第5話

 放課後になっても宇田からは何の話もなく、美織のふりをしている偃月は普段の彼女がそうであるようにちらりともこっちを見ないままで、とにかく気が急いて部活前に職員室に行くと「部活の後でね」と追い払われた。口調は穏やかだったが、迅に向けた顔は人殺しのような表情で、随喜が嫌がるのもわかる気がした。


 鬱々としたまま一日サボって出席した部活では、部長から叱られ「期待してるんだからな」と全く響かない励ましをもらい、流れ作業のような練習に交ざった。

 叱られないように、父親の前では遮二無二やってきたが、部活は違う。入れといわれて入っただけだ。剣を握らない時間を減らすために。ただそれだけ。部活が終わって、道場へ行くと、ちょうどほかの弟子や通いの師範が帰るところで、日が落ちてから吐くまで、吐いてもしごかれる。


 そもそも、迅の中で剣道なんてものに意味はなかった。

 試合で勝とうが負けようが、父親からの評価は変わらない。それに気づいてから何を目指せばいいのかわからず、結局、目標が殴られないこと、怒鳴られないことになっていた。最終的には胃液で酸っぱい口で手のひらが擦り切れても黙って竹刀を振っていた。


 今更、部活なんて余計に意味を見出せない。

 中学から剣道の強豪と名高いこの高校目指して毎日過ごしてきたせいで、当たり前のように入学したものの、やる気は微塵もない。

 そんな奴は邪魔だろう。

 当たり前だ。

 顧問がいくら父と知り合いだとしても、そんな生徒をまともに練習に参加させるわけもなく、もっぱら素振りばかりだった。

 こんなことには、きっと、なんの意味もないし、無駄だ。


 そう思っている間に片付けが始まり、掃除をして、部室で着替える。臭い部室。臭い防具。おまけに迅のものは血でかなり汚い。洗っても落ちない腐ったような酸っぱいにおいが嫌で、部活終わりに美織に会うことはなかった。

 準備と片付けはさっさと終わらせて帰ることが部の決まりなので、無言で着替え、全員がさっさと大荷物を抱えて部室を出ていく。

 迅もその流れで部室を出た。


「古村くん」


 部室の外で挨拶する声が聞こえていたので誰かいるのだろうとは思っていたが、汗臭い狭い通路に宇田が立っていた。スーツ姿で、軽く手招きをする。


「あ、先生……」

「じゃあ行こうか」

「……え? あ、はい……」


 ちらちら部活仲間に見られながら宇田の後をくっついて行き、練習場に戻る。

 がらんとした練習場に宇田が明かりを付けた。


「偃月、いいぞ」


 宇田がいう。

 窓が開いて、ジャージの偃月が入ってきた。

 美織は運動部ではないので下校の時も制服のはずだ。

 どうしてジャージなのかと思っていると、偃月が布でくるんである大刀を担いだ。その顔はかなり不服そうだ。その顔のまま迅の隣に来て、黙ったままさらに嫌そうに顔をゆがめる。


「何だよその顔」

「はあ」


 口を曲げて息を吐く。

 宇田が咳払いした。


「そもそも偃月は霊剣の類なんだから実物を持ち歩く必要はねえだろ」

「え?」


 そうなのかと偃月を見るとそっぽを向かれた。

 宇田がつらつらと説明を続けた。

 善蓮の力によって霊剣となった偃月刀。その存在を神域に還した後に、式神を使う時と同じように降ろせばいいといわれたが、何も全くわからなかった。だが、つまり、そう、うまくいけばこの大刀を担いで登下校する必要はないということではないか。


「それって、どうすればいいんですか」

「息を合わせてあとはそこの偃月しだいだ」

「え?」


 偃月を見るとむっとして大刀を大切そうに抱える。

 宇田が睨むようにそんな偃月を見た。


「側も中身も違うからな、抵抗があるんだろ」

「当たり前だ!」

「いいから一回やってみろ」

「い、や、だ!」

「はあ? こんな術ともいえない初歩の初歩を渋ってるようじゃ話にならないぞ」

「とにかく嫌だ。気持ち悪い。善蓮の記憶さえ取り戻せればそれでいい」


 偃月はそうかもしれないが、美織が大荷物を担いで登校するというのはかなり見た目に問題がある。警察相手にやったような催眠を毎回使うつもりなのだろうか。登校するたびに、毎回。そもそも、銃刀法違反だし、万が一、催眠にかかりにくい相手がいたら困ることになるのは、元に戻った後の美織だ。


「しまえるなら、しまっておいた方が」

「黙れ木偶の坊。口を挟むな。偃月が嫌だといったら善蓮でも譲歩したぞ!」

「……確かに」


 宇田が静かに同意する。大昔からこの調子でわがままだったということか。それにいちいち付き合っていた善蓮は相当懐が深かったのだろう。


「でも、じゃあ、その初歩を試さないで、俺はどうしたらいいんだ。こんなオカルトみたいな話、詳しくないぞ」

「知らん。景真と相談しろ。偃月は先に帰る」

「は?」

「晩飯はムニエルにしろ」

「わがままがすぎる……」

「おい、お前何ふざけたこといってやがる」


 帰ろうとする偃月の前に宇田が立ちはだかった。


「俺の時間を奪っておいていい度胸だな、偃月」

「ああ、喧嘩か? 偃月と喧嘩するのか。体は娘のものだが偃月は健在だぞ」

「さっさと神域に帰れ。従順な和魂だけ降ろしてやる」

「ははは! 馬鹿め、そんな道理にかなわんことできるものか。それくらいは知ってるぞ、馬鹿にするな」

「糞鬼め、退治してやろうか」

「おうおう出来るものならな」


 偃月が器用に美織の体で大刀を抜いた。照明で刃がぬらりと光る。


「おい、偃月。先生も、こんなところで……」


 偃月の肩を掴むと振り払われた。

 振り向いた偃月に「そもそも」と指をさされる。

 一瞬、偃月が言葉をのんだ。

 そして睨みなおして「お前が馬鹿真面目なのが悪い!」と唾を飛ばす。


「は……はあ? 何だよ、それ」


 急に真面目さを責められて意味が分からなくなる。


「いかようにもできただろ!」

「な、何がだよ……まさか、昨日道場でのことか? できるわけないだろ!」


 いくら、その善蓮という陰陽師がすごかったところで迅には一切関係のない話だった。少なくともそんな話は欠片も聞いたことがなかった。いかようにもなんて無理な話だ。


「お、お前を神棚から引っこ抜いて戦うなんて思いつくわけがないだろ! そんなことをいったらお前がもっと早く……あんなに簡単に倒せるなら、なんでもっと早く出てこなかったんだよ! まさか……まさか、俺が死にかければ記憶が戻ると思ったのか!?」


 偃月はこぶしを握って黙っている。

 言い返す言葉を探しているように見開いた目が泳いでいた。

 黙れ木偶の坊と昨日から散々罵ってきたくせに、明らかな動揺に腹が立ってくる。

 善蓮という男がどんなに規格外だったとしても、結局は死んでしまったのだろう。

 死んだら普通はもう会えない。来世でどうのこうのなんて、今生のやり残しに対する言い分けだ。特別な力を持った一部の輩のために、どうしてこっちが被害を受けなければならないのか。


「死んだやつに会いたいなんてわがままに美織を巻き込んだのかよ! ふざけるな!」


 こぶしを振り上げたい気持ちをぐっとこらえた。だが、これが美織の体でなかったら絶対に殴っていた。


「せめて謝れよ! 全部お前のせいじゃないか、お前がもっと早く」

「うるさい、うるさいうるさい!」


 偃月が叫ぶようにいった。癇癪を起こしたこどものような金切り声にぎょっとする。

 だが、ここで黙ったらこの勢いのまま出ていこうとするだろう。そんなずるいことはさせない。逃げようとする偃月の手首を掴んで引き寄せた。

 ばっとこっちを見た偃月の顔が泣き出しそうで、その美織の顔に反射的に手を離した。


「……盛り上がってるとこ邪魔するけどさ」


 宇田がため息をついた。


「ぶっつけ本番の気配がするぞ」


 宇田が指を鳴らすと小さな雷が落ち、勿来が姿を現した。制服姿ではなく、いわゆる花魁のような衣装で、きょろきょろ辺りを見渡す。

 偃月が片手で口元を覆い、迅を睨んだ後に「そうか?」と怪訝そうに辺りを見渡す。


「寝てる間に鈍くなったんじゃねえのか」


 宇田がそう笑った瞬間、うなじに冷気を感じてつい首を押さえて振り向いた。何もいない。だが、何かがおかしいことは分かった。

 こうなるとさすがに偃月も気づいたらしく、嫌々大刀を構えた。


「美織の体で何するつもりだよ」

「何……そんなの決まってるだろうが」


 下がってろと偃月が数歩前に出た。

 偃月が見据える方。練習場の暗がりからぬるりと大きな手が現れる。

 引き戸を開けるようにして手がゆっくり動く。

 昨日の昼に見た化け物を思い出しぞわっとうなじが粟立つ。

 手が何かを開けるように動いたところから何かが落ちた。

 それが転がり、後を追うように次々と落ちてくる。


「め、目玉……」


 落ちてきたそれが何か。

 迅がはっきり確認できた時には偃月が大刀を槍のように構えて、そして、手に向かって投げつけた。


「うわ」


 そう軽くつぶやいたのは宇田だった。

 偃月が投げた大刀が命中し、手は真っ二つに裂けて黒い煙のようになって消えた。


「命中~!」


 勿来が嬉しげにぱちぱちと手を叩くのを宇田がややうんざりした目で見て指を鳴らした。勿来もするっと黒い腕輪になる。


「何だったんだ……?」


 寒気のようなものがすっかり消えている。

 宇田が「ちっぱけな悪霊だろ」と肩をすくめた。

 偃月が投げた大刀を拾いに行く。

 それを見ていると宇田が近づいてきた。


「本来なら拾いに行く必要もねえんだがな」

「それってどういう……」


 宇田が腕輪を外す。

 黒い金属か何かのように見える。明かりにてらりと光る。


「これは、あの大刀といわば同じものだ」

「……霊剣とかいう」

「そうだ。だから」


 宇田が天井に向けて腕輪を放り投げた。

 宙に放り出された腕輪が、消えた。


「え」

「ほら」


 宇田が迅の目の前に腕輪を突き出す。


「は……え?」


 黒い腕輪を手首に戻す。


「こういうことができるはずなんだよ、あいつが協力的ならな」


 大刀を持って戻ってきた偃月の方を顎でしゃくった。

 偃月も話を聞いていたらしく「はっ」と鼻で笑った。


「てめえ、笑ってる場合か。ちょうどいい雑魚が出たんだ。このぼんくらにやらせてみりゃあよかったろうが」

「そんなの時間の無駄だ。偃月がやった方が早い」

「早い遅いの問題じゃねえだろうが、なあ」


 宇田が偃月の胸ぐらを掴むように手を伸ばすが、それを柄で避ける。


「今の偃月は女子高生だぞ。手を出すなんてどうかしてるぞ先生」

「話を逸らそうとしても無駄だ。さっさとそのガキに大刀を貸せ」

「嫌だ」

「ふざけんな」


 この会話に決着はつくのだろうか。

 偃月の性格を考えれば一度嫌だといえば、相当な理由がない限り意見を変えることはないだろう。少なくとも昨日から見ていた印象はそんな感じだ。

 ほかの手を考えた方がいいのではないか。


 陰陽道のことはよく分からないが、宇田も随喜も精通している。それこそ、善蓮ほどではないとはいえ、大昔から同一人物として存在できるくらいには、常識を大きく外れているのだから、記憶を取り戻すくらいわけないのではないだろうか。

 美織を巻き込んだ。

 それも、部活に行かずにサボって……。

 もっと早く偃月が助けてくれればとは思うが、そもそも部活をサボりさえしなければこんなことにはならなかったはず……。


「あ……先生」


 ふと疑問が頭をかすめて、偃月と終わりのない喧嘩をしている宇田に声をかけた。

 宇田が「黙ってろ」と半ば想像通りの返事をする。


「いや、あの……普通、こんなに悪霊とか、でない……すよね? 昨日の今日だし」

「あ?」


 無視を覚悟で話を続けてみると耳に入ったのか、宇田が振り向いた。

 偃月も「ああ」と考えるように斜め上を見る。


「そういえば」

「確かに」


 長生きしているとうっかりしやすくなるのは随喜に限った話ではないらしい。

 宇田が悩むように自分の顎を撫でる。

 偃月は腕を組んで迅を睨む。


「何だよ」

「偃月が現に戻ったからかもな」

「うつつ……現?」


 偃月がふいっとそっぽを向く。


「レーダーに引っかかるもんがあるんだろ、こいつら人間じゃねえ輩同士ってのは。で、未だに偃月を見張るくらいには善蓮を恨んでるやつがいるってことだ」


 宇田が腰に手を当て、怠そうにいった。

 善蓮を恨む。

 未だに……。


「恨まれるようなことしてたんすか、善蓮」

「してない」


 偃月がきっぱりいう。そして宇田を睨んだ。


「善蓮は恨みを買うような男じゃない」

「馬鹿いえ。偽善者の代表みたいな男だったろうが」

「……俺、恨まれてるんすか」


 偃月が「違う」といって宇田は「そうだ」という。

 そしてお互いに睨みあう。

 偃月は善蓮を庇いたいのだろうが、事実、こうして襲われているということは、宇田の話の方が正しいのだろう。


「俺がその、陰陽師……というか、陰陽道、でしたっけ。そういうの学んだら、何とかなりますか」


 宇田が腕を組む。しばらく考えるように黙って目を閉じていた。

 偃月はむすっと不貞腐れた顔で宇田を睨んでいる。美織はそんな顔、絶対にしなかった。未だに変な感じがする。

 じっと見すぎたのか、偃月の目がギロリとこっちを向いた。

 反射的に目を逸らす。この鬼のめちゃくちゃな話に付き合っていられない。

 それとなく宇田の方を見ると、こちらはこちらで目を開けて険しい顔を迅に向けてくる。


「そもそも、生まれ変わりってのは過去の記憶が魂にだけ刻まれただけの状態で、記憶障害なんかとは違う。脳には記憶がねえんだからな。だから、今、陰陽道を学んだところでそれは脳への記憶の蓄積でしかねえ」


「意味、ないってことかよ」


 宇田が前蹴りを繰り出してくる。

 慌てて避けた。


「すみません……」

「お前、その態度。ふつーに教師の間で問題になってんぞ」

「……あー……気を付けます」


 もともと、あまり教師と話をする機会が多い方の生徒……というわけではない。

 成績がすこぶる悪いわけでも、出席日数に問題があるわけでもない。そもそも、学校で口を開くのは指名された時くらいで、友達と呼べるような相手も少ない、いや、ほぼゼロだ。同級生で口を利くのは美織くらいだった。それも人目があるところでは知らないふりをしていた。そういう時、美織もツンとしてこっちを見もしなかった。

 しかし、放課後に時間を作り、場所を変えて二人になった時、誰にも見られないところでこそこそ会って話すのは楽しかった。話すだけではない時もあったが……。

 そんな状態だから美織以外と、会話らしい会話などする機会の方が少ない。したいとも思わない。

 しばらく沈黙が続き、宇田が深いため息をついた。


「魂の記憶ってのは、ひょんなことで思い出されるもんだ」


 眉間のシワは濃く、嫌々という様子で話を続ける。


「縁が深いやつがそばにいたり、昔好きだったことをしたり」

「何だ偃月がやったことで合ってるぞ」


 昨日、山のようにコンビニスイーツを買わされたことを思い出す。

 偃月にパシられ、甘いものを食べたくらいで思い出せたら苦労はないのだが。


「後は善蓮の本命卦で肉体じゃなく、魂の吉凶方位に従うとかな」

「急にそれっぽいすね」

「これは下手を打つと家を建て直す必要がある」

「立て直し……」

「あと、正直、善蓮は生まれがはっきりしねえからな。あんまり意味がねえ。ざっくり……めちゃくちゃざっくり、凶方位を教えてやるから迂回して登下校するとか……」

「景真よお、方違えってそんなだったか? もっとまどろっこしかったろ」

「じゃあてめえが占え」

「馬鹿いえ、邪鬼が風水なんぞやれるか」


 宇田が眉間を押さえる。


「一番はその大刀に触ることだがな。善蓮の生前の品でまともに愛着があるのはそれくらいなもんだろ」


 ちらっと偃月を見ると、これ見よがしに大事そうに大刀を抱える。さっきはぶん投げたくせに。


「これは偃月と善蓮のだ」

「だから、こいつにも触らせろや」

「嫌だ。気持ち悪い」

「……埒が明かねえわ。つーわけで」


 宇田が肩をすくめた。


「魂の記憶なんてもんは運次第だ。偃月がこのありさまなら、俺か随喜の占いでどうにかするしかねえ」


 運次第。

 占い。

 やっと出た答えがそれなのだとしたら、かなり頼りないものに聞こえた。










 善蓮という男の生まれは全くはっきりしない。

 如何せん、本人も覚えていないといっていたらしいので仕方がない。

 物心がついた時には親元を離れ寺院にいたのだとか。そこが生まれた土地かといえば、そうではないらしい。安倍晴明などの有名な陰陽師が現れるよりずっと昔、そもそも陰陽道が確立する前の話だろうというのが偃月の話だった。

 そんな話を聞かされたところでピンと来るわけもない。

 家に帰り、当然のように一緒に入ってくる偃月。本当に美織の家は、家族は大丈夫なのかと心配になるが、尋ねても「偃月がいいといったらいいんだ」と話にならない。


 だが、本当にまずいことになれば美織の中の偃月だって不利益を被るのだから、確かに大丈夫といえば、大丈夫なのだろうが……。

 昨日も今日もぐったりだ。

 コンビニで大量に買ったスイーツが冷蔵庫を占領していたので、面倒くさくなり、夕飯はそれにした。


「ムニエル」

「何でそんなに食いたいんだよ」

「偃月が、というよりは美織の好物だ」


 初耳だ。

 崩れるほどやわらかいプリンにプラスチックのスプーンを突っ込み、カラメルのところがちゃんと乗るようにしてすくう。

 偃月はフルーツサンドをぺろりと平らげた後、チョコレートケーキにも手を出す。


「美織の……その、容体とか、分かるのか」

「瀕死だ。まあ、本人が望めば意識を返してやれんこともないが。望めばの話だ。この娘は今、目も耳もしっかり塞いで意識の奥の方に引きこもってる。だから好物でも食ってやれば喜ぶかと思ってな」

「それを早くいえ」

「そんなにこの娘がいいのか?」


 偃月はプラスチックのフォークでケーキをつぶすように切って口に運ぶ。

 美織の顔や声でそれを尋ねられるとさすがに変な感じがする。

 いいのか、というのは、好きかどうか、という話だろう。


「……なんでそんなこと知りたいんだよ」

「この娘が知りたがってる」

「そんなわけあるか」

「美織はかなりお前のことが好きなようだがな」

「美織が俺を?」


 そう問いかけると、偃月が「そうだ」と眉間にしわを寄せる。不満でもあるような顔で。

 正直なところ、美織との関係は純粋な好意からというよりは、お互いに、何となく、似た者同士だからという気がしていた。かわいいとは思うが、世間一般の、甘酸っぱい気持ちとは違う。美織もそうだろうと勝手に思っていた。変な親を持った者同士、気が合うだけだと。


 そもそも、人を好きになるという感覚がよくわからない。

 仮に、美織に振られても多少落ち込みはするだろうが、それだけだ。

 美織もそうだと思っていた。


「全くこのガキは。美織とエロいことをする妄想ばかりしくさって」


 急に偃月が鼻で笑った。


「は? そんなこと考えてないっ。美織に変な誤解させるな」

「いい、いい。お前くらいの年のガキの考えそうなことくらい分かる。美織も気にしてない」

「そんなわけないだろ。変な印象持たせないでくれ」


 全く考えていなかったといえば噓になるが、それでも、それはこうなる前の話だ。

 美織は、可愛い。話し方や表情も好きだった。ただ、それだけといえば、それだけだった。

 極端な話、どうしても美織がいい、美織でなければ、という切実さのようなものはなかった。

 付き合うことへの興味だとか、あとは学校だ家庭だ、と、その辺の漠然とある不満へのつまらない抵抗。何となく、人に隠れて悪いことをするスリル。

 まともに考えたことはなかったが、改めてきちんと答えを出せば、酷い話だ。

 家は鬱々としていて、友達もろくにいない学校は何が楽しいかわからない。通っている高校は剣道の強豪校らしいが、素振りの毎日となれば、戦力外通告を受けているようなものだ。


「……美織は俺なんかのどこがいいんだよ」


 食べる気になれず、プリンをただつつきながら、答えが欲しくてというよりは、うんざりしてつぶやいた。

 偃月はチョコレートケーキをペロリと平らげた後に鼻を「ふん」と鳴らしてじろじろ迅の顔を見つめてきた。


「……何」

「別に」

「お前、俺を馬鹿にしただろ」

「はん?」


 美織が本気なわけがない。

 そもそも、どこに好かれる要素があるのか。

 学校では地味な方。友達もいない。父親と違って剣道は弱い。成績も並だ。


「食ったらちゃんと歯磨けよ」

「うるさい。当たり前だろうが、馬鹿か」

「お前、口の利き方まじで最悪……」


 迅のつぶやきを無視して偃月は大福に手を伸ばした。




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