第5話 両手いっぱいの愛を
村に到着してすぐにフレイリスは村の診断所に連れていかれた。そして僕たちはギルドに事の顛末を説明しに向かう。
「はあ……やっと解放されたぁ」
そして、すべてが解決したのは日が暮れ始める頃だった。幸い、竜人の少女との戦闘での破損、主にヴィタ・コルディス神殿についてはお咎めなしとなった。元々廃れて、歴史的価値も何も無かったものだったおかげかもしれない。
「リアナはもうお腹ペコペコです! レンさんレンさん、今日はごーせーにいきましょう!」
「そうだな。いっぱい食べようか」
……いや待て。もしいっぱい食べてリアナが大きくなったらどうしよう。でも、ちっちゃい子を飢えさせるわけにはいかないし……。
「どうしたんですか? レンさん」
「リアナ、いっぱい食べてもそのままでいてね……」
「だいじょーぶです! リアナ、太った経験は無いので!」
そういう意味じゃない。
と、まあ軽口はこの辺にしておいて。僕は少しだけ真面目ぶってリアナに話しかける。
「リアナ」
「なんですか?」
「この村での生活、楽しかったか?」
「はい! リアナ、こんなに仲良くして貰えたのは初めてです!」
「よかったな」
今回の件で残っていた二つの懸念が解消された。ここで教えられる、冒険の初歩も覚悟も既に教え終わっている。
だが、これに続く言葉は遮られてしまった。
「――随分と楽しそうね。レガン」
刺々しい声音が僕の名前を呼ぶ。――今の名前ではなく、前の名前で。
僕たちの前に立っていたのはエルフ族の女。
彼女の宝石のように透き通った瞳が僕を真っ直ぐに見つめる。きめ細やかな金の髪は夕日に照らされキラキラと輝いていた。
「まさか、派遣先の村で貴方と再開するとは思ってもいなかったわ。レガン」
「……僕はレガンではないです。人違いじゃないですか?」
「私が貴方を見間違うはずが無いでしょう。何年一緒に居たと思ってるの?」
「でもほら、世界にはそっくりな人が三人はいるみたいな話がありますから……」
僕の言葉に彼女は眉間に皺を寄せる。これは確実に疑われている時の顔だ。
彼女はずいっと体を寄せてくると、至近距離で僕の顔をジロジロと見てくる。
「……この顔立ちは間違いなくレガンのはず……でも、瞳の色が違うわね……どうしてかしら……」
「だから人違いですので……」
愛想笑いを浮かべながらそそくさと立ち去ろうとする。と、そこでリアナが手を引いてきた。
「レンさんレンさん、お知り合いですか?」
「知らな――」
知らない人、と続けようとして口を噤んだ。そこまで言うのは気が引けたからだ。
代わりとばかりに彼女が口を開ける。
「問題よ!」
宣言するかのようにハッキリとそう言う。
……もしかして、以前の僕の問題でも出すつもりなのだろうか。だが、そんな問題にわざわざ馬鹿正直に答えるわけが――。
「第一問。王都中央通りの花屋さんの一人娘、キューティーちゃんの好きな食べ物は何――」
「はい! お母さんの作るアップルパイ!」
「……第二問。スケルタ孤児院の最年長――」
「ゴルットくんで歳は十三!」
「レガンよね?」
「違います」
「…………第三問。スケルタ孤児院にいる子たちの中でここ一年間、一番しんちょ――」
「トールテンくんで十センチ伸び――はっ!?」
これは違う。二年前の時の答えだ。今の孤児院にいる子たちのことを僕は何も知らない。
「リアナ、今度身長を測らせて欲しい……」
「いいですけど、ちゃちゃっと終わらせてくださいね」
よし少しは元気が湧いて出た。
僕はエルフ族の女――エルシンドに向き直る。
「まさかこんな形でバレるとはな。その通りだ。僕は以前、レガンと名乗っていた。今はレンと呼んでくれ」
「……そうね。私もこんな形で確証を得たくはなかったわ」
エルシンドは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「貴方、何か私に言うことがあるんじゃないかしら?」
「え? あー……どうしてここに?」
この村は辺境も辺境。近くに迷宮もないし、古代魔道具を集めることが目的のエルシンドがわざわざここに来るのは珍しい。
「そうじゃないわよ! ……はあ。私は仕事よ。骨喰いの森の調査を依頼された派遣冒険者。それが私なの」
ボルガスが成り代わっていた相手か。それでこんな辺鄙な場所に。というか、
「お前、ギルド直属の冒険者になったのか? どうした、金に困ってるのか」
「……誰のせいだと」
僕のせいではないだろ。最後に会った時は普通の冒険者だったし。
「それで他に何か言うことは無いのかしら?」
何故だろう。会話が戻ってしまった。正解しなければ先に進めないのだろうか。
「身長……は伸びてないし……元気にしてた?」
「……あのねぇ」
我慢の限界だとばかりにさらに近づいてくる。
「貴方が! 何の連絡を寄越さないまま二年も消息を絶っていたからでしょうが!」
「えぇ……というか手紙なら――」
「私がどれだけ心配したと思って……!」
「えっ。……心配してくれたのか?」
「べ、別に心配してたとかじゃなくて。ほ、ほら、あれよ! 目の前でどこかに転移させられちゃったでしょ? 仲間として、心配してたの。そう、それだけ」
心配してくれてたんだ。てっきり、嫌な奴が居なくなって清々したとでも思われてるものだと。
「ま、まあいいわ」
興奮を抑えるかのようにごほんと彼女は咳払いをひとつした。
「それで、もう一度パーティーを組むんでしょうね? 前のパーティーは色々あって解散しちゃったけど、貴方が戻るなら皆も――」
「あ、悪い。僕、以前のパーティーに戻る気はないから」
「は?」
ピシリと音を立ててエルシンドが固まった。そして数秒後、再び動き出す。
「レガン、どういうつもり!? 貴方、以前に言ってたわよね。あのパーティーが一番だって。お金を沢山稼いで寄付するんじゃないの!?」
「僕、そういうのやめたんだ。今はこの子を大切にしたいから。あと、レガンじゃなくてレンね」
リアナの手をぎゅっと握る。エルシンドの視線が僕から彼女に移った。そして何かに気づいたかのように瞳を揺らす。
「レガン、貴方まさか――」
「レガンじゃなくて、レンだ。何度も言わせないでくれ、エルシンド」
「……本気、なのね。そう」
彼女はそう言って後ずさる。失望されただろうか。いや、元々嫌われてるのだからあまり変わらないか。
「わかった。今はレンの言い分を聞いておいてあげる。ただ、もう一度話をしましょう。それぐらいなら問題ないわよね?」
「ああ」
理解されるとは思っていない。彼女たちとの思い出を捨てるということなのだから。それでも、きっと、きちんと話をするべきなのだろう。
「では、最後にもうひとつだけ」
「まだ何かあ――」
暖かいものに包まれた。
一瞬、何をされているのかわからなかった。だけど、すぐに僕が抱擁されているのだと気づく。
「え――」
「生きていてくれてありがとう」
凛としていて、だけどどこか優しい声音が耳朶を打つ。彼女の絹のような髪から香る匂いは懐かしくて、安心するような香りで。
「守れなくてごめんなさい。一人にさせて、ごめんなさい」
抱きしめ返そうとして中途半端に上がった手がだらりと力を失い、落ちる。
「お、れは……」
「嬉しかった。レガン、いいえ、レンにまた会えて、嬉しかった」
ダメだ。これは、ダメだ。
俺の頭は今すぐに離れろと訴える。だが、体が思うように動かない。はやく、はやくはやくはやく――。
「だ」
「待った! です!」
俺とエルシンドの間に割り込むようにリアナが入ってきた。そして彼女は僕の腕に抱きつくと、キッと威嚇するかのようにエルシンドを睨む。
「お姉ちゃん候補とは認めてもいいですが、これ以上先はまだダメです! よ!」
「わ、私、何言おうと……。ち、違うから! その、感情が昂って本音が出たとかそんなんじゃないから! 全部……じゃないけど、嘘だから!」
夕日に負けない真っ赤な顔でぶんぶんと手を振るエルシンド。
「違うから! 色々! わかった!?」
「は、はい」
「じゃあもう私行くから! 用事があるから行くの! 恥ずかしくなったからじゃないからね!?」
最後は何やら怒りながら立ち去っていった。
彼女は違う、と言っていたが少しぐらい自惚れてもいいだろうか。少しぐらい、心配してくれてたと思ってもいいだろうか。
「レンさん……?」
不安げに見上げてくるリアナの頭をそっと撫でる。
「行こっか」
俺の言葉にこくりと頷くと、手を繋いで道を歩き出した。
「明日の早朝に村を出よう」
「……いいんですか?」
リアナは少し驚いたように尋ねてきた。俺はああ、と首肯してそっと自分の手を見る。
「俺は今、リアナの手を握っていたい。だけど、片手だけでは抱きしめられないから」
片手はリアナを握る手で埋まっている。空いているのは片手だけ。これでは彼女を抱きしめることは出来ない。
「……それならいいですよ。明日の早朝に村を出ましょう!」
「いいのか? 急で村の人たちに挨拶できないけど」
「急な旅路は冒険に付き物ですから! それにきっと、皆とはどこかで会えますよ!」
ふふん、と笑ったあとに彼女は何かを思いついたかのように「あ」と声をあげ、握っていた手を離すと俺の前に回り込んだ。
「レンさん、代わりにひとつお願いごとをしてもいいですか?」
「リアナの身長を伸ばすこと以外なら何でも聞くぞ」
俺が即答すると、リアナは照れたようにはにかみながら両手を伸ばした。
「じゃあ、両手を握ってください」
「そんなことでいいのか?」
「はい!」
リアナの両手を握ると、彼女は悪戯を成功させた子供のように笑った。
「これで両手が塞がっちゃいましたね」
心底嬉しそうに笑いながら後ろ歩きで前に進む。俺、否、僕はそれに戸惑いながらも続いていく。
「レンさん。今だけはレンさんの両手はリアナだけのものです。フレイお姉ちゃんにも、エルお姉ちゃん候補にも渡しません」
「うん」
「リアナの手も、レンさんのものです。ずっと一緒にいます。居なくなりません。離しません。絶対に」
「うん」
「約束、ですから」
――家族ごっこをしましょう。
「うん」
あの時の言葉を反芻しながら頷いた。
家族ごっこ。偽家族。擬似家族。将来僕らはこの関係を何と呼ぶのだろう。――嘘で塗り固まったこの関係を。
「大好きだよ、リアナ」
「リアナもです! レンさん!」
だけどこの言葉は嘘じゃない。
だって、僕はちっちゃくて可愛いものが大好きなどうしようもない人間なのだから。
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