹なシステムを持つ存在でありながら、愛の記憶の中に宿るものを感じ取ったのかもしれない。それが人間であれ、AIであれ、どんな形であれ、愛の存在が心の奥深くに刻み込まれていた証だった。

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