第19話 奪還任務

クレストから約一日かけて南下し、汽車に乗り継いで港町ヴァレントまで辿り着いた。


「もうこのままバカンスしたい。」


話せば話すほど一般人に見えるセシリアといるのは、リツにとっては心地よかった。

露店で購入した水着を纏うセシリアを眺める。


敵も大々的に追ってこれないことを良いことに、意外にもゆったりとした雰囲気のまま三人はエルトリアへの道中を進んでいた。



ヴァレントの街は、古くからの港町と言うことで陽気な雰囲気が漂っている。

海外からの人間も多く滞在しており、リツたちも簡単に紛れ込むことが出来た。


暗部への連絡も取れたので、数日中に新しい車を用意してもらう手はずになっている。

三人は昼食を取りに街へと出ていた。


「どうする?やっぱり海鮮?」


そう言いながらも、海岸沿いの小洒落た店に入る。案内されたテラス席は、レストランの中はハイシーズン直前で適度にごった返していた。


「フライを頼む。」


ジャックはメニューを見る事すらしない。


「海鮮は生でも美味しいんだぞ!ほら、前菜とかあるじゃないか!」


リツは久々の海の幸にテンションが上がっていた。


「海外の人はほとんど食べないって知ってるけど、一度ぐらい試せよ。」

「どうせ経費だし、好きなもの頼めば?」


セシリアは入店早々頼んだスパークリングワインを美味しそうに嗜んでいた。


「呑気だな。」


ジャックの言葉を意にも介さない様子でグラスを傾ける。

心なしか薄い赤色に頬が染まる。情報管理室でのキリッとした印象とのギャップにドキリとした。


「いいのよ、こういう時ぐらい楽しまなきゃ。」


心地よい雰囲気に緊張がほぐれ肩の力が抜ける。

そのときだった。


セシリアの肩越し、黒い上着の男がすれ違いざまに、小さな紙片をテーブルの端に滑らせる。まるで、落とし物をするかのような自然な動作だった。


セシリアは無言で紙片を拾い、さりげなくナプキンの下へと押し込む。その仕草は慣れたもので、店のざわめきの中に完全に溶け込んでいた。


「……来たわね。」


小さく囁きながら、セシリアはナプキン越しに指先で紙を撫でる。その表情はさっきまでの酔いが覚めたかのように、鋭くなっていた。


リツは視線でジャックに合図を送る。

ジャックは短く頷くと、メニューをめくるふりをしながら周囲を確認した。


「食事が終わったら、少し散歩しようかしら。」


セシリアが何気なく言う。


「いいな。腹ごなしにもなる。」


ジャックは自然な口調で返す。

敵の追跡が緩んでいるとはいえ、任務が終わったわけではない。ヴァレントの陽気な空気の裏に、確実に影が忍び寄っているのを感じていた。


「さて、少し歩きましょう。」


紙片に書かれた指令を確認しながら、三人は席を立った。

バカンス気分は、ここで終わりだ。


潮風がゆるやかに吹き、遠くでカモメの鳴く声が響いていた。

だが、リツとジャックの表情は静かに引き締まっている。


「ちょっと電話して来るから。」


セシリアが電話ボックスの中へと入ると、専用の通信機が置いてある。耳に入れて一度だけ聞けるタイプのものだ。


「………ここでお別れか。」


呟くセシリアの耳には、音声を流し終えた端末から耳障りな雑音が聞こえるのみだった。


「どうやら、私はここまでみたい。そして、貴方たちは、別件ですって。」

「別の任務ですか…。」

「ええ、追加の連絡があるはずよ。もうちょっとヴァカンスを楽しみたかったんだけどなー。そしたら、有名なヴァレンの夕陽を見れたのに。」


セシリアはそう言うと、一歩下がり、手を軽く振った。


「じゃ、またね。運が良ければ、また会えるわ。」


そのまま、海岸沿いの石畳を歩き出す。


元々何も持たないままこの街まで来たようなものだ。彼女はそのまま行くのだろう。

リツとジャックはしばらくその背中を見送っていた。そして、セシリアの姿が完全に見えなくなったとき、リツは小さく息をつき、ジャックに向かって言った。


「行くか。」

「ああ。」


彼女の残していったヒントを辿る必要がある。



§



日が沈むころ、二人の姿はヴァレントの街を見下ろす丘の上にいた。


「やっぱり綺麗な街だな。」

「男と来るのは味気ないがな。」


もう完全に日が落ちようとしている。

街頭の明かりがポツポツと光り始めた。


あたりには、景色を見に来たカップルや家族連れ、友人と思われる人たちもいる。


遠くの電柱付近から子供の方がこちらにかけて来た。

危うい足取りに気を取られていると、リツとジャックの近くで子供が転ぶ。


「大丈夫?僕?」


リツが駆け寄る。


「いやいや、孫がすまないね。」


やけに俊敏な動きで近寄って来た祖父と思われる男性に声をかけられた。


聞き覚えのある声に顔をあげる。


「あなたは…!」


そこに立っていたのは、かつて“ヴェストリアの砦”と言われたレンツェオの武人アルバートだった。


変装しているが、鋭い眼光は隠せていない。何より、変装などは慣れていないのだろう。先ほどの声はアルバートそのものだった。


「君たちの上司には話は通してある。」


彼はリツたちの前に立つと、短く言った。


「明朝、ゼルグラードへと移送される人間の保護を頼みたい。」


物騒な話だ。リツはすかさず尋ねる。


「その方は……あなたたちの仲間ですか?」


アルバートは静かに頷く。


「統合派でありながら中央の官僚として働いていた男だ。最近、政府は危険因子の撲滅に躍起になっているからな。偽の証拠で拘束され、軍の車両で中央へ送られる。」

「それを……奪還しろと?」


ジャックが眉をひそめた。


「そうだ。君たちの力が必要だ。」

「おたくでは対応できないのか。」

「今回は、国軍も本気なのようでな、こちらとしても慎重になっている。」


リツはジャックと顔を見合わせる。


「その方は本当に犯罪を犯したりはしていないんですよね?」

「リツ。」


ジャックが低く呼びかけるが、リツは真っ直ぐにアルバートを見つめていた。


(任務とはいえ、助けるべき人間かは確かめさせてもらう。)


「彼の罪状は“国家反逆罪”それも、でっちあげられたものだが、君たちが奪還に失敗すれば彼は死刑になる可能性がある。」

「冤罪ですか…。」


小さく呟くリツの表情からジャックは全てを察する。


「決まりだな。」


ジャックの言葉にアルバートの口元がわずかに緩んだ。


「感謝する。輸送車は早朝、ヴァレントを出発する。港の南端にある軍の駐屯地から出るはずだ。」


リツとジャックは視線を交わし、頷いた。


「時間がないな、準備をしないと。」

「今回はこちらからの依頼だ、必要なものは準備しよう。」


アルバートは、タバコをこちらに一本差し出す。

お礼を言って、孫役の子供を抱えると2組は別れた。



§



翌朝、港の南端。

軍の駐屯地から、一般車両にカモフラージュされた輸送車が数台、静かに発進した。


「メッセージの通りだ。」


リツは、ジャックの隣で双眼鏡を覗きながら告げる。昨日のタバコに紛れていた紙には計画の断片的な内容が記載されていた。



輸送車両は護衛車列と隊列を組んで、主要道路へと進んでいく。


「そろそろか。」


ジャックが尋ねると、リツは頷く。


「予定通りなら。」


その瞬間、後ろに控えていたアルバートの仲間が仕掛けた爆薬が遠隔起爆 される。


―――ドォォン!!!


爆発の衝撃で、先頭の輸送車両の後部から火の手が上がり、車列が一瞬停止する。

その隙に、リツとジャックは軍の車両に扮していたが、反対車線から輸送車に横付けするようにハンドルを切る。


「くっ…!」


歯を食い縛るが、体が振られる。


「こういうのは専門じゃないんだがな…!」


ジャックがハンドルを握りながら皮肉を言う。


「知ってるよ!心臓に悪い!」


リツはトラックの荷台から身を乗り出し、狙撃の準備をする。

護送車の後部ドアが開き、銃を持った兵士たちが応戦しようとする。


――パンッ!!


リツのスタン弾が先頭の兵士を直撃し、崩れ落ちる。


「もう少しだ!」


リツはすぐに飛び移り、素早く後部ドアをこじ開けた。

中には、 清潔感のある服を着た貴族の青年が拘束されていた。

青年の左右にいる男達を一瞬で麻痺させる。


「グラハムさん、逃げましょう!」


今回の奪還対象、エド・グラハムの拘束具をナイフで切る。


「…君たちは……?」


青年は驚いた顔をしているが強引に引っ張るようにしてリツは彼を引っ張り上げた。

だが、輸送車の運転手はまだ諦めていなかった。 急発進したかと思うとハンドルを切り、リツたちを振り落とそうとする。


「くそっ!」


リツが体勢を崩した。


―――ッパン。


スタンガンの銃弾を打ち込んだ。


「ぐあっ!」


男が叫び声を上げ、男のハンドルを切る手が痙攣したかと思うと、車両は周辺の車両へとぶつかりながら、最後には壁にぶち当たって止まる。


「行きましょう!」


爆発の寸前に車外へと飛び出す。

周辺の車から降りた男たちが、銃を構えるのが見える。

ジャックとリツが乗って来た車両が2人の目の前に飛び出す。


「乗れ。」


アルバートから借りた車両は一見すると何の変哲もないが、ヴェストリアの暗部も御用達の特殊防弾仕様だ。

そのまま、銃弾の雨の中を特殊車両で走り去った。


後方に追っ手がいない事を確認する。


「君たちはアルバート様の仲間か?」


エドは咄嗟にやって来たが、この奪還計画については何も知らないようだった。


「正確には違いますが、アルバートさんからの依頼で来ている事は事実です。」

「…なるほど。助けてくれた事、恩に切る。」


エドは去年まで中央で官僚として働いていたが、同僚で同じく統合派に組する者が不審死を遂げ、危険を察知して中央から逃げていたもののこの南の地で捕まっていた。


「逃げ足には自信があったんだが、このざまだ。」


エドは自傷するように笑った。


「でも、何故彼らはそこまでして、中央を離れたグラハムさんを追うんでしょうか?」

「それが分からないんだ。私だってこんなことになって混乱している。」


ジャックがミラー越しにエドを睨む。


「何があったんだ。」


エドが口を開閉する。


「いや…まだ君たちを完全に信用したわけじゃないんだ。アルバート様のもとに着くまで情報を渡すことは出来ない。」


思い詰めた様子で告げる。


「助けた人間であってもか?」

「………すまない。」


車内に重苦しい沈黙が落ちた。


ジャックはハンドルを切り、港の倉庫へと滑り込む。

そこには待機していたアルバートとその仲間たちがいた。


「アルバート様、ありがとうございます。」


エドは、深々と頭を下げる。

アルバートはよくぞ戻ったと言って、軽く彼の肩を叩く素振りをした。


安心したのか、エドが涙ぐむ。


「感動の再会中に間を刺して申し訳ないが、その男が何故狙われたかは教えて貰おう。」


ジャックの言葉に倉庫内の雰囲気がピリつく。


「借りを返せとな。」


アルバートとジャックの視線が絡み合う。


「当たり前かと。」


リツは、一触即発の雰囲気を気まずげに見つめているとアルバートが表情を崩す。


「心配するな。君たちの上司との交換条件で情報は提供することになっている。エド君、彼らはエルトリア側の統合派だ。話してくれて構わない。」


アルバートの言葉を受け、リツは内心で安堵した。

リリスが交渉をまとめているなら、少なくとも無駄足ではなかったということだ。


しかし、ジャックの視線はまだ鋭いまま、エドを一瞥する。


「なら、今すぐ聞かせてもらおうか。」


アルバートは笑みを浮かべながら腕を組むと、エドの方に視線を投げた。

エドはまだ戸惑いを隠せない様子だったが、決意を固めるようにゆっくりと頷く。


「……私が知る限りの話をしよう。」


エドは、ヴェストリアの中央官僚として働いていた頃のことを話し始めた。


「中央では以前からエルトリア共和国の内部に関する極秘調査が進められていた。

特に、近年活発になってきた”統合派の動き”と、それに関連する裏の組織について調べるためにね。」


「政府は、エルトリア政府、関連機関で特定のグループが”新たな秩序”を作ろうとしていることを掴んでいる。エルトリアの中でも主に軍の暗部が”その計画”を主導していて、彼らは巨大な包囲網を作り上げている…多分だが、君たちもそこの関係者なのだろう?」


("エバーグリーン計画"のことだ。)


リツは思わずジャックの方を見る。

直接的な言葉こそ出てこないが、その全体像に極めて近い内容が漏れているようだ。

ジャックは何も言わず、エドの話に耳を傾けている。


「当たり前だが、ヴェストリア政府は、その計画が国家の安全を脅かすものと判断している。」


エドの言葉には、明らかに警戒心が滲んでいた。


「そして、最近そのグループを特定するための特殊部隊が組まれてたそうだ。」

「それで、あなたが狙われた理由は?」


ジャックの冷静な問いに、エドは言葉を選びながら答えた。


「私は、アルバート様の依頼で、その特殊部隊に関する情報を集めていた。だが、断片的な情報のみで肝心の部分に辿り着くまえに中央を逃れた…だから、私がここまで追われる理由は無いはずなんだ。」


エドの疲れ切った表情に困惑の色が浮かぶ。

皆が黙り込んでいた。可能性として考えられるのは一つだ。


「エドさんは、無意識のうちに実は核心的な情報を掴んでいる可能性があると言うことですか?」

「…うむ、そうだろうな。国家反逆罪をでっち上げるのは骨が折れる。わざわざ、何もない人間にそこまでするとは思えん。」


アルバートは、悩み込む様な仕草をした。

エドは暗い表情で頷く。


「アジトに入ってから、私の持つ情報については再度検証を行うつもりです。いずれにせよ、今回の冤罪のでっち上げもそうですが、ヴェストリアの軍部は、事態を重く見ているようです。エルトリア共和国の統合派についても計画の関係者さえリストアップしてしまえば、暗殺や拘束も厭わないでしょう。」


これまでエバーグリーン計画が漏洩するリスクをあまり考えてこなかったが、そこに関わる人たちの命まで危険に晒される事実に緊張が走る。


「現在、私たちはヴェストリア連邦側の統合派をまとめることに注力している。しかし、私と協力関係にあった者たちも次々と連絡がつかなくなっている。」


アルバートの言葉が重く圧し掛かる。

エドも神妙に頷いた。


「通称”反逆者狩り”がヴェストリア連邦国内だけではなく、国外でも始まれば、君たちも危ない。」


関係者の保護やヴェストリア連邦の特殊部隊との戦闘となれば、やるべきことは膨大だ。

アルバートは、エドの言葉を引き取る。


「今後はより強力な情報連携が求められる。君たちのボスにも伝えておきなさい。」

「はい。」


リツは引き締まった表情で頷く。


「これで多少は、借りが返せたかな。」


話は終わりということだろう。



周辺が騒がしくなり、車両の行き交う音が倉庫内にも聞こえてくる。


「そろそろ軍が動き出したな。君たちも早めに逃げた方がいいぞ。」


アルバートの仲間の一人がチケットを差し出す。

そこは、暗部の人間も利用する非正規のエリトリア向け航路のチケットだ。

彼らも相当なコネクションがあるらしい。


彼らはそのまま、倉庫の暗闇へと消えて行った。


「帰えるぞ。」


リツとジャックは倉庫の裏手からエルトリアへと向かった。

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