第7話

 次の日、マリアーヌは公爵の執務室を訪れていた。


(このままでは公爵のペースに飲まれてしまうわ)


「失礼します。……ベイガー公爵」

「どうした?」


 公爵は仕事の手を止めることはなかったが、返事の声は柔らかかった。


「私に公爵の時間をくれませんか?」


 その言葉に公爵はキョトンとした表情でマリアーヌを見た。


「俺の?」

「はい。あまりの展開の速さに頭が混乱しそうです。だから、えっと、もう少し公爵とお話をしてみたいなと」


 馬鹿正直に伝えるマリアーヌに、公爵は思わず吹き出した。


「そうだな。それは俺が悪かった。何から話そうか」


 そう言うとラインハルトは立ち上がり、マリアーヌをソファーへと座らせる。

 そしてゆったりとマリアーヌの隣に腰を下ろした。


(どうしよう……。話をしたいとは思ったけど、何を話せばいいのやら)


 元夫以外の貴族男性とほとんど話したことがないのだ。マリアーヌは口ごもってしまう。

 それでも「時間を取ってもらったのだから」と質問を捻り出した。


「えーっと、なぜセンシアの市場で倒れていたのですか?」

「あぁ、あの時は王命で仕事をしていたんだ。仕事を終えて帰る途中、急に力が入らなくなって……そのまま気を失ったようだ。あそこの店主が親切でな。店で休ませてもらっていた」

「あの時、おそらくご飯を食べていませんでしたよね? いつからですか?」

「いつだったか、二日前か? 水は飲んだぞ」


 淡々と話しているが、とんでもない話だ。


(王命で食事も取らずに夜中に仕事? 倒れるまで?)


 マリアーヌは公爵が酷使されていることに怒りを覚えた。

 食事も食べられずに働かされる辛さは、痛いほど知っている。


「陛下に抗議します」


 マリアーヌが立ち上がると、ラインハルトが笑いながらマリアーヌを座らせた。


「食事を取らなかったのは俺の不手際だ。心配しなくていい。それに、おかげでマリアーヌと出会えた」


 頭を優しく撫でられ、マリアーヌ頬が赤くなる。


「き、気をつけてくださいね。ベイガー公爵が倒れたら、困りますからっ……!」


 マリアーヌが俯きながら返す。顔を上げられなかった。


(距離が近い……! 整ったお顔が近いと迫力が!)


 ドキドキとうるさい心臓の音を聞きながらぎゅっと目を閉じると、公爵の手がするりと頬まで降りてきた。


「ところで、マリアーヌはいつになったら俺を名前で呼んでくれるんだ?」

「な、名前?」

「ラインハルト」


 公爵の手がマリアーヌの顔を持ち上げる。

 マリアーヌが思わず目を見開くと、楽しそうな公爵と目が合った。


「ほら、呼んで?」

「ラ、ラインハルト様……」


 マリアーヌが名前を口にすると、ラインハルトは満足そうに微笑んだ。

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