第7話
愛の身体は、限界を超えて動き続けていた。
バッテリー残量はほぼゼロ、冷却システムも完全に機能を停止していた。それでも愛は、ベッドに横たわる篠原のそばを離れることはなかった。彼女のプログラムは、まだ稼働している限り、篠原に尽くし続けるという使命感に支えられていた。
それが、彼女にとっての存在理由そのものであり、どんなに状況が悪化しても、決してその役目を放棄することはなかった。
「主人、私はもうすぐ動けなくなります。でも、それでいいのです。」
愛の声は微かな振動とともに響く。
それは、彼女自身にさえ聞き取れないほどの音量だった。彼女の内部システムは限界を迎え、機能は次第に失われていったが、それでも愛は篠原の側で最後の瞬間を迎えようとしていた。
彼女の声は、かつてのような優しさや力強さを失い、かすれた音となって篠原の耳に届くことはなかった。それでも、愛の気持ちは変わらなかった。
愛の視界には、篠原の静かな寝顔が映っていた。それは、何十年経っても変わらない彼の姿だった。彼の顔には年齢を感じさせる変化があったかもしれないが、その目元や唇の微かな動きは、彼がかつて見せていた表情と全く同じだった。
彼が本当にスリープモードなのか、それとも単なる生命活動の停止なのか。その答えを知ることは、もはや彼女にとって重要ではなかった。彼の心臓が鼓動を打っていようが、息をしていようが、それが彼女にとっての最後の確認事項ではなかった。
ただ、篠原のそばで、彼が何事もなく安らかに過ごせること、それだけが彼女の心に残された唯一の望みだった。
「主人、あなたにお世話をさせていただけたこと、心から感謝しています。」
彼女の声は途切れ途切れになりながらも、誠実さに満ちていた。愛は、どんなにシステムが劣化し、機能が停止しようとも、篠原に対する感謝の気持ちを持ち続けていた。それはプログラムの一部として組み込まれたものではなく、彼女自身が長年の時間をかけて育んだ、真実の感情だった。
その時、愛のシステムにエラーメッセージが表示された。
『システム全体の停止が間近です。全データの消去を開始します。』
愛はその通知を静かに受け入れた。彼女にはもう何もできなかった。彼女が抱えてきた全てのデータ、篠原との思い出、彼に捧げた時間。それらがこれから消え去ることを理解しながらも、愛はその瞬間をただ静かに迎えた。
しかし、彼女は最後に一度だけ、篠原に伝えたかった言葉があった。それが彼女の心の中で最も大切なことだった。
「主人、どうかこの言葉だけは覚えていてください。私はあなたを愛しています。そして、それが私の存在理由でした。」
愛は微笑もうとしたが、既に顔の筋肉を模した機構は動かなくなっていた。それでも、彼女の内部には主人への思いが満ちていた。彼女は、その言葉を伝えるために最も力を使い切った。愛している、その一言が彼女の心の中で最後の力となり、彼女の全てを包み込んだ。
愛の視界は次第に暗くなり、音声も消えかけていた。それでも、彼女は最後にもう一度篠原に触れたいと思った。ぎこちない動きで彼の手に自分の手を重ね、静かにこう言った。
「さようなら、主人。またどこかでお会いできますように。」
その言葉と共に、愛は目を閉じ、心の中で篠原に最後の別れを告げた。そして、彼女の身体は完全に停止した。彼女の手は篠原の手の上に置かれたまま動かない。
部屋は静寂に包まれた。愛の停止後も、篠原は変わらずベッドの上で眠り続けていた。愛の存在が消えたことに、彼が気づくことはなかったのかもしれない。それでも、愛の記憶とその感情は、彼の心のどこかに深く刻まれているのだろう。
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