2章 ただ、日々の積み重ね
第7話 一家に一人ほしい男
春休みが終わって、新学期が始まった。
茜は専門学校に入学して、俺は大学の二回生になった。
日中は授業を受けて、夕方に帰宅する。バイトは辞めているので、しばらくはこの生活が続くことになるだろう。
あの旅以降、茜はというと……
「浅葱くーん、この続きってどこに置いてあるの?」
「俺の机の上」
「あっ、あったー」
俺の家に入り浸って、漫画を読み漁っている。こたつで寝転んで、実家のようなくつろぎようだ。
ときどきお腹が出ているときもあって、そういうときはちょっと、こたつ布団をかけるようにしている。
「お茶いれたぞ」
「ありがと。すごいね浅葱くんち。ほとんど漫画喫茶じゃん」
「漫画も本棚も貰い物ばっかりだけどな」
「誰がくれたの?」
「バイト先の卒業生が、引っ越しの邪魔になるからって。そういうのをちまちま回収して、いらないのは売って、俺の生活は成り立ってる」
「わらしべ長者みたいだね」
「もらうだけだけどな」
売りに行くのは面倒だから、ほしい人がいるなら譲りたい。みたいな物はけっこうあるらしい。そして俺は、そういうものを渡したくなる雰囲気を出しているらしい。
「一時期は筋トレ道具もあったんだぞ。邪魔だから売ったけど」
「へぇ。浅葱くんが筋トレ……」
じぃっと俺の胸あたりを見つめる茜。
「なんだよ」
「浅葱くんは、今くらいでいいからね」
「なにがだよ」
何度か頷いて、茜は漫画に視線を戻す。
机に置いてあるお菓子は、彼女が持ってきてくれたものだ。それを食べながら、俺もこたつに入ってパソコンを開く。
今日出されたレポートを三十分で終わらせる。
顔を上げると、茜の持っている巻数が一つ進んでいた。
「宿題終わったぞ」
「えっ、早いね。買い物行く?」
「キリのいいところまで読んでからでいいぞ」
「大丈夫。ちょうどいいところだから」
「じゃあ行くか」
メールでレポートを提出して、上着とエコバッグを取る。炊飯器のスイッチを押してから、玄関に向かう。
茜はベージュのコートを服の上に着ると、準備万端と外に出た。四月になって、マフラーと手袋は必要なくなったみたいだ。
群青色の空。夕暮れよりも少し後の街を、俺たちは並んで歩く。
ときどき肩がぶつかり合うのは、茜が楽しそうに歩くから。
「なんかさ、こうしてると昔と変わらないような気がするね」
「昔って?」
「子供の頃。公園で遊んで、『今日は浅葱くんちでごはんだね』って、二人で家に帰ったとき。あの時の空の色とおんなじ」
「茜はうちでごはん食べるの、好きだったもんな」
「おばさんは私の嫌いなもの出さないからね」
「ピーマンはまだ嫌いか?」
「平気だよ。むしろ好き。だけどあの頃は大っ嫌いだった」
それなら俺も覚えている。ピーマンが食卓に並ぶと、茜はその可愛い顔をマフィアのようにしかめた。幼いころの彼女にとって、ピーマンは文字通りに怨敵だったのだ。
「浅葱くんは子供のころから好き嫌いなかったよね」
「ないは言い過ぎだけどな。大体なんでも食べれるってだけで」
「大人に見えたなぁ」
「それだけで?」
「そういうものでしょ。子供にとっての大人らしさって」
「じゃあ、今の俺はどう見える? あの時よりも大人か?」
茜は人差し指を口の下に当てて、ほんの数秒だけ考える。それから思いっきり背伸びして、俺の頭のてっぺんに触れた。
「頑張って――届きたい! って感じ」
「なんだそれ」
「私も浅葱くんと同じスピードで大人になるってこと」
えへへと笑う茜。俺は上着にポケットを入れて、そっと息を吐く。もう白くならない。
「俺はゆっくり行くぞ」
「じゃあ私ものんびりしよっと」
ほんの少し、歩くスピードを落としたのは、
この時間を長引かせたいと思ったからだ。
◇
夕飯を俺の家で一緒に食べる。
その習慣は、俺たちの間であっという間に定着した。一人暮らしの寂しさを、一番感じるのは食事時。だから、俺にとっては嬉しい習慣だ。
恋だのなんだのという話は、あの日から一切進展していない。
買い物から帰ってきて、冷蔵庫にものを入れたら調理開始。
「今日はなに作るの?」
「親子丼。すぐできるから漫画読んでていいぞ」
「見てるよ」
「別にいいって」
「ううん。私、料理できるようになりたいから。横で勉強してる」
「ネットにもっといい教材があるだろ」
「私は浅葱くんを見てたいの!」
「……」
閉口。
そう言われると、なにも返す言葉がない。
「玉ねぎ切るときは離れとけよ。ちゃんと離れないと目が痛くなるから」
「はいっ。浅葱先生」
玉ねぎを適当に刻んでフライパンへ。火を通しつつ、その間にもも肉を切って顆粒だしで味をつける。適当なタイミングで肉もフライパンへ投入。
「肉に下味つけるんだ」
「効果があるかはわからん。でも、ちょっと美味くなった気がするんだよな」
酒、醤油、みりんに砂糖を加えて味を作っていく。火の入れ具合も肝心だ。やりすぎると硬くなるが、鶏肉なのでちゃんと加熱しないと危ない。
肌感覚で身に着けた時間で火を弱め、溶いた卵を入れていく。ざっと馴染ませたら、蓋をして後は余熱で火を通す。
「できたぞ」
「あっという間! すごい!」
「慣れればこれくらいできる。……あ、味噌汁温め忘れてた」
朝のうちに作っておいたが、すっかり忘れていた。鍋を火にかけ、先に親子丼の盛り付けをする。
すぐに湯気の出た味噌汁をよそって、こたつに運ぶ。
「浅葱くんのごはんが食べられる生活……」
しみじみと言って、スマホで写真を撮る茜。俺が作った料理は、今のところすべて彼女の端末に保存されている。
「食べるぞ。――いただきます」
「いただきます!」
豆腐とわかめだけの味噌汁をすすって、茜の様子を観察する。
料理を食べた彼女の反応を見るのが、俺のひそかな楽しみになりつつある。
茜は味噌汁に頷き、親子丼を一口食べて目を見開いた。
「……天才だ」
「言い過ぎな」
「言い過ぎなんかじゃないよ。浅葱くんは自分の料理を過小評価しすぎ!」
「そうか?」
「全体的に優しくてまろやかな味付けで、それなのにどんどん食べたくなる中毒性がある。こんなのなかなかできないんだよ」
「茜だって――」
「私の話はやめてね」
「なんでだよ」
茜がうちのキッチンに立ったことはまだ数えるほどしかない。作った料理は生野菜のサラダのみ。実力は未知数だ。
「浅葱くん、いつから料理してるの?」
「高校生からかな。母さんも働き始めたから、俺が最初に帰ることもあってさ」
「家事力が高い……! よく見たら部屋も綺麗だし!」
「そんなに細かい掃除はしてないけどな」
「ほしい! 一家に一人ほしい!」
「家電か?」
「浅葱くんがいるだけで、生活がちょっと丁寧になるの。私の家に住んでくれない?」
「やだよ」
「じゃあ私がこの家に住む!」
「狭い」
1DKに二人暮らしはちょっとやっていけない。
茜の目がきらりと光った。
「ってことは、広ければ一緒に住めるってこと?」
「なにを考えてる?」
「部屋探すね」
「やめろ。あらゆる行程を飛ばすな」
「ちぇ。せめて隣の部屋とかに住めばよかった」
「もう十分近いだろ」
俺の家から茜の家は、歩いて五分しかかからない。これ以上近くなっても、正直あまり変わらないレベルだ。
「うーん」
茜は困り顔で、美味しそうに親子丼を食べる。困るのと美味しそうって両立できるんだ。
しばらくして、茜は深々と頷いた。
「私、ちょっと贅沢過ぎたね。ごめん。落ち着きます」
「反省とかはしなくていいって」
急にしおらしくされると、こっちが困惑してしまう。悪いことはしていないはずなのに、ちょっと罪悪感。
茜は小さな声で呟く。
「……でもね、ここから自分の家に戻るとき、いっつも寂しいんだ。家には誰もいなくて、独りぼっちな気がして」
「じゃあ、たまには帰らなくていい」
「えっ」
大きな目が、きらりと輝いた。俺は目をそらす。
「たまにな。たまに」
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