第8話 友達は純愛厨

 俺の家は漫画喫茶として周知されている。


 営業時間は俺が家にいるとき。予約は受けていない。来たいなら、大学の講義終わりに声を掛けるのが暗黙の了解らしい。


「アサーギ、久しぶりにお前んち行っていいか?」


 隣の席で講義を受けていた金髪の男。船見ふなみ総一郎そういちろうが言う。


 船見は少女漫画が好きで、うちに来るときは紅茶や洋菓子を持ってきてくれる。チャラい見かけに反して上品なやつで、一回生の頃からよくつるんでいる。


「いいよ。……いや、よくないな」


「なんだその返事? 急用でもあんのか」


「そういうわけじゃないけど。参ったな」


 春休みで大学がなかったから、すっかり忘れていた。俺の家はもともと、けっこう人の出入りがある場所なのだ。


 だが現在は、我が幼馴染の茜が第二の家としている。日によっては俺の家にいる時間の方が長いので、第二の家ですらないかもしれない。


 合鍵は渡していないが、俺が帰宅する時間は共有している。なにもなければ、今日も茜は来るだろう。


 船見は首をかしげる。


「都合悪いなら、無理にとは言わないぜ」


「確認してみる」


「確認?」


「ちょっといろいろあってな。決まったらメッセージでもいいか」


「ふうん。わかった。んじゃ俺、家戻っとくわ」


「悪いな」


 船見とはかれこれ一年の付き合いがある。幼馴染が家に住みついているから、もう来ないでくれとは言いたくない。


 講義室から船見が出ていく。がらんとした教室の隅で、俺はスマホを取り出した。


 茜に連絡を取る。この時間なら、彼女も学校は終わっているはずだ。


『うちに来たいって友達がいるんだけど、茜はどうする?』


 即既読からの返信。


『女?』


 画面越しにも伝わってくる圧力。


『男だよ。大学の友達』


『…』


 この反応は予想していた。


 茜は俺を信用していないわけじゃない。ただ、父親の件があったから男という生き物を信用していないのだ。


 俺と同じだ。だから、このくらいで傷ついたりはしない。


『今日も来るだろ。会って確認したらいい』


『行ってもいいの? 私がいたら邪魔じゃない?』


『会えば安心だろ。そいつも嫌がったりはしないだろうし』


『そっか。じゃあ、いつも通りに行こうかな。何時ごろに帰るの?』


『五時にはいる』


『はーい』


 やり取りを終えて、船見にもメッセージを送る。





 先にインターホンを鳴らしたのは、茜だった。


 いつもよりばっちり髪を巻いている。学校帰りに整え直したのだろう。気合が入っているのは確かだ。


「私が先?」


 ぱっと靴の並びを見て尋ねてくる。俺が頷くと、茜はほっとしたようだった。


「よかった。こういうのって、初動が命だからね」


「そういうのじゃないと思うが」


「わかってないなぁ。浅葱くんは」


 コートを脱いで手洗いうがいをすると、茜は迷うことなくこたつに入る。


 いつものポジション――俺の向かい側とは違う。右横になる場所だ。


「今日からここが私の定位置だから」


「ああ……場所争いか」


 茜の言わんとしていることがわかった。


「浅葱くんの隣は私」


「左隣もあるけど」


「そこは永久欠番」


「こたつにその制度を導入するな」


 ただの無駄な空間が出来上がるだけだ。


「ふんっ」


 唇を尖らせて、自らの領土を主張する茜。今日の彼女は臨戦態勢だ。


「ミルクティー飲むか?」


「飲む」


「ちょっと待ってな」


「浅葱くん。今日って晩御飯、一緒に食べていいの?」


「いいもなにも、いつも通りだから食べていけよ。船見――今から来る友達、あんま長居するタイプじゃないし」


「そうなんだ。……よかったぁ」


 茜はいくぶんか警戒を緩めたようで、机の上に腕を伸ばす。


 思ったより船見の到着は遅い。茜の前にミルクティーを出して、俺はパソコンを取り出す。


「浅葱くんは今日も宿題?」


「こういうのは、すぐ終わらせるに限るからな」


「偉いね。偉すぎて私は不安だよ」


「なにが?」


「女の子たちから『宿題見せて!』って言われてるんじゃないのかなって。そこから恋に発展しちゃうんじゃないかなって」


「考えすぎ」


 宿題やっただけでモテたら苦労しない。むしろ学校という空間は、宿題をギリギリまでやらない奴のが活き活きするようになっている。


 俺みたいに静かに終わらせると、誰からも気がつかれない。


「宿題の話題に参加するには、『宿題まだ終わってない』って前提条件が必要なんだよ」


「あー。それはあるかも」


 茜は腑に落ちたように頷くと、ミルクティーを飲む。彼女の明るい茶髪は、たぶんミルクティーによって染められている。


 茜がちらっと俺を見た。口先だけ動かして、


「実は今日ね。泊まりの――」


 インターホンが鳴った。


 船見が来たようだ。


 玄関ドアを開けて、俺は思わず口を開けて固まった。


「ちょーっす」


 そこに立っていたのは、ばっちりスーツ姿で決めた男だった。さっきまで適当だった髪も、なぜかワックスで固めている。


 口調だけ普段通りなので、違和感の集合恐怖症になりそうだ。


「いやぁ。やっぱちゃんとした革靴って歩きづらいな。やっすい方が使いやすいわ」


「待て待て。なんでそんな格好で来た」


 船見は右手を軽く振って、気障な笑みを浮かべる。


「なぜってそりゃあ、こういうのは最初が一番大事だからさ。できる男は、手を抜かないもんだぜ」


 船見はちらっと玄関に並んだ靴を見る。


「嬉しいぜアサーギ。お前が俺のこと、そんなに信頼してくれてたなんて」


「お前はなにを言ってるんだ」


 困惑する俺に対して、船見は肩を叩いてくる。


「そんなに隠すなブラザー。このドアの向こうにいるんだろう?」


 いつの間にか船見の中で俺はブラザーまで昇格している。頼むから友達のラインを超えないでくれ。


 そんな俺の願いを置き去りにして、スーツの男はリビングに足を踏み入れる。


 こたつに座っている茜を見ると、船見は勢いよく言った。


「事情は把握している。問題ない。俺が二人の証人になろう! 婚姻届けはどこにある?」


「待て待て待て」


 船見の肩を掴んで、リビングから引きずり出す。そのまま玄関の外に出て、冷たい空気にバカの頭を当てることにした。


「なにをするんだアサーギ! やめるんだアサーギ!」


「落ち着け。いや、くたばれ」


「急転直下すぎるぜ!」


 アパートの廊下でスーツ男と向かい合う。


 こいつは一体、どんなファンタスティック思考回路で婚姻届けなんて発想に至ったのか。


「ちゃんとハンコ持ってるぜ! シャチハタじゃないやつ!」


「いらんいらん。漫画読みに来ただけだろ」


「俺はアサーギの微妙な態度にピンと来たんだぜ! こいつ、家に女がいるってな。少女漫画で鍛えたセンサーがビンビンに反応してたぜ」


「のわりに効果音が男子中学生すぎるって」


 少女漫画から学ぶべきことはもっとたくさんあるだろうに。あろうことか船見は、メルヘン方向に極振りしてしまっているらしい。


「とにかく、婚姻届けとかではないから。落ち着いてくれ」


 船見は不服そうに眉をしかめて、やっとなにも言わなくなった。


 改めて、紹介するために家に入れる。


 茜はこたつの中で固まったまま、顔を赤くしていた。


「驚かせてごめんな。こいつは船見。大学の友達で、見ての通り男だ」


「船見です。アサーギとのことで悩みがあれば、なんでも俺に聞いてくれ」


「こいつにだけは相談しないでくれ」


「相談します!」


 俺の願いをガン無視して、茜が勢いよく立ち上がる。


「茜って言います。よろしくお願いします」


「なかなかに見る目があるじゃないか。さすがはアサーギのフィアンセだな」


「フィ――っ」


 茜は再び固まって、顔を赤くする。


「そうじゃなくて、茜はただの幼馴染」


「幼馴染。いい響きだ……」


「どこに喜んでるんだ気持ち悪い」


 船見は顎を撫でて穏やかに噛みしめている。「幼馴染、ふむ、幼馴染か……いいな。実に純愛だ」と。


 一方で茜は、じっとりした目で俺を凝視していた。


「ただの幼馴染なの?」


「……ただの幼馴染ではないです」


 圧に負けて重く訂正する俺。


 はい。ただの幼馴染とは思っておりませんとも。


 パン


 拍手で場を区切ったのは、船見だった。


 中身の見えない紙袋をテーブルに置いて、俺と茜へ笑顔を向ける。


「ケーキを用意したんだ。この素晴らしい出会いを、祝おうじゃないか」


 茜はぱちぱちと手を叩き、船見はそれに気障な礼を返した。


「ありがとうございます! うわぁ、美味しそう!」




 ……まあ、良かった。のかな。

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