もう一つの目的
女神歴三九〇年、めでたくアルが成人した。
王城の外庭を会場として開催される成人の儀は、参加人数に制限がない。
沢山の椅子やテーブルが設置され、国からの祝いとして見た目も鮮やかな飲食物が大量に振舞われる。
親類一同が揃って参加する家が多く、小さい子供がいても参加できるよう、その日限りの託児所が設置される。
食堂は、成人の日に限り、全体が休憩所として開放される。
日ごろから王城内の図書館は、身分証明書にあたるプレートを所持していれば利用可能で、食堂の一部は一般に開放されている。
だが、学生と職員が定められた休憩時間内で確実に食事を摂れるよう、専用のエリアとして区分けされているのだ。
他にも、通路にもこまめに椅子を置くなどして、参加者全員が漏れなく座れるほどの座席が用意される。
いたるところに装飾が施され、王城はおおいに賑わう一日。
成人の儀に参加している家族親類関係者は、みな喜びに満ちた表情をしているものだが、アルの親族一同は様子が違う。
アルが成人を迎えたという事は、ティグと二人で旅立つ年になったとうこと。
みな笑顔が引きつっていた。
アルは魔王に憑依された経験を活かして執筆、提出した魔王についての論文が、三八八年狭間の月に評価され、以来、予備研究員として学校に通っていた。
予備研究員とは、日常的には学ぶことを優先に過ごすが、研究所の研究に人手が足りない時には実働要因として駆り出されることがある学生だ。
予備研究員になった時点で職場は既に決まっており、旅立つまでのおよそ三か月、一四〇日間ほど勤務することになってる。
ティグは准宰相の仕事があり、多忙な日々を送っていたものの、アルと共に、なるべく魔王討伐以前と同様の生活を送るように心がけていた。
だから、毎年ダナの実家の畑仕事で人手が必要な時期には、可能な限り手伝っていた。
さすがにティグは、三八六、七年の二年間、畑仕事を手伝うことは不可能だったが、アルだけは毎年手伝っていた。
その度に、親戚から。
「本当に旅に出るの? せめてアルは残ったら?」
などと言われたが、アルは毎回同じ返事をした。
「僕の居場所は、お兄ちゃんのいるところだから。」
揺るがないその様子に、三八九年には何も言わなくなっていた。
特にアルは、一度魔王に憑依されたことで、親類たちが心配していた。
ティグの中に魔王がいることは、マリスとアル、国王と宰相のみが知る事実だ。
成人の儀の後、ダナの実家に全員で集まり数日を過ごした。
親戚一同が集まれる機会は、しばらくないだろう。
他愛のない会話、皆でする食事、日常的に行われる作業を手伝ったりしながら過ごした数日は、全員にとって思い出深いものになった。
それから、ティグは准宰相の仕事を、アルは研究員としての仕事をしているうち、あっという間に、旅立ちの日が迫ってきた。
復興祝賀会のような祭りを増やしたい連中が、ティグとアルの壮行会を行おうと提案してきたが、ティグは準備を理由に丁重に断った。
日に日に、家族の口数が減り、言えの中に悲壮感が漂うようになる。
ティグの旅立ちへの決意が固いことを、この数年で実感してきたからこそ、かける言葉が見つからない。
ティグが最も恐れていたのは、露骨な差別のないこの国で、自分とアルが差別の対象になることだった。
今は何事もなかったように暮らせているが、アルは一時的に魔王に憑依されたのだ。
アルが憑依された瞬間に放たれた衝撃派は、最も多くの犠牲者を出した。
そして、事実を知っている生存者がいる。
差別の文化を知っているティグにしてみれば、それだけでも十分差別の対象になることが想像できた。
なにより、今もなおティグの中に魔王がいる。
ティグが魔王そのものと言っても過言ではない。
この先、いつどのようなタイミングで民衆が手のひらを返すか、想像するのは困難だ。
だからこそ、いざという時に逃れられるに居場所を国外に見つけておきたい。
ティグとアルの強さを考えると、全国民が攻撃してきたところで命の危険はないだろう。
本当に問題なのは、家族のほうだ。
罪を犯したという話が広まるだけで、家族までもが責め立てられる。
地球では、報道陣が犯人の実家に詰めかけるばかりでなく、どこから調べたのかいやがらせの電話が相次ぐなど、起きていた。
一度その方向に動いてしまった心理が周囲の者を巻き込んで大きな渦になることを知っている。
この国の者は、知らないことが沢山ある。
情報を得た時に、どう反応するか未知だ。
だからこそ、怖い。
ティグは、四年間の間に、一つ重大な事実を発見した。
獣人に偶蹄目はいない。
偶蹄目の動物と魔物がいる、と、認識していた。
だが、牛や馬、豚という動物として認識していた偶蹄目は全て魔物だったのだ。
魔物を家畜にしている現状は、魔王にとって面白くないのではないか。
そう思ってはみたものの、魔物の世界では獣人や人間はもちろん、魔物が家畜として扱われることがある。
倫理観を無視すれば、扱いは平等と言える。
地球でも人間はそうだ。
いつだってご都合主義。
動物は家畜やペットにしてもいい。
食料にしてもいい。
けれど、人間が家畜やペットになることや、食料になることは残酷だとか、非道徳的だと訴える。
一方で、命は平等だと言う。
全く筋が通っていない。
人間が動物のテリトリーに入ることは問題がなく、動物が人間のテリトリーで人間に不都合なことを起こせば害獣だと言う。
元を辿れば、特定の生物の住処ではなかったはずの場所を、勝手に人間専用の住処に仕立て上げているだけなのに。
魔王の理想の世界はどんなものなのか。
ティグは、流れてくる魔王の思考や感覚を、最初こそ理解できずにいた。
しかし、日が経つにつれ、何が正しいのか。
そもそも正しさとは何か、と言う問いに至った。
全ての者が幸せで平和に暮らせる世界は、どんなものなのか。
知識を総動員しても、答えは出ない。
正解が一つでない以上、どこまで考えてもたどり着けないことに気が付いてしまった。
幸せを感じるのは個々であり、皆が幸せな世界を目指すことが非現実的なことのように思える。
魔王が本当に求めているのは、魔物だというだけで存在が脅かされない世界。
誰もが幸せであるという状況は、実現したかどうかの証明が不可能だ。
ティグはそのことに気が付いてから、旅をする必要性を強く感じるようになった。
アルは、ティグと一緒に居られるのならどこで何をしていても良いと思っている。
ティグにとっては、アルを含め、家族を守ることが旅の目的の一つになっているからこそ、旅への想いが並々ならぬものとなっていた。
旅立ちの日まで三日となった夜。
父、ブライエンが寝室に向かおうとするティグを呼び止めた。
他の家族は既に全員寝静まっている。
「なあ、ティグ…
くれぐれも無事に戻ってきてくれよ。」
言葉を探した末に、何度も繰り返したその言葉しか出てこなかったことにブライエンは気まずい空気を滲ませていた。
魔物が闊歩する地帯に周囲を取り囲まれ、他に国が存在しているのか否かもわからないような場所で暮らしてきた者達には、旅に出るという感覚を想像するのが難しい。
どんなに遠くとも、五日あれば馬車で行き来できる範囲なのだから、当然のことだ。
数日留守にする程度ならばいざ知らず、それが何か月も何年もとなれば尚更不安だろう。
ブライエンは、行かないでくれと言いたかった。
どこにいるかわかっているなら良い。
だが、どんな場所にいて何をしているのか想像もつかない。
そんな状態がいつまで続くのかわからない状況に、自分を含め家族が耐えられるとは到底思えなかった。
キースとウラには毎日のように聞かれるだろう。
「お兄ちゃんたちは今どこにいるかな?」
「元気かな?」
妻のダナは、言葉にすると余計にキースとウラを心配させてしまうから、必死で耐えるかもしれないが、不意に涙をこぼすかもしれない。
ダナはもちろん、自分自身だって、幾日も眠れぬ夜を過ごすことになるだろう。
「出来る限り、連絡はするから。」
「…ああ、そうしてくれ。
出来れば個別に手紙を書いて欲しい。」
「うん。わかった。」
「きっとアルは手紙を書かないだろうから、アルの様子も必ず書いてくれよ。」
その言葉には、思わず笑ってしまったティグ。
アルは、本当に手紙を書かないだろう。
家族のことを心配したり、思い出しすらしないかもしれない。
「困った子だね。」
「まったくだよ。」
二人笑いあって、和やかな雰囲気でそれぞれ就寝。
ティグは家族を無闇に怯えさせたくなかったから、胸に秘めた家族への想いを、結局一度も正直には話さなかった。
この世界にはない差別に晒されること。
想像がつかないから、恐怖を抱くこともないのかもしれない。
それでも、多少なり不安は抱くだろう。
想像がつかないからこそ、想像が際限なく広がってしまう可能性もある。
だから、アルにさえも言わなかった。
アルには、旅の最中に折りを見て話そうと考えていた。
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