第9話 神鬼は見抜く
「数週間ほど前からね。いつの間にか、幽鬼の様な女が私の枕元に立っているの。許さないとか、貴妃から降りろって言う恨み言を呟きながら、ぎゅうっと私の首を絞めるのよ。勿論、助けを呼ぼうとするのだけれど。金縛りにあったかの様に動けないし、声が出なくなってしまって。でも、苦しみもがいている内に、その女は急にフッとどこかへ消えてしまうのよ」
「……失礼ながら、寝所に見張りは立っていないのでしょうか?」
「扉の外に
桜韡様からチラッと弱々しい視線を受け取った蕊恋様は「恥ずかしながら」と、俯きがちに答える。
「眠りについてしまって、確認出来ずにいます。何が何でも起きていようとしているのに、いつの間にか眠ってしまって……何一つとして桜韡様のお力になれないのが、悔しくてなりません」
成程。道理で、そうも言い辛そうに話す訳だわ。主人を襲う幽鬼の姿を確認出来ないどころか、襲われている間も寝入ってしまっているって言う状態だものね。
どうせ、甘えで睡魔に耐えきれていないのだろうとは思ったけど。彼女の手に目を落として見ると、何が何でも起きていようとしている奮闘の痕がある。だからこの話は、甘えでも言い訳でもなく、本当に「いつの間にか眠らされている」のだわ。
私はもごもごと恥じ入りながらも憤然とする蕊恋様に、「成程」と小さく頷いた。
「では、桜韡様。現れる女の特徴を教えてくださいませんか?」
「それがね、特にないのよ」
分からないって言う方が近いかもしれないわ。と、桜韡様は重々しいため息を吐き出して、肩を落とした。
「分からない、ですか?」
「えぇ、ただ真っ黒と言う事しか分からないのよ。闇夜に現れるし、苦しげな視界で見ているから、そんな浅い認識しか得られないのだと思うのだけれど」
……桜韡様の前にしか現れない幽鬼の女。真っ黒。いつの間にか枕元に立つ。
皇帝の通いがない日に現れる。側に居る蕊恋様は起きていようとしても眠りについてしまう。桜韡様はまるで金縛りにあっている状態になる。
私の脳内で、雑然と散らかる事柄を纏めようと、思案が巡り始めた。
今回の出来事は、夢幻の様な存在が悪さをしている訳じゃない。間違いなく、実在している誰かの仕業だ。
手の痕がくっきりと刻まれているし、その手に強い殺意が込められているのが何よりの証拠だろう。
そして次に大切な事実は、その殺意を抱く者がこの宮には存在しないと言う事だ。
持っている才覚のおかげで、そんな奴がこの宮に存在していたらすぐに分かる。でも、今その才は「ここには居ないぞ」と、ひたすら地団駄を踏んで不満を零している。
つまり、これは懍璉宮の者以外の仕業だ。
けれど外に居る誰かが寵妃の寝所に。いや、この宮に忍び込む事自体が容易ではない。寵妃の宮は警備が厚く、宮の造りも寵妃の安全に特化しているからだ。
それでも忍び込めてしまう幽鬼の女……一体、誰だろう? そして、どこからやって来るのだろう?
ぐるぐると回っていた言葉が、疑問と言う形にじわじわと収束していく。
私はキュッと唇を結んでから、「桜韡様」と彼女の名をキッパリと呼んだ。
「大変失礼だとは思いますが。一つ、頼みがあります」
「何でも言ってちょうだい」
桜韡様は朗らかに許可して、私に先を進める。
私は「ありがとうございます」と礼を述べてから、桜韡様の望む「先」へ進んだ。
「幽鬼の女が出る、桜韡様の寝所を見させていただきとうございます」
「構わないわ」
桜韡様は不快感の一つも露わにせず快諾したばかりか「いらっしゃい」と、蕊恋様を具して歩き出す。
寝所に行けば、この本能は幽鬼の正体を見抜いてくれるだろう。勿論、どうやって忍び込んでいると言うのも、瞬時に理解出来るはずだ。
殺意と悪意に敏感な神鬼の本能を騙し通せる奴なんて、存在しない。
私は「ありがとうございます」と拱手して礼を述べてから、桜韡様方の後をついて行った。
そうして桜韡様の寝所に立ち入った瞬間、私の心はドクンと飛び跳ねる。入り口と言う浅い所からの確認でも、全て、理解した。
どこから殺意を持つ者が現れ、桜韡様を苦しめているのか。どうやって蕊恋様まで深い眠りにつかせているのかも、全て理解した。
「……分かりました、桜韡様。誰が貴女様を苦しめているのか」
「本当に?」
桜韡様は突然飛ばされた私の告白を信じられない面持ちで受け止める。
「はい。お任せくだされば、桜韡様を苦しめる幽鬼をすぐに捕らえられるかと思います」
私はキッパリと答えてから、サッと腕を掲げて、だらりと下がった袖の内に顔を隠した。
寵妃であり、気品溢れる高貴な御方には見せるべきではないだろうから。
不可思議に侵入する幽鬼と対峙出来るばかりか、向けられる殺意を迎撃出来ると、爛々と歪んだ喜びなんてものは。
すると「では、燈花」と、毅然とした声がかかる。
「貴女に、全てを任せます」
しっかりと下された命に、私は「御意っ!」と、元気過ぎる声で応えたのだった。
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