秋
秋はあたしの季節よね。
あかねという名、茜空。夕暮れ時は涼しげで赤いとんぼが飛ぶ様も、よく似合うもの。
もっといえば食欲の秋。平日の昼間から美味しいものを食べに来るお客さん。今日も満杯、あたしの店。入口にかけられた《レストラン・月影》の看板が、誇らしく輝いている。
花見から早半年が過ぎ。
時が経つのは速い。
去年の今は暗澹とした気持ちを抱え窓辺に立ちて、
***
一年前の一〇月。
都会の端っこのレストラン。
銀のおたまやフライ返しなどの調理道具がインテリアのごとく吊り下がった厨房で、ひたすらに料理を作る。エスニックなパエリアが注文の品。色鮮やかな野菜・肉類にサフランの黄色が華やかで、触れればアツアツ・スパイシー。真っ白な皿に盛り付け届けてみれば明るい顔でスプーンかき混ぜ、ガツガツと貪り食う。
中学時代、家庭科の成績が一番によかったので、もっと伸ばそうと努力した。
昔からそんな感じ。
がむしゃらに駆け抜けた日々の思い出。キャンパスノートにペンを走らせ問題集にかじりつく。体育祭の間際では坂道の走り込み。
果たして意味はあったのやら。
頑張っても頑張っても先頭はいつだって
リレーのアンカー、バレー部ではキャプテンを、おまけに学級委員まで。いくつの役を兼ねるつもりよ? 内心は
結果花は見事咲き、目論見通り夢を叶えたのだけれど。
《レストラン・月影》の看板を出した頃、
もう二度と会えない彼女。
腐っていく心、
目標すらも失ってしまった。
あたしはいったいどこへ向かえば、いいのだろうか。
時は流れて、冬と秋の境目。
午後五時前。
看板をしまおうとカウンターの前に出たタイミングだった。
ギイィィィン、カランカラン。
ガラス戸が小さく開き来店告げるベルの音、軽やかに鳴る。
「はーい」
晴れやかに返事をしきょとんと丸く、目を開く。
レジのそばを素通りして奥へ入った青年。黒髪黒目、地上波や新聞でよく見た顔だ。ハイネックと細身のパンツ、私服姿で現れた。
「弁当を作ってくれ」
カウンターの丸椅子に腰掛けて、頼む彼。何食わぬ顔。
弁当なんて宅配かコンビニで済ませればいいじゃない。内側で呟きながら黙々と、両手を動かす。
まかないを作る感じで具材を切って、火を通し、整えた。
肉の団子にツヤツヤのタレをかけ、そのそばに丸々としたハンバーグ。ふわふわのだし巻きたまご、赤くキュートなミニトマト。広いエリアに塩を効かせたおむすびを三つほど。楕円の弁当箱に詰め込めばピクニックに適した品が出来上がった。我ながら手作り感を演出でき、温かみあるいい感じの弁当だ。
「ありがとう」
爽やかな笑顔だった。
ペイズリー柄の赤い布巾に包んだものを、澄まし顔で貰う。
ちなみに営業時間外のカウントだし、メニューにも載っていない。仕事ではなく個人に送ったもの。
ところで彼はなにをしに来たのだろうか。困惑中のあたしに
「ここに来たのはほかでもない。君に声を掛けるためだ」
「なぁに? あたしと付き合いたいの?」
真顔でかます冗談を。
悠はあっさりと首を振って否定した。
「会ってきたんだ、
沈痛な面持ちで繰り出した。やけに明瞭に耳に届いた。
一瞬、息が詰まった。
空気も停まった。
「約束だ。一〇年後、桜の下でみんなと会おう」
まっすぐこちらを見つめる瞳。
オニキスじみた黒色に、硬い意志。
「みんなの料理、作ってくれ」
力強い声にあたしはハッと、息を呑む。
弾かれるように顔を上げた拍子に栗毛が揺れた。
遠ざかっていた約束がありありと蘇ってきた。
「
宣言をする確かな目。
そうか、そうよね……。
最初から
彼の決意、熱い気持ちが、痛いほど伝わってきた。
やがて彼は席を立つと、頭をしっかり下げてから弁当をぶら下げて、カウンターをすっと横切る。料金を払った後、ガラス戸を開けて鳴るベルの音。気配は消えた、溶けたみたいに。
目をそらし、窓の外を見つめるあたし。薄闇で青墨に溶けし街。ほんのりとした残光が、まだ世界を照らしてる。
思い出した、料理人を志したもう一つの理由。
こみ上げるのは
華やかな色で彩られた黒板、開けた窓、晴れた青空、舞い散る桜。
卒業式に友達が約束を切り出したときからずうっと、皆の企画の中心になりたいと、願っていた。
蓋を開ければ一〇年前の思い出がふわっと蘇るような宝箱。それを届けたくって、ずっと……。
***
夕日が沈んだ。
店の門を閉じて買い出しついで、ふらりと歩く。ロングスカートをひるがえしつつ、川の手前で立ち止まる。《鈍川》と脇の看板。また一歩進む。
弧を描く古びた橋の欄干に手をついて、ぼんやりと見下ろした。灰色の水面に落ちた光はやけにクリアで、
耳の奥、透明な声が囁いた。
「茜空。夕空の意味」
葵村。国道へ続く橋から川を見たとき。
なんであたしはあかねって名前なんだろう。
素朴な疑問に
「鮮やかな夕空は幸運の証なの。太陽があかねを祈ってくれてるの。あなたの未来が輝かしくありますように」
近く重なった互いの影。
皮肉かしらと苦笑する。
「まるで
日が落ちた後の街をゆっくり歩く。
ピンヒールで踏み出せば通った道後ろへと押し流されて、離れゆく。記憶は鈍く霞み、脳の奥に刻まれた一枚の画が陰る。
辛いのは戻れないことではなくて。
今と変わらず延長線にあるはずの景色がある日ぷつりと途絶え、過去になった――そう悟ったとき。
花が散り時間は停まった。
終わった世界に声が聞こえた。
太陽がない世界でも多分きっと、大丈夫。
記憶の中に生きる彼女に、背中を押された気がした。
紅に色づいた並木道、淡々と歩くあたし。ハイヒールを踏み出す先へ、一つの影が伸びていた。
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