旅への思い

 全種族、民族がみな平和に暮らせる世界を築いていくこと。

それが、魔王がティグの中に大人しく収まっていてくれる唯一にして絶対の条件だ。


人間と獣人のみが平和に暮らす、ここ、リアティネス・アベリム王国以外にも、国家や都市があるに違いない。

魔族と他種族間の和解のため、世界の全容を知る必要がある。


四年前、女神歴三八五年末に魔王の問題を収束させた後、ティグと弟のアルは、共に旅へ出ることを家族に宣言した。


ニコライが。

「旅立つ日は、もう決めているのか?」

と、尋ねると、他のみんなの視線がティグに集中した。


「うん。来年の黄金の月、五週目中には。」

ティグが答えると、すかさずベンジャミンが。

「四一日目から五〇日目の間だね。」

と、言い換えた。


一応は、一週間を一〇日として区切られてはいるものの、実際には一週間と言う概念は地球に比べるとだいぶ薄い。

それぞれの月で、何日目かと言う感覚だ。


中には一週目の五日目や、三週目七日目などと言う数え方をする者もあるが。

「結局、何日目?」

と、なるパターンが多い。


誕生日に対する価値観も違う。

狭間の月の最後の日は一年の最後の日だが、その日に産まれたとしても、翌年の初日から一歳と数える。


その他、記念日と言う概念がほとんどなく、年や月に対してのこだわりが強い。

特に、狭間の年や月については、一部では”闇”と言われていたくらいだから、不吉だとする者も多い。

その反面、子供が産まれるのは良いことだから、狭間の年だろうが、月だろうが、子供が産まれるのは別の問題として扱われる。


 魔王討伐後、ティグが提案するまでの三八五年間は、復興を祝うという価値観もなかった。

三八六年の黄金の月二一日から七日間にわたり、毎年復興祝賀会を開催しよう、と、提案した。

この国には、地球でいうお祭りに相当するものは、成人の儀くらいのものだったから、一部の者は大変喜んだ。

文化や環境が違えど、祭り好きと言う人種はどこにでもいるらしい。


 ティグは、復興祝賀会の発案者であり、魔王討伐の功労者でもある。

毎年、祝賀会では、挨拶をすることになっていて、国民の大半がその場に集結することから、旅立つことをその場で報告する、と、決めていた。

愛の月も四二日目になり、三八九年は残すところ六〇日弱。


ティグは、以前から確かめたいことがあった。

いま、リアティネス・アベリム王国には、公に魔女や魔法使いの存在はない。

愛の魔女であるアマビリスは、あくまでも魔法研究所の所長と言う役職として、五年前までは他の名前と顔で存在していた。


魔王討伐に備えた訓練を開始するにあたり、アマビリスのことは、全属性の魔法が使える魔女マリスとして紹介した。

愛の女神のアマビリスが顕現したなどと伝えるわけにもいかないし、愛の魔女とも伝えられない。

ティグの中に魔王が存在していることを含め、未だ国民に伏せられていることが多い。


 魔女や魔法使いは、魔女や魔法使いとして産まれてくる。

人間や獣人が魔法を使えても、それは魔女や魔法使いとは言わない。

二コラティグが知る唯一の魔女は、マリスだけ。


マリスは多くを語ろうとしないけれど、この世界には、魔女や魔法使いの集落、あるいは国が存在しているだろう。

明言こそしないが、言葉の端々から、郷愁のようなものが感じられた。


子を想う親のような雰囲気にも似ているが、マリスが、子供を産んだことがないのは確かだ。

だから、親戚がいるのではないか、と、ティグは想像していた。

家族と呼べるような人が、故郷にいるのではないだろうか。

旅立つ前に、どうしても直接確認しておきたい。


「マリス。魔女と魔法使いが暮らす集落や、街、国は、存在しているんだよね。」

敢えて限りなく断言に近い言い方をした。

「…確信しているんだな、ティグ。」


もっとも、【全知全能の目】を持つティグのことだ。

マリスが何も語らずとも、そのうちに見つけるだろうという事は、わかっていた。


「魔女だけが暮らす大国家、魔法使いと魔女が暮らす小国家、いずれの国家も肌に合わずにはぐれ者が集まった集落。

全て結界で守られていて、外部との接触は避けている。」


諦めてはいるものの、やはり積極的には話したくない様子のマリス。

しかし、ティグは踏み込むことを躊躇っていられない。


「【全知全能の目】でも、その場所を把握しない限りは、『遠目』が効かないわけだね。」

『遠目』というのは、遠隔でその場所を見ること。

衛星中継や、ドローンで、遠くの映像を観ているイメージだ。


「…ああ、そうだ。」

マリスは、この話題について、とことん消極的だということを、ティグは理解した。

だが、この世界について、知る必要がある。


「言っておくが、出自について語るつもりはない。」

ティグが一言も発していないのに、マリスは次に聞かれるであろうことを予測し、断固として拒否した。


「マリス」

俺が名前を言い切る前に。

「だが! 知られるのは仕方がないと思っている。」

「…そっか。」


自分では話さないけれど、国や集落に行くことは止めない。

行けば必ず知ることになるくらい、有名な魔女と言うことか。

産まれは王族だったりして。

などと、ティグが思案している間、しばしの沈黙が流れた。


「…大国家って、王国制なの?」

なるべく個人的な事情には触れないように質問を選んだ。

「いや、大国家には王はいない。

小国家の方には王がいる。私が話せるのは、これくらいだ。」

これ以上は訊くな!

訊いても答えないからな!

と、いう気迫に満ちていた。


「わ、わかった。ありがとう。」

「ああ。いいんだ。」


「…ねぇ、マリ…」

「行かん! 私には、ここでやることがある。」

またしても名前を言い切る前に、言わんとしていることを悟られ、断じられたティグ。


「連絡するから。」

「…ぁぁ」

マリスにしては、珍しく小声になった。


「来たくなったら、いつでも遠慮なく!」

と、ティグは足早にその場を離れていった。

言い逃げである。

一人、その場に残されたマリスは、なんとも言えない顔をして、短く唸り声を漏らした。


 この四年、あれを持っていけだの、これは持って行った方がいい、だの。

空間魔法を使えるティグは、何でもかんでも持たされていた。


国交どころか、他国や他の集落の存在を知らない現状、何が交易品として有用なのか、全く見当がつかないためだ。

いつどこで出会うとも知れない他国の民族に、貿易交渉まで話が及ぶかもわからないのだから、そこまで持って行く必要はないだろう、と、思ったものだが、あっても困らないから強くは言えない。

ティグ、アル、共に空間魔法で膨大な量の荷物を持ち運べる。

だからこそ、際限がなくあらゆるものを持たされた。


あくまでも、今回の旅は世界を知り、民族や種族を知ることが目的であるにしろ、何日間か滞在するような可能性もある。

場合によっては、国交の第一歩として、重要な場になるやもしれない。

だから持っていけ、と、言うことだ。


四年間の間にあまりにもいろいろなものが収納されたものだから、何が入っているのか、もはや記憶にないものすらある。

とはいえ、【収納物確認】のスキルがあるから、自動で写真見本付きのリストにされており、いざという時には頭に浮かんだイメージをもとに該当の品を探せる。


魔王の脅威がなくなれば、この世界に地球から召喚者を呼ぶ必要もなくなる。

時代が変わっているから、命の危険に晒されて、その瞬間を救われるように転移する人もそうそういない…と、願いたい。


ティグの転生召喚を、失敗の一言で片づけることを、本人が断じて許さなかった。

因果関係は不明にしても、この世界の事情で、獣人を救世主にするため、ティグはトラの獣人としてこの世界に産まれた。


前世の木原勇史が、虎に咬み殺されたからトラの獣人になったのか。

はたまた、トラの獣人になるために、虎に咬み殺されなくてはならなかったのか。

因果関係を追究しようとしたところで、証明のしようがない。

あきらかな事は、ティグと同様の悲劇を繰り返してはならない、と、いう事。


そうして、地球のことを考えてきた時に、おぼろげに見えてきた景色があった。

最初は、事態を理解できなかったが、しばらくして、全知全能の目で、地球の現在の様子を見ていることを理解し、衝撃を受けた。


西暦二〇二九年の地球は、前世の人生を終えてから一九年後の地球だ。

木原勇史としての一生を終えたのは、西暦二〇一〇年のこと。

まず、ティグが驚いたのは、地球を去った翌年に、とんでもない地震があったこと。


四年間、毎日欠かさず、字幕付きのニュース番組を視ていた。

全知全能の目は、音声は聞こえない。

だから、情報は視認できるものに限られる。


字幕付きで、必ず同じ時間にニュース番組を視ている家を見つけて、テレビを遠隔で視た。

その中で、阪神大震災から何年と言うのは、ティグにもわかる内容だったが、東日本大震災と言う地震について、初めて知った。


携帯電話は、すっかりスマートフォンに取って代わり、パソコンやタブレット機器などが広く普及して、ほとんどの店でキャッシュレス決済が行えるようになったらしい。


ティグが木原勇史として生活していた頃にも、電子マネーは存在していたし、携帯電話で決済できる機能もあったけれど、それほど普及はしていなかった。

それが、今では、当たり前になっている。

詳しい話を、直接聞いてみたい気持ちが沸々と沸き上がった。


次に、興味を持ったのはSNSだった。

特に、メールや電話よりもアプリケーションの利用頻度が高い。

背景には、インターネットや、携帯電話の電波がそれだけ広がり、どこでも繋がるようになった。


それも、連絡手段として多くのユーザーに使われているアプリケーションは、東日本大震災をきっかけに産まれたというのだから、それもまた驚きだ。


想像もしないような最新型のゲーム機。

家庭用ゲーム機はもちろんのこと、ゲームセンターの様子があまりにも変わっていて、理解が追い付かなかった。


何よりも、ティグが気になっていたのは、自分を噛み殺した虎のことだった。

動物園で飼育されていた動物が、人身事故を起こすのは、一〇〇パーセント人間が悪いと言って良い。

木原勇史であったころからずっと、ティグはそう考えている。


虎の行く末が気になっていた。

だが、全知全能の目では、自らの意志で検索することは出来ない。

干渉することは不可能なのだ。


可能であれば、いまの地球へ行って、色々と調べてみたい。

しかし、現在の姿で地球に行けば、間違いなく捕まって研究される。

なにしろトラの獣人なのだから。


ティグが、魔王との約束を果たしたい、と、思うのは、なにも律儀な性格から、と、言うだけではない。


魔王の精神体を取り込んだ後、ティグの身体は魔王と融合した。

切り離すことは、恐らく不可能だ。

何よりも問題なのは、期せずして魔王が数千年をかけて欲していた時空間転移の力を得てしまったこと。


この次の魔王覚醒のタイミングで、ティグが魔王の精神体に負けて、体の制御を奪われたなら、間違いなく魔王は地球へ転移するだろう。

なんとしても阻止しなければならない、と、言う思いに駆られ、ティグは旅立ちへの思いを日々募らせてきた。


国が平和を取り戻し、落ち着いた女神歴三八七年の中頃。

一度、アルを置いて一人で旅立とうか、と、本気で悩んだことがあった。

しかし、アルは、何が何でもティグを追いかける。

探し出そうと躍起になることが目に見えている。


ティグが一人で旅に出るということは、即ち、未知の危険に満ちた場所をアル一人で彷徨わせることに繋がる。

四年前、アルは魔王に憑依され、この世界ではティグの次くらいに強くなっている。

それでも、一人では何があるかわからない。


結局、ティグは一人で旅立つのを諦めるしかなかった。

それでなくとも、法改正や生活向上のために奔走していたから、実際この四年間は、振り返ってみればあっという間だったのだけれど。


「きっと、来年に入ってから、出発までの日々も、あっという間なんだろうな。」

「まだ今年も終わってないうちから、気の早い…

と、言いたいところだけど、私もそう思うわ。」

一家団欒の席で、ふいに漏れてしまった言葉へ、ティグの母親であるダナが反応した。


「…ああ、そうだね。」

寂しそうな表情を浮かべたのは、父のブライエンだ。

アルは、ティグと共に旅立つ側だから、複雑な表情を浮かべて言葉に詰まらせた。

双子のキースとウラは今にも泣きだしそうになっている。


「ティアお姉ちゃんが頻繁に帰ってくるのは、ティグお兄ちゃんとアルお兄ちゃんが旅に出るのが、寂しいからだよね。」

ウラが涙をこらえながら言う。


ティグの三つ下の妹ティアが、頻繁に実家を訪れるのは、産まれたばかりの子供を見せたいから。

それは、ティグとアルが旅立つからこそ。

もちろん、【読心術】が使えるティグは知っていた。

アルは、考えもしなかったため、ショックを受けている。


ティアとアルは、兄弟姉妹の中でも一番歳が近い。

アルが産まれるまで、ティアにとって、ティグは唯一の兄だったし、ティグにとっても、たった一人の妹のティアが可愛くてしかたがなかった。


ティアにしてみれば、アルが産まれたことで、兄を弟に取られてしまった。

アルは、産まれて間もないころから、ティグにべったり。

成長するにつれ、落ち着くだろうと最初は周囲も微笑ましく観ていたが、片時も離れないという意志が強くなる一方だった。


アルにとってティアは、兄を取り合う相手でしかなかった。

ようやく、兄とは別にもう一人の頼れる姉と言う存在がいるのだ、と、認識したのが魔王討伐の年だった。


ティアは、ティグに甘えたり頼ろうとすれば、アルの殺気が飛んでくるから、幼い頃からティグからも距離を置くしかなかった。

魔王討伐の年には、ティアは一二歳だったし、新たに双子の弟と妹も産まれていたから、兄に甘えようなどと言う気持ちはなかった。

むしろ、兄だけではなく姉もいるのに、自分の存在はアルにとって邪魔者でしかないのだろうか、と、いう嘆きの方が大きかったのだ。


そんな二人がやっと姉と弟になれてから、三年。

ティアは結婚が決まるなり家を出ていってしまった。

二人が姉と弟として過ごした時間は、あまりにも短い。


なにより、アルにとっては、常に兄が一番。

姉をまともに姉として見るようになったとは言え、それほど交流があったわけでもない。

それなのに…

と、いう想いがアルの中にはあった。


自分が相手に何もしていない。

あるいは、むしろ酷い態度を取っていたり、失礼な振舞いをしている時、往々にして相手からの親切や優しさ、思いやりに対して疑問を抱くもの。


そして、自分のそれまでの相手に対する態度を恥じたり、罪悪感を持ったりするのではないだろうか。

アルは両手で顔を覆い、泣きだした。


いつもならアルが泣けば、ティグは迷うことなく寄り添い、抱き寄せ、慰める。

しかし、この時はそうしなかった。

アルは今、ティアに思いを寄せていることがわかったから。


旅立つ前に、ティアとアルが、あと一歩踏み込んだ親しさを感じられるようになればいい。

ティグは、内心願った。


ティグは、何をするでなくとも、マリスのところに行くのが習慣になっていた。

しかし、マリスの故郷の話を聞きに行った数日後あたりから、部屋に籠って結界まで張るようになった。


魔王をその身に宿した後、ある程度安定したのを見計らって、マリスは容赦なく六人の魔女の力を継承させた。

実力は明らかにティグの方が勝っている。


ティグがその気になれば、マリスの結界を解くことは容易だ。

だが、マリスはティグにとって恩師。

弟子は師を超えていくものであると言うが、超えた瞬間に師弟関係が終わってしまうように思えて超えたくない。


マリスは、師匠であり、共に最前線で戦い死線を潜り抜けた戦友。

関係性に、ヒビが入るような事を避けたかった。


ティグは、他の六人の魔女がこの世を去り、一人になってもなお、この世界を守ることに力を注ぎ続けたアマビリスと言う魔女について、もっと知りたいと思っていた。

ティグにとって、この旅はマリスを知る旅でもある。

そんな予感がしていた。

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