1話 目覚め

 ゆっくり瞼を持ち上げると、相変わらず知らない部屋だった。


 どうやら、気を失っていたらしい。


 薄暗かった昨夜とは違い、今は窓から差し込む光が部屋全体を照らしテーブルの上の実験器具達が朝日を浴びてキラキラと輝いて見える。


 体は、相変わらず直立した姿勢のまま動かない。


 透明なコンクリートで全身を固められてるみたいだ。


「おはよう、起きたのね」


 隣から声がして目線だけそちらに向けると、赤髪の少女──アン・ルサスが、椅子に座ってこちらを見ていた。


 どこか眠たげな様子を見ると、僕が気を失ってからもずっと起きていたのだろうか。彼女の赤い髪は、朝日を受けてほのかに輝いている。


「おはよう、ございます」

「もっとラフでいいよ。……まだ動けない?」


 僕が頷くと、アンは少し申し訳無さそうな顔をした。


「キミも混乱してるよね。私も成功したのは初めてで、色々手探りだったから……」


 彼女はそう言って立ち上がると、傍らに置いてあったらしいコップを手に取る。その中からはホウっと湯気が立ち上っていた。


「とりあえず、これを飲んでみて。魔力と肉体の活性化を促す薬液よ。……まぁ、あなたの場合は『肉体』って言っていいのか分からないけど」


 口元に近づけられたコップの中には、彼女の瞳と同じ琥珀色の液体が満たされている。


 言われるがままに口を開くと、ほんのりと甘い香りのする液体が喉を通っていく。


 じんわりと体の芯が温まるような感覚がして、昨夜まであれほど全身を覆っていた奇妙な拘束感が、少しずつ和らいでいくのを感じた。


「どう?何か変化はあった?」


アンが心配そうに尋ねる。僕はゆっくりと首を動かしてみた。昨夜はピクリともしなかった首が、わずかだが左右に動いた。


「……少し、動ける」

「本当?やった!やっぱりこの調合でよかったんだ」


 彼女は目を輝かせながら嬉しそうに小さくガッツポーズをして、再び僕に顔を向ける。


 嬉しそうな彼女と対照的に、僕は愕然としていた。


「動くようになる薬じゃないの!?」

「理論上はね。でも作るのも初めてだったし作り方も難しいしで大変だったんだから」


 アンが眠そうにしていた理由はコレか。と思いつつ、もう1つ気になった疑問を投げる。


「もし失敗してたら?」

「良くてずっと張り付け、悪かったら死んでたかも?」

「リスクがデカ過ぎる」

「ん?でもキミ1回死んでるんでしょ?」


 早くも二回目の死を迎える可能性があったことに恐怖しつつ、1つ心に決めたことがある。


──完全に動けるようになったら、1回コイツ殴る。


◇◆


「今からキミのことをもっと詳しく調べさせてもらうわ」

「調べる?」


 僕は警戒しながらアンを見つめた。彼女の言葉の端々から、僕を実験体としか見ていないような印象を受けるからだ。


「まずは体の構造ね。昨日の夜に簡単な検査はしたけど、まだまだ分からないことだらけだもの」


 アンはそう言うと、テーブルの上に置かれた奇妙な器具の数々を手に取り始めた。ガラス製の容器や、金属製の棒、そして複雑な模様が刻まれた石のようなものまである。どれも、僕の知っている科学の実験器具とは違うものだった。


「ちょっと失礼」


 アンはそう言って、僕の顔に手を近づけてきた。反射的に身を引こうとしたが、まだ完全に自由には動かせない。


 結果避けることは叶わず、彼女の指先が僕の頬にそっと触れた。


 柔らかくて少しひんやりした指先の感触が、妙に心地よかった。


「うん、やっぱり……生きた人間の体とは少し違うみたいね。組成もそうだけど、魔力の流れ方が独特」

「魔力?」


 聞き慣れない、しかしよく知っている言葉に耳を疑う。


「え、もしかして魔力も知らない?ナトレアじゃ3歳の子でも知ってるよ?」


 アンは「信じられない」という表情で僕を見た。その顔に、嘘を吐いている様子は感じられない。


「僕の国じゃ魔力って、基本的に創作ファンタジーの存在だったから」

「そっか……言葉は通じるのに、文化がまるで違うなんて……本当に不思議」


 アンは顎に手を当てて、何か考え込んでいる様子だった。


「別の世界……でも、本当にそんなことが?いやでも魔力も知らないってなると……でもそれじゃ言葉が通じるのに説明が……」


 アンはブツブツと独り言を言いながらも、僕の体に様々な器具を当てていく。


 細い指先が僕の全身を這い回り、時折小さな光が彼女の手から放たれる。


一体何をされているのか全く理解できなくて、只々されるがままになっているしかなかった。


◇◆


「さ、て、と。キミの記憶についても色々聞かせてもらわないとね」


 アンは一通りの検査を終えたのか、そう言いながら僕に顔を近づけてきた。その琥珀色の瞳は、好奇の色を濃く宿している。


「あんまり話すことはないですよ」

「まぁまぁ、そう言わずにさ。何かの手がかりが見つかるかもしれないじゃん?」


 いかにも「貴方のためですよー」という口調だが、目は口ほどに物を言う。自身の知識欲で満たされた彼女の瞳から注がれる視線は熱い。


「手がかりって……僕が、ここに居る理由とかですか?」


 喋りながら、改めて僕は自分がということを噛み締めていた。


 だからこそ、今意識を持って喋っていることが改めて奇妙な感じだった。


「うーん、それもそうだけど。あなたがどんな技術、文化、科学を知っているのかに興味があるの。もしかしたら、錬金術のヒントになるかもしれないし……」


 朗らかなアンの言葉は、最初こそただの興味本位に聞こえたが、最後の1言が何となく引っかかった。


「あなたの……錬金術のヒント?」

「アンでいいよ。……そう、成功したのには必ず理由がある。何か、私の知らない法則か未知の力か、何かしらの干渉が働いたハズよ」


 そう語るアンの表情は真剣そのものだった。だから、僕も真剣に記憶を辿り始めた。

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