運命

第25話

 ドラマの最終オーディションを明日に迎えた夜、ライブが入っていないこともあって美波はいつもように仕事を終わらせると閉まる時間に合わせてROZAに向った。


「お疲れ様~。あれ?」


 通常なら室内は明るくなっていてバイトが掃除をしているはずなのに美波を待ち受けていたROZAはまだ薄暗く、ステージでは数人がセッティングをしていた。


 お客の姿はなく、カウンターでは貴昭が片づけをしている。


「貴兄、誰かに貸してるの?」


「あ、美波。うん、京一がね」


 振り返った美波の視界にはステージ下で指示を出している京一の背中が映り、そのシーンが一瞬にして美波の記憶を巻き戻す。


「新人教育? なんか昔の京一みたいだね」


 初めてROZAに連れてこられたとき京一は美波を貴昭に任せ、自分はステージ下に歩み寄っていくと先に待っていたメンバーに指示を出し始めた。


 まずはギターの未来。


 彼の機嫌を伺ってからドラムの冬也に今日のセットリストを確認する。


 その後に自分もギターをアンプにつなぎ、音を鳴らす。


 リハーサル開始ギリギリで飛び込んでくる凌を待っている間、京一はステージに腰かけ、ステージのセンターで発声練習を兼ねて一曲アカペラで歌う匡の声を背中で受け止め、彼の喉をチェックするのが日課だった。


 それは彼らがメジャーデビューし、多くの人間に認知されるまで毎日のように繰り返された、ここでの当たり前の光景だった。


「懐かしい?」


 カウンターの椅子に腰かけようとしていた美波に貴昭が無表情のまま尋ねてくる。


 その言い方がなんだか彼らしくなくて美波は少し戸惑いながらも答えた。


「う~ん、どうだろう。今じゃ私がメンバーだから。それを考えるとなんか変な感じがするっていうか…。えっ?」


 肘をテーブルにつきながら話し始めていた美波の後ろから思いもよらない曲のイントロが流れ始める。


 パッと振り返った美波と同時にステージ中央にピンスポットが当たり、そこにはマイクスタンドに右手を置いて俯いている人の影があった。


 美波は思わず椅子から立ち上がり、流れてくるメロディーに心を奪われる。


 ここでその楽曲を耳にするのは何年ぶりだろう。


 初めてその曲を聴いたとき、美波はあまりの迫力と美しさに圧倒された。


 それは同時にその音楽の要である声を発する人物への感情とも瞬時にリンクした。


 何にも侵食されない、ゆるぎない力強さと言葉に込められた感情が、そのまま染色されずに伝わってくる重みと深さがジンジンと伝わってきた。


 こんな小さなステージで、これほどまでに切なく、心地よく、人の気持ちを揺さぶることの出来る人間が立っていることに美波は感動したのだ。


「な、なんで?」


 京一の透き通るくらい綺麗なギターの音が静かに散った瞬間、室内に響きわった声は美波が恋に落ちた音色とはまったく違った。


 けれど、その落胆が思っていた以上に自分の期待を裏切らなかったことに逆に動揺した。


「へ、変なの、なんで嫌じゃないんだろう」


 頭の中にパソコンで文字を打ち込む速さと同じくらいのスピードで放たれる言葉が脳裏を支配する。


 それほどまで自分の中に強くインプットされた歌詞であり、メロディーだ。


 未来のしなやかで丁寧なギターの音も、凌の嫌らしいまでに洗練されたベースの波動も、一曲で倒れこんでしまうくらいの激しい冬也のドラムのリズムも、きちんと匡の声をサポートしていた京一の美しい旋律も、全てがあの頃と変わりはない。


 ただ一つだけ違うのはその楽曲をリードし、その曲に込められた「想い」を代弁する声の質だけが異なっているだけだ。


 それなのにステージから離れた美波の傍に発せられてくる、その音楽は何一つ違和感を与えない。


 気味が悪いほど本来の楽曲と同じ温度で届いてくるのだ。


 美波はそんな自分の感情が整理つかないまま、ステージへと歩み寄っていく。


 まるであの時と同じように何か特別なものに吸い寄せられていく。


 離れていく美波の背中を、あの時と同じように貴昭は黙ったまま彼女を見送った。


 その先にどんなことが待ち受けているのか彼にはすでに想像できていたのかもしれない。


 けれど貴昭はその未来を敢えて阻止することはしなかった。


「運命かぁ~。あるのかも、な」


 小さく独り事を呟いて、貴昭は汚れたグラスをいつも以上にきれいに洗い始めた。

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X -キスー 愛の証 綾瀬 ーAYASEー @shu-mi

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