第10話 幽鬼の正体

 皆が寝入ると、音は燭台に灯る火と共にスウッと消えていく。

 ここは壁も厚く、贅沢すぎる広さがあるからだろう。ただ静まるのではなく、鋭い刃をキィキィと研ぎ澄ましている様に思えた。

 そしてその刃は、部屋を覆い尽くそうと落ちる濃藍の闇に乗せられる。

 肌の表面がソーッと削られていくみたいだ。


 私は殺している息を途切れさせ、フッと小さく吐き出す。


 違う、そんなちゃちなものでこの身が削られる訳がないのよね。

 この身をゾクゾクと削れるのは、現れる敵を待つだけだ。


 私は狩人さながらに身を縮ませ、現れるであろう敵をジッと待つ。


 ふわりふわりとたなびく雲に覆われ、月の光が差し込まなくなった。

 静寂と言う刃を持った濃藍の闇が、更に力を増した。

 その時だった。


 ぐわっと神鬼の血が高ぶり、私の視界にユラリと蠢く影が映る。


 ……来たっ!


 私が思うや否や、ゆらりと蠢いた影はゆっくりと上がっていく様に伸びた。

 それはじわじわと人の形を取り始める。スヤスヤと心地良く寝息を立てる桜韡様の枕元に立つ時には、すっかりと形を成していた。


 私はバッと飛び出す。その文字通り、桜韡様がお休みになる寝所の天蓋てんがいから飛び出したのだ。


 頭上から不気味に現れる影に、幽鬼の女は「ん?」とでも思ったのだろう。

 そうしてかち合う、視線。


 彼女の双眸は、大きく見開かれた。おかげさまで良く映る、「こんばんは♡」って言わんばかりの、が。


 幽鬼の女は、ヒッと息を小さく呑んだ。


 ん~。これは私の笑みが怖いからじゃなくて、上から突然現れた驚きからよね?


 なぁんて思いながら、私は強張りと言う隙を作ってくれた女の後ろに素早くトンッと着地し、影を踏みしめた。


 これで影と言う逃げ場が潰されたから、あとはもう鬼の牙に囚われるだけね。


 私は反応に遅れて固まるばかりの女の身体を、パッと素早く取り押さえた。

 あまりにも呆気ないし、猛っていた感覚が「こんなものか、まだ足りんぞ」と不満を訴えまくるけれど。この女が桜韡様の寝所に現れ、私の双眸に映った時から、すでに感じ取っていた。


 この女は、抵抗する力も脳もない奴だって。


 私は幽鬼の女をがっちりと捕らえたまま「桜韡様」と、床に伏せってもらっていた桜韡様に声をかけた。


 桜韡様は私の声を聞くや否や、むくりと起き上がる。そしてこちらを見た瞬間、安堵を広げていた顔がじわりと驚きに歪んでいった。


「燈花、その者は……」


 桜韡様が驚かれるのも無理はない。

 如何せん、桜韡様が言っていた「黒くて分からない」と言う特徴が、そのまま当てはまる女だからだ。

 顔も、衣服からはみ出る肌色も真黒で染まっている。形付ける輪郭も揺蕩う影でぼやかされているので、姿はまさしく幽鬼と言えよう。


 私は、その女をぐいと少し突き出す様にして「この者が、桜韡様を毎夜苦しめていた女です」と、ハッキリと告げる。


「そして、この者は人間ではありません。あやかしの影女かげおんなです」




 私が捕らえた女は、小苑しゃおえんと言い、叙嬪じょひんと言う妃に仕える下女であった。※嬪は、貴妃より二つ下の位です。


 そもそもの話。私達みたいなあやかしが妃に仕えるなんて、と思うかもしれないけど。


 我が国の皇帝は、実にお優しい方なのだ。

 攞新から流れ者が多くやって来る済華国だからこそ、人とあやかしの共生は必要不可欠であり、不可能ではないはずだと言う考えを実行に移してしまう程なのだから。その優しさがよく分かるだろう。

 そしてそんな優しさを持つ御方の花園であれば、あやかしが人と交ざり働いていても何の不思議もない。寧ろ、さきがけとして当然と言うべきだ。


 捕らえられた小苑はがっくりと項垂れながら「叙嬪様の為です」と、弱々しく自白し始める。

「叙嬪様は実にお優しく、大変美しいお方なのに、帝からの寵愛が向けられません。その原因は、ひとえに琅貴妃が帝の寵愛を独り占めしているからだと思いました。なので、琅貴妃を陥れれば、その寵愛は叙嬪様の元に行くと考えました」

 小苑の口ぶりは弱々しくも、淡々としたものだった。叙嬪様に強い忠誠心を持っているが故、桜韡様を苦しめている罪の意識がまるでないのだろう。


「私は影女ですので、寝所であろうが忍び込む事は造作もありません。影を伝って動き、琅貴妃様を苦しめておりました。侍女達が来ると面倒でしたので、人が居ない時に忍び込み、深い眠りに陥らせる香を置き、焚かせていただきました」

 赤裸々にされる悪事だけれども。影女の下女が一人で、こんな事をにやらかすとは思えない。


 小苑が叙嬪への強い忠誠心を持っている事が分かるからこそ、その疑念は余計に強まる訳で……。


 私はふうと小さく息を吐き出してから「此度の件に、叙嬪様は関係ないのですか?」と尋ねてみた。


 すると小苑は項垂れていた頭をバッと上げて「はい」と、きっぱり答える。

「叙嬪様は関係ありません。私が、独断で行った事です」

 毅然とぶつけられる、叙嬪の潔白。そして「そんな失礼な事を言うな」と言わんばかりの、禍々しい苛立ち。


 ううん、この様子じゃ「そう」なのかなぁ。

 私は険しい面持ちで小苑を見つめる桜韡様をチラッと窺った。


 桜韡様は私の視線に気付くと、スッと物憂げに目を落とす。

「政治に派閥があるように、後宮にも同じものが存在します」

 故に。と、意味ありげに言葉を区切ってから、落ちていた視線をスッとあげて私をまっすぐ射抜く。

「その者が言う様に、、私を苦しめよと命じた訳ではないでしょうね」

 ただ、伝っただけでしょう。と、桜韡様は静かに言った。


 成程、つまり小苑の主である叙嬪の「上」が居ると言う事ね。

 そしてその上は、皇帝の寵愛を得る桜韡様と敵対関係にあり、桜韡様を寵妃から引きずり下ろそうとしている。


 その策の一つとして、同じ派閥の叙嬪を上手く唆したか、徒党を組んだのだろう。

 まぁ何にしろ、叙嬪は黒幕の策に乗り、上手く事を運べる且つ自分を庇う程の忠誠心を持った下女を宛がっただけなのだ。


 現に、小苑は「叙嬪様は関係ない」と言い切っているし、私だけを罰してくれ状態になっている。


 つまり黒幕である妃と叙嬪は「何の事やら」と、シラを切れる立場に在り続けられると言う事だ。

 関与の疑いを向けても、陰湿な謀を巡らす妃達はきっと簡単に小苑を見捨てるだろう。

 悪事が露見した下女であり、あやかしでもある彼女を護るは一切ないからだ。


 こちらは護っているのに、あちらには簡単に切り捨てられてしまう。小苑は、本当に見事なトカゲの尻尾だわ。

 小苑を見つめる眼差しに、憐憫がじわじわ注がれていく。


 そんな憐憫を受け止める事なく、小苑は呼ばれてやって来た刑吏に連れられて行ってしまった。

 抵抗もせずに、静かに死地へと向かって行く背を見送っていると。桜韡様が「燈花」と私の名を呼んだ。


「ここはね、こう言う所なの。ただ美しいだけじゃ、咲き続けられない場所なのよ」

 悲しげに告げる桜韡様の横顔から、私は痛感する。


 他人を踏みにじってでも愛を得ようとする恐ろしさと、これからの私が対峙するであろう陰湿な悪を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る