第2話 「可愛くなったから顔見せて」

 あの保健室以来、彼女 ——— おおとり玲奈れなは時々、私に絡んでくるようになった。


 「おはよう、たちばなさん。ねぇ、何で甘いものばっかり作ってるのに太ってないの?ちょっとズルくない?」


 私、たちばなかえでは朝、急いで教室に向かおうとしていた。

 そこに小走りでやってきたおおとりさんは顔をあわせた途端に私を止める。

 彼女は冒頭の言葉を発して、私のウエストを両手で触って撫でてきた。


 その瞬間、背中にむず痒いような奇妙な感覚が襲ってくる。

 (え!? 何で!? 近い!いやいや、何を言ってるの!? 太るとか太らないとか、そもそも何で触るの!?)


 彼女の手が腰からゆっくりと滑るように移動していくのを感じた。

 思わず息を飲み、ひやっとした感触に、私は思わず小さな声を漏らしてしまった。


 その私の声に驚いたのか、彼女の手は引っ込んだ。

 おそるおそるおおとりさんの顔を伺うと、彼女は少し頬が赤い。

 ちょっと何でそんな顔しながら、この人は私にこんなことしてるの?


「あ、ごめん……えっと……顔、赤いよ?」


 言われた途端、意識して顔を両手で隠した。

 も、もう……それは私のセリフだよ。

 人に触れられることはすごく恥ずかしい。

 いや、人と話すことさえ、大分、私にはハードルが高い。

 

「メガネずれてる、ほら、可愛くなったから顔見せて」


 一言余分な言葉を含め、彼女は私の手をそっと顔から外した。

 メガネを触って位置を調整してくれた。


 可愛いって何? そのセリフおかしいよ。

 そもそも鳳さんはどういうつもりで言ったの?

 私をからかってるの?

 それとも……。


 鳳さんの言葉を反芻してしまい、動けなくて、つい下を向いた。


「もう橘さん、遅れるよ!」


 ギリギリに登校したからもう学校の廊下には誰もいない。

 彼女は私の手を取って短いスカートをひらひらとしながら教室まで走り出した。


 あと少しで教室という手前で鳳さんは急に手を放した。


「ここからは1人でいけるでしょ? 私、少し時間をおいて入るから先に入って。いってらっしゃい」


 ミッション系女子高にはあるまじき、片耳にピアス、金色の長くてストレートの髪の毛をたなびかせる鳳さん。スカートは膝上ギリギリですらりとした両足ですっと立って彼女は私を真正面でしっかりと捉えている。

 化粧をしなくても二重の目がぱっちり、鼻は高く、唇はふっくら桃色。


 廊下の窓から入る光で彼女の金色の髪の毛は太陽みたいに光っている。

 彼女は端正な顔にくしゃっとした笑顔をみせて、私に手を振ってくる。


 彼女に釣られて腰当たりで手を小さく振ってしまった。

 私のその様子に鳳さんはまたにこっと笑った。


 曇りが一切ない、天使みたいな笑顔。

 ……何で私にそんな顔を見せるの?


 そんな言葉を私は飲み込んだ。

 少し下を向いたまま、廊下を歩いて教室に入った。


 教室内ではクラスメイトたちがおのおのにグループで話したり、着席している。

 誰も私のことなど気にすることはなく、私は自分の席に向かった。

 

 前の席に座っていた同じ部活の山下やました沙織さおりが振り返った。


「楓、おはよう!今日はギリギリ到着だね」


「おは……あのね……ちょっと夜、考え事していて寝坊しちゃった……」


 私は遅れた理由を話しながら恥ずかしくなった。

 沙織は気にせず、思いついたように言う。


「それって次のコンテストで作るレシピのことでしょ?」


「あ……うん……わかった?」


「昨日、先生がもってきたパンフレットを穴が開くかと思うほど読み込んでいる姿をみていたから。ほんとにかえでは家庭科部の鏡だよ。寝坊するまで考えてるとは、さすが部長だね」


 私は家庭科部に所属している。

 お菓子作りが好きで調理をできる家庭科部にたまたま入った。

 部員は12名ほどで3年生がいないために、2年生の私が部長を務めている。


 沙織は1年から同じクラスの友人。

 本人曰く、私の話した部活紹介によると暇つぶしには最適ということで家庭科部に入った。やる気はほとんどないけど私が相談しやすそうという先生や周りの配慮から副部長を担っている。

 彼女はいつも部活内で特に意見を言うこともなく、暇そうに時間を潰している。


 沙織と少し話していたら、教室の前扉をガラッと開けて、鳳さんが入ってきた。

 

 すたすたと自分の席にめがけて歩いて着席した。

 いつもの風景ではあるが、容姿が目立つからか彼女が教室にいると周りはざわつく。もちろん沙織も入ってきた鳳さんを気にしている。


「鳳さん、今日は来たね。それにしてもうちって校則緩くないよね? 先生にあの髪の色とか注意受けても全然変えないところ、見習いたいぐらいすごい」


 このクラスにもスクールカースト的なグループが存在している。

 お嬢様学校であるためか、家柄や容姿、学業等の状況に応じたグループで過ごしている。


 私はグループ所属の話以前に、そもそもグループが成り立つタイミングで人と話すことができない。だから、乗り遅れてたいてい独りぼっち。

 高校では幸運にも1年生の時にたまたま沙織に声をかけられた。

 2年生も沙織とクラスが同じため、高校に入ってからはぼっちを免れている。


 私がいる場所とは真逆のカースト上位に属する本物のお嬢様は暮らしぶりが異なる。持ち物やら自宅や週末の過ごし方は全く違うらしい。


 自宅から近い、制服が可愛い、静かに過ごしたいといった理由で入学を希望した一般人の私とは住んでいる世界が違う。

 ……ただクラスメイトと接することはないからほとんど想像の話なのだけれども。


 そんな中で鳳さんの立ち位置は異質だ。

 彼女はどこかの令嬢で容姿も家柄もこの学年で上位グループに匹敵するという噂。   

 彼女を彩る見た目は、おそらくこの学校に一人もいない。

 ギャルとして存在し、誰一人として寄せ付けない態度を続けている。


 そんな彼女を学校の生徒たちは”孤高のお嬢様ギャル”と呼ぶ。

 稀有で珍しい、でも決して触ってはいけない気高い存在と学校に君臨している。

 

 2年になって同じクラスになって彼女を知った。


 鳳さんが教室に来る日は少ない。


 鳳さんと話すようになるまで彼女は学校に来ていないのかとずっと思っていた。

 ある時、私は教室にいない日、彼女は保健室に登校していることを知った。 

 彼女とはクラスメイトであってもほとんどクラスにいない、話す機会もないから関わる事はないと思っていた。


 私が保健室の先生にお菓子を持っていき、そのお菓子を置き忘れなければ。

 きっと私たちは永遠に話すことなどなかっただろう。

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