第6話 不死鳥系幼馴染

 確かに、俺の車はそれなりに広い。


 大人が二人横になるくらいのスペースはある。


「ほら、私がここに寝っ転がってもまだ半分以上あるよ。浅葱くんも余裕じゃん」


「そういう意味じゃなくてな」


 ダブルベッドほどの幅があるかわからない場所に、並んで寝ていいわけがない。


 幼馴染とはいえ、なんらかの法に抵触する行為だ。


「一回寝っ転がってみようよ。けっこう余裕だと思うから」


「……」


 あまりに引く気配がないので、とりあえず言う通りにしてみる。


 ごろんと転がる。車の天井をちゃんと見るのは不思議な気分だ。


「どう? けっこう余裕じゃない?」


 ちらっと横を見ると、すぐ近くに茜の顔があった。


 勢いよく起き上がる。


「却下。なし。俺、運転席」


「えぇー」


 上着を掴んで車の外に出る。


 海のすぐ近くということもあり、本格的に寒い。暦の上では春は春じゃない。


 だが、頭を冷やしたいからちょうどいい。


「結局誰もいないな」


 見渡す限り、RVパークに止まっている車は一台だけ。季節と、平日であることと、ここが観光地から遠いことが影響しているのだろう。


 真っ暗な海の上には月。その明かりが、思いのほか強くて視界には困らない。


 ドアの空く音がして、茜が外に出てくる。


 ジャージの上からダウンを羽織っただけだから、半ズボンで足が出ている。


「寒いだろ」


「まだシャワーでぽかぽかしてるから、平気平気」


「無理すんなよ」


「うん」


 彼女は俺の横に立って、同じように海を眺める。距離が近くで、上着同士が触れ合う。


「ほんとに後ろで寝ないの?」


「一晩くらい椅子でも問題ない」


「私が助手席いこっか」


「茜はちゃんと寝ろ」


「なんで私ばっかり甘やかすの? 私が年下だから?」


「……さあな」


 はぐらかすが、茜の言うことで間違いない。俺の方が年上で、昔からずっとそうしてきたから。俺は茜を、自分より少し大事にするようにできている。


「一緒に寝るのは嫌?」


「そういう問題じゃない。俺たちはもう子供じゃないんだから」


 波打つ音を挟んで、続きを言う。我ながら弱弱しい声で。


「そういうのは、ちゃんと好きなやつとじゃなきゃだめだ」


 まどろみを終わらせるような、冷たい言葉だった。


 幼馴染として、茜が俺を大切にしてくれるのは嬉しい。隣で笑ってくれるだけで支えになる。


 だが、それでも。


 茜の隣にいるべきなのは、俺ではないのだ。


 当の昔に別れを告げた感情を、今更掘り返す必要はない。


「そっか。浅葱くんらしいね」


 茜は――軽やかに笑った。


 俺の手をぱっと捕まえると、体重を使って引っ張ってくる。


 出来損ないのダンスみたいに足がふらついて、はずみで彼女と向き合う形になった。


「私はもう、一回負けてるから。はっきり言うね」


 月明かりの朧の中で、視線が絡み合う。



「好きだよ。浅葱くん」



 波の音が、風の音が、遠くどこかへ引いていく。


 茜が掴んだ俺の手に、きゅっと力を込める。柔らかくて、ほんのりと温かい。


 にっ、と力を込めて茜が笑う。


「これで一緒に寝られるね!」


「ちょっと待て」


 すたすたと車に戻ろうとする茜。今度は俺が、手を掴む番だった。


「待たない! だって条件満たしてるもん!」


「そんな無機質なシステムで進行するな!」


「えぇー。わがままだなぁ」


「茜がサクッと進めすぎなんだよ。全部サクッとしすぎてついていけない」


「じゃあ整理するよ。浅葱くんは『私には好きな人と寝てほしい』私は『浅葱くんが好き』これ以上ないほど意見が一致してると思わない?」


「好きって、それは幼馴染としてじゃ」


「なんでそんなこと聞くの?」


 向けられた茜の目が、僅かに潤んでいた。


 いつもの調子ではあるけれど――いつも通りではなかったのだ。茜は、必死に勇気を振り絞って……。


「ごめん」


「いいよ。いきなりで浅葱くんも驚いただろうし」


 掴んだ手がするりと抜ける。俺はもう、茜を止めなかった。


「先に戻ってるね」


 立ち止まってしまった俺は、車内に戻るタイミングを失った。


 車の中では、茜が防寒対策にシェードをつけ始めた。ガラスは隠され、車内の状況は完全にわからなくなる。


 その場にしゃがんで、頭を抱えた。


 ……茜が、俺のことを好き?


 風が一段と強くなる。


 寒い。


 寒いんだよな、普通に。


 ここで悩んでたら、しっかり風邪ひく。


 頬を叩いて気を引き締め、車に戻る。リアドアから入ると、後部座席では茜が着々と寝床を作成しているところだった。


「おかえり。浅葱くんはこっちのマットレスね。布団も用意したけど、自分の使うでしょ?」


「俺がそのマットレス使ったら、茜はどうやって寝るんだよ」


 どう見たって、彼女が現在進行形で用意しているのは一人用のマットレスだ。


「私は寝袋があるから!」


「なんで俺のマットレスまで用意したんだよ……」


「浅葱くんのことだから、後ろで寝る準備なんてしないだろうなぁって」


「俺のことを理解しすぎだろ」


「えへへ。でしょー」


 ぺたんと座って、へにゃりと笑う茜。


 咄嗟に口の中を噛んで、表情が崩れそうになるのを堪える。


「私は寝袋。浅葱くんは布団。これで安心して寝れるね」


「そう……だな」


 これを否定できるほど、俺の意思は固くないし、意固地になる理由もなかった。


 おとなしく敷いてもらったマットレスに腰を下ろす。


「今日はありがとね。浅葱くん」


「俺の方こそ、ありがとうな」


 茜の指が、車のライトにかかる。明かりが消えて、真っ暗になった。


 ガラスに目隠しをしているから、本当に真っ暗だ。音だけがお互いの存在を主張する。


「おやすみ」


「おやすみ。茜」





 五時に設定したアラームで、俺たちは目を覚ました。


 シェードを外して布団を片付け、顔を洗って歯を磨く。着替えも済ませたら、昨日のようにテーブルと椅子を外に出す。


 ケトルでお湯を沸かして、コーヒーを二杯用意。


 完全防寒の上にブランケットをかけて、ほっと一息。冷えた透明な空気が心地よい。


 起きてからの茜は静かで、どこか緊張しているようだった。椅子に座ってからも、じっと水平線を見つめている。


 ――綺麗な思い出を確かめるため。


 その思いの切実さに、水を差すような真似はするまい。


 寝て起きたおかげか、昨晩のような混乱はない。頭の中は落ち着いている。


 ただ、これからのことはわからない。わからないということだけ、明確にわかっている。


 青い水平線が、じんわりとオレンジ色に染まっていく。


 輪郭を見せた太陽が昇っていくのを、俺たちは見守っていた。


 初日の出でなんでもない。ありふれた、春休みの日の出。


 茜の横顔は、穏やかだった。


 太陽が完全に水平線の上に出たのを確認すると、椅子から立ち上がって大きく伸びをした。


「あー、すっきりした」


 茜の全身に生気がめぐっていく。太陽を指さして、彼女は笑った。


「思い出、ちゃんとあったよ」


「よかった」


 俺は椅子に座ったままで、こぼれた微笑みを返す。


「さーて。朝ごはんにしよっか!」


 軽やかな足取りで、茜は車に向かっていく。


 逡巡して、俺はその後を追いかけることにした。


 バックドアを開けて、トランクから朝食用のパンを取り出す茜の横に立つ。


「どうしたの?」


「……あのさ、茜」


 タイミングはいつでもよかった。別に、今じゃなくても。それでも、伝えるべきことだから。なるべく早いうちに言おうと決めた。


「茜が好きって言ってくれたこと、ちゃんと考えるよ。……でも今はまだ、恋愛とかは考えられないんだ」


 茜は大きな目で何度か瞬きをして、それから大きくうなずいた。


「だいじょうぶっ! 私もお父さんのせいで、ちょっと男性不信だから!」


「それ大丈夫じゃないだろ!」


 なんでグッドポーズが力強いんだよ。


 茜はパンの入った袋を持って歩き出す。俺はドアを閉めてから、そのあとに続く。


「信じられるように、信じてもらえるように、たくさん一緒にいようよ。今度は絶対、浅葱くんを逃がさないから」


「……別に、逃げたことなんてないけど」


「進学した!」


「進学はするだろ!?」


「彼女も作った!」


「ほしかったからな!」


「でも別れた! よっしゃ!」


「えぇ……」


 俺はいったい、どんな反応をすればいいんだ。


 不幸を喜ばれてはいる。だが、茜は俺をそこから引っ張り出そうとしてくれている。


 こんなに近くにいるのに、ずっと近くにいたのに、俺はいまだに茜に振り回されている。


「覚悟してね、浅葱くん」


「なにを」


 朝日を背負って、茜は不敵に笑う。


「敗北を知った幼馴染は、強いんだから」

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