第11話 後宮・呪護師VS……?

 小苑の一件後、桜韡様の身を貶めようとする者が居なくなった……と言いたい所だけれど。後宮と言う伏魔殿は、そんなに甘っちょろくはないのだ。



 私はある「気」を感じ取り、サッサと軽やかに動かしていた箒をピタッと止めた。

 そして主人である琅貴妃ろうきひ桜韡いんしぇ様の元にパタパタと駆けつけ、サッと膝を突いて許可を求める。


「桜韡様。使が来ました故、少々外れてもよろしいでしょうか」

 嫋やかにお茶を嗜んでいた桜韡様は私の一言に、ピリッと強張り、「またなのね?」と言う失望じみた問いを無言で訴えてきた。


 私はコクリと静かに頷く。


「そうですか、分かりました。ですが気をつけなさいね、燈花」

 こんな下女相手でも慮ってくれる桜韡様の優しさには、本当に顔が緩やかに綻んでしまうわね。


「はい。承知致しました、桜韡様」

 破顔をそのままに、サッと拱手して答えるや否や、私はパッと踵を返して駆け出した。


 そして桜韡様の居間に向かってそそくさと歩いていく医官の横を通り過ぎようとした、刹那。

 私の手の平が瞬く間にギュッと強く丸められ、ぶんっと相手の顎に向かって穿たれる。


「医官の振りをすれば潜り込めると思ったら、大間違いよっ!」

 ドンッと相手の顎に入る、綺麗な一閃。


 かと思ったけれど、相手の手がパシッと私の拳を掴んでいた。ギチギチッと鈍い音を立てて、私の拳が相手の手の平から受ける力と拮抗する。


 嘘でしょ。不意打ちが見切られたばかりか、受け止められてしまうなんて。こいつ、ちょっと強いわ……!


 ギチギチと拮抗して唸る拳と相手に視線を交互に向けると。相手は、にんまりと得意げな笑みを広げて私を見据えていた。


「成程、成程。前の奴等が骨を折る訳だ。鬼の女が護衛に付いているのだ、簡単にはいくまいよ」

 同族でなければ、貴様を押さえ込むのは難しい所だろうなぁ。と、相手の男は私の拳をグッと押し出しながら、癪に障る笑みをこれでもかと言う程見せつけてくる。


「同族、ねぇ」

 沸々と煮える苛立ちに塗れた私はわざとらしく言葉を区切ってから、相手の余裕を冷めた眼差しで射抜いた。


「確かに、同じ鬼ではあるみたいだけれど。数少ないお仲間って訳じゃないわねぇ」

 私がフッと鼻で笑うと同時に、ギチギチッと唸っていた拮抗が破られる。


「な、何? !」

 相手の顔が嫌な驚きと困惑でぐにゃりと歪み、受け止めていた手の平がドンドンと自分の顔へ近づいていく。何とか押し返そうとしているのか、受け皿からグッと力が込められた。

 そればかりか、余裕を纏っていたはずの片手がギュッと丸まって、私の顔に突っ込んで来る。


 けど、こんな悔しさを猛々しくぶつけられてもね。何のそのってもんなのよ。


 私はパシッと相手の拳を受け止めた手の平をギュッと力を込めて丸め、グッと押さえつけた。

 私の手の平の内で可愛らしく丸まる拳から、バキバキッと嫌な音が弾ける。


「ぐああっ!」

 本当に苦しそうな呻きを浴びせられるけれど、私は容赦なく追撃に入った。

「同じ鬼族でもね、神鬼わたしを同列に語ろうなんてしない方が良いわよっ!」

 苦悶で緩んだ手の平から拳を素早く抜き、相手の顎を真っ正面から穿つ。


 痛みと悔しさに滲んでいた相手は、突かれた隙に対処出来ず、文字通りに面食らった。

 ゴッと鈍い音が痛々しく響いて、数秒後。

 鬼の男はぐるんっと白目を剥いて、ぐらりと後ろへ倒れ込んでしまった。


 私が折れた拳を握りしめているおかげで、大理石が敷かれた床に思いきり頭を直撃するなんて言う、第三の悲劇には見舞われなかったけれどね。


 私はふうと呆れたため息を吐き出してから、倒れた男を冷めた目で睥睨する。


「前回は人間の暗殺者だったけど、今回は鬼の暗殺者……一体、誰がこんな奴等を放って、桜韡様を殺そうとしているのかしら」

 考えれば考える程、桜韡様を害そうとする容疑者は沢山出てくる。


 でも、その内から黒幕を絞り込む事は、私の力じゃ出来ない。

 ここに巡らされる悪意と殺意は、軍場いくさばの様に直接向かってくるものではないから。


 まぁやっぱり、鋭敏と呼ばれている神鬼の力は間接的なものや間怠っこしいやり口には、めっきり弱いって事なのだ。


 私は「うーん」と唸りながら、頭を抱える。

「これだから神鬼は単純馬鹿って言われちゃうのよ」

 本当にどうにかしないといけない部分だわ。と、切羽詰まって独りごちた刹那。


「素直で実直な所は君の可愛い所だろう、なおす必要はないと思うが?」

 突然後ろから聞こえる、艶やかで低い声。


 私はギョッとして振り返り、そして


「ギャアッ!」

 老若男女を立ち所に虜にしてしまう程の美顔に、可愛げのない大絶叫を浴びせてしまった。


 麗しの御仁こと弘惇様は「そんなに驚かせるつもりではなかったが」と、ピシッと強張った笑みを浮かべて言う。

「ギャア、とはね……」

 嫌に含みがある言葉を物憂げな笑みで紡がれると。急激に、私の首と心臓がゾワッと冷たくなった。


 まるで「死」が訪れた、不気味な冷たさ。


 私は慌てて深々と頭を下げ「申し訳ございません」と、弁解を紡いだ。

「急に背後に立たれたものですから、驚いてしまいました。本当に、驚いてしまったが故に、ギャアと飛んでしまったのです。決して、その一言を飛ばそうとは思っていなくて。えぇ、そうです。えぇ、本当に驚いてしまいました」

「そんなにただ驚いただけとまくし立てられると、何か別の感情が裏にある様に思えるけれど?」

 思わず、ギクッと身体が強張ってしまうが。すぐに図星と言う綻びを取り繕って言った。


「いいえ、そんな事は」

「今、少し強張らなかったかい?」

 柔らかくもスッと側められた目、おかしいな? と言わんばかりの口元。


 私は内心で「ヒッ、バレてる!」と、彼の鋭さに戦いてしまった。


 けれど、勿論、またギクリとするなんて言うヘマはやらかさない。


 私はゾワゾワとする気持ち悪さを押さえ込んで「いいえ」と、首を横にぶんぶんっと振った。

 そして「そんな事より」と話を別方向へぶっ飛ばし、「弘惇様」と彼をまっすぐ見つめながら名を呼ぶ。


 すると、どう言う訳かは分からないが、弘惇様に広がっていた苦みがパッと晴れた。


「うん、何だい?」

 急激に上げられた機嫌をそのままに答える弘惇様。


 私の心で「本当に何だろう、この人」と、辛辣且つ冷淡な突っ込みが生まれてしまった。

 まぁ、それを正直に言い伝える訳にもいかないので留めおくだけだ。私の心と言う、秘密の隠し場所に。


「……桜韡様を暗殺しようと企む鬼を卒倒させましたので。慎刑司しんけいしへの連行をお願いします」※慎刑司は所謂、処刑・拷問とかを担い、罪人を扱う部署の事だと思います。


「鬼を倒した、か。流石だね、燈花」

 君が呪護師として居てくれて、本当に良かったよ。と、弘惇様は微笑んで言った。


 そんなにこやかな弘惇様の後ろでは、千棃様達が命じられる前にパパッと動いている。


 私は後ろでそそくさと動く有能な部下達に「弘惇様より、この方達の方が優秀じゃない?」と言わんばかりの眼差しを向けてから、彼からの称賛を「ありがとうございます」と素直に受け取った。


 すると弘惇様の口から、フッと小さな笑みが零れる。


「やっと、俺の言葉をまともに受け取って貰えた気がするな」

 君はいつも受け取ってくれないから。と、随分余計な一言が付け足された。


 失礼な、とは思うけれど。まぁまぁ失礼を働いているのは事実なので、ここは黙っておこう。


 私はうんうんと頷いて、唇を一文字にキュッと結んだ……が。

「あの時も辛うじて、と言う感じだったからなぁ。実質、今日が初めてと言う形に思える」

 懐かしそうに紡がれる言葉で、一文字に結ばれた口がパッと大きく開かれてしまった。


「あの時、とはどういう事ですか?」

 弘惇様の「今日を祝日にする様に、父上に願い出てみようか」なんて気味の悪い言葉は完璧に無視して、ギュッと眉根を寄せて尋ねる。


 弘惇様は目をぱちくりとさせてから、すぐに柔らかく相好を崩して答えた。

「あの時は、あの時だよ」


 ……だからいつの事よ。

 答えになってない答えに憮然としてしまった。そればかりか、「全く、身に覚えがないのですが。あの時なんて」と刺々しい突っ込みも、口めがけて急速に駆け上がっていく。


 すると、トンッと開きかけていた唇を封じる様に美しい指先が軽く触れた。


「今は鮮烈じゃない記憶かもしれないが、直に思い出すさ……俺が側に居るのだから」

 唐突にドキッと、胸が何かに貫かれる。


 気味の悪さもあるはずなのに。こんな艶やかに、こんなに甘い台詞を美麗な顔で囁かれてしまえば、不思議と「トキメキ」とやらが勝ってしまうのだ。


 つまり今の私は、彼が放つ魅力に囚われてしまったのである。

 ドキドキと高ぶる鼓動を聞きながら、ピタッと線を固めた瞳で微笑む彼を映してしまう。


 弘惇様は、そんな私にフフッと艶っぽい笑みを零し、ツツツと私の唇を優しくなぞる。


「ゆっくりと君の記憶に、そして心に。強く刻まれる事になるだろう」

 それとも。と、弘惇様は囁く様に告げる。

「俺と言う赤い呪いからは、逃げだしてしまうか? 愛らしい呪護師殿よ」


 あらゆる魔と戦う呪護師であり、どんな形であれ勝負をふっかけられたら乗ってしまう神鬼の前で、彼は言った。

 言ってしまったのだ。


『……良いわ、受けて立とうじゃないの。その勝負』

 意地悪く向けられた挑発に、メラリとやる気の炎が猛る。


 私はキュッと唇を結んでから、満足げに佇む弘惇様をまっすぐ射抜いた。


「かかってくるのが呪いであれ、なんであれ逃げるなんて事はしません。喜んで、受けて立ちましょう」

 ふんと鼻を鳴らし、きっぱりと宣誓する。


「負けませんからね、私は」

「あぁ、俺も負ける気はないよ」

 弘惇様は、ニヤッと口角をあげて答える。


 一体、どちらが先になるだろう。彼と言う魔に私が音をあげるか、私と言う魔に彼が白旗を揚げるか。それとも、また別の結果になるか。


 今は、まだ分からない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る