第2話 悪役令嬢と乙女ゲームのエンゲージ
――王立ヴィ・エルジェラ学園入学式の日
真っ白な制服に身を包み、私は校門を抜け学園の敷地内へと足を運んだ。この純白の
私、公爵令嬢レイピア・エストークはこれより三年間、婚約者であるラディウス殿下の
この時、その決意と未来への希望に私の胸はあふれていた。そう、自分の思い描いた未来を信じて疑っていなかったのです。
しかし、その甘い幻想はすぐに現実によって粉々に打ち砕かれてしまった――
校門から続くスリズィエの並木道。満開の時期をわずかに外しており、スリズィエも一番の見頃を終えていた。
――さわ
穏やかな風が吹き抜け、スリズィエの枝が揺れる。
――ひらり
ひとひらの花びらが私の視界に入る。
それは愛らしいスリズィエの薄桃色。
見上げればたくさんの花びらがゆらゆらと落ちてくる。一面の景色が薄桃色で染まった。それはまるでピンク色の雪が降り注いでいるよう。
私は心を奪われ見入ってしまった。
どうしてだろう。懐かしさに、胸がきゅぅっと締め付けられる。ふと気づけば、哀愁のひと雫が私の頬を伝い、流れて落ちた。
「涙?……どうして?」
この時の私はまだ理解していなかった。それが魂の故郷に刻み込まれた絆であると。
(花びら舞う光景に何故こうも心が動かされるの?)
辺りは風が騒ぐ度に淡いピンク色の吹雪に覆われる。
「白?……本物の雪?」
そんな愛らしい薄桃色の
季節外れの雪だろうか?
思わず水を掬うように両手を差し出した。すると白雪がゆらゆらと私の手の平に舞い降りる。それは溶けずに真実の姿を私に晒した。
「雪……じゃなくて花びら?」
スリズィエに似た花びら。だけど色は穢れを知らぬ清純な白。愛らしいスリズィエと違って凛とした気高い美しさがある。
――白桜?
だけど、見回してもスリズィエの薄桃色で染まっている。どこにも白い花はない。
「いったいどこから?」
私は手中の純白の花びらを不思議に思い首を傾げた。けれども、思い返せばこの白桜こそが私の運命そのものだったのかもしれない。
「その指輪を返して!」
不可解な現象に囚われていた私の思考を現実へと引き戻したのは、鈴を転がしたような少女の美しい声。しかし、どこか悲痛な響きを感じる。
私は声に誘われるように振り向いた。
「それはお母さんの形見なの」
「言いがかりはよしてもらえる?」
そこには言い争いをする制服姿の少女が二人。
一人は薄桃色の髪で周囲のスリズィエを連想させる愛らしい少女。もう一人は美しい白銀の髪が先程の白桜を思い起こさせる美しくも儚い少女だった。
口論の理由は知らないし、興味もない。
だけど、私は白銀の少女から目が離せなくなっていた。まるで白桜に魅入られたように、魂がぐっと鷲掴みにされたかのよう。
私の運命——彼女を自然とそう認識していた。
「シオン、孤児院にいる時に私から盗ったのでしょ?」
「いい加減にしてよね、クリス」
シオンと呼ばれた薄桃色の少女は嘲笑した。
「同じ孤児院出身の
そして、白銀の少女クリスへ蔑んだ目を向ける。
「今や私は男爵令嬢よ。平民のクリスとは立場が違うの」
「そ、それは……」
「おおかた男爵令嬢になった私を妬んでるんでしょ。この指輪を奪えば私の代わりに貴族になれるとでも思ったの?」
シオンが左手を顔の前に挙げると薬指がきらりと光った。
それはとても小さな輝き。だけど、その光が膨れ上がって私は包み込まれたかのような錯覚に陥った。いえ、錯覚ではない。その光は大きな白桜となり、花びらを閉じるように私を包み込んだ。
「眩しい!」
あまりに強い光にぎゅっと目を閉じる。光量が次第に落ち着き目を開ければ、飛び込んできた光景に私は絶句した。
「ここは……どこ?」
私は見知らぬ場所で一人
継ぎ目のない石畳で綺麗に舗装された道、そこを行き交う自走する鋼鉄の乗り物、異様なほど黒髪ばかりのたくさんの人間達、周囲はガラス窓を張り巡らせた巨大な正方形の建物。
何もかもが初めて目にするものばかり。いえ、レイピアには未知でも、私には全てが懐かしい。
「私……知ってる……ここは……」
急に場面が切り替わるように、私は六畳間の狭い部屋に移動していた。二十代くらいの一人の女性がテレビ画面を見ている。
私だ、あれは前世の私自身。
なぜかすんなり理解できた。
(私はこの世界で、日本で生きていた)
そう思った瞬間、私の頭の中に莫大な情報が流れて込み、どんどん前世の記憶が蘇っていく。
(そう、私はちょうどあのゲームをプレイしようとしてたんだっけ)
テレビ画面には軽快な音楽と美麗なオープニングムービーが流れていく。最後に見知った顔のイケメン達が祈りのポーズをした銀髪の美少女を笑顔で囲むイラストで固定される。
そこにゲームタイトルのロゴが浮かび上がってきた。
——『剣と乙女のエンゲージ』
略称『剣乙』。
邪神の放った
ヒロインが剣の花嫁となるべく花嫁科に入学するところから物語は始まる。
(つまり、私が今いるのは乙女ゲームの世界なのね)
気がつけば私は元いたスリズィエの並木道に戻っていた。恐らく意識だけが飛ばされていたんだと思う。その証拠に周囲の生徒は誰も私の異変に驚いたふうもない。
それよりも全員の目はクリスとシオンの
「私は貴族になりたいんじゃない。その指輪はお母さんが残してくれた、たった一つの思い出なの」
「渡すわけないでしょ。この指輪は私の亡き母カルタ・ルーファの形見なんだから」
周囲の生徒達から騒めきの声が上がる。
無理もない。カルタ・ルーファとは誰もが知っている剣の花嫁の最高峰、剣の聖女の名前。シオンの持つ指輪は白桜を形どった剣華刻印『白桜』。
これを持つ者は
(だけどヒロインのデフォルト名はクリス・ルーファ。シオンではないはず)
それに、と私はシオンの髪に注目した。彼女の髪は薄桃色。ゲームの主要登場人物の中にそんな髪の少女はいなかった。
(もしかして彼女は私と同じ……いえ、そんなはずないわ)
この時、私は疑念を抱きながらも、すぐに否定した。シオンが私と同じ転生者であるという可能性を。
(ヒロインがいなければ世界は邪神に滅ぼされてしまうのだから)
ゲームでも邪神の生き残り司祭クトゥールが放った
(彼女が転生者ならそれを知らないはずがないもの)
もちろんシオンがゲームを未プレイであるケースも考えられた。でも、そうなると白桜の存在を知っていた説明がつかない。
(だけど、シオンがクリスから指輪を奪ったのはきっと本当ね)
私はクリスに視線を戻した。
クリスという名前もだけど、夜空に煌めく銀月のような髪はパッケージにある剣乙のヒロインそのもの。そして何より、私はクリスに運命を感じている。
(それも当然よね)
だって、私は……レイピア・エストークは、ヒロインの前に立ちはだかる悪役令嬢なのだから。
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