第3話 生きるための覚悟



 ――骨喰いの森にて。


「まったく! まったくですよ、まったく!」

「ごめんねー、リアナちゃん」


 わかりやすく怒ってみせるリアナに謝り倒すフレイリス。ボルガス、フレイリス、リアナの三人は骨喰いの森の調査に来ていた。


「レンさんもレンさんですよ。あっさり許可しちゃって!」

「あはは……確かにそれは意外だったよね。断ると思ってたよ」


 レンはリアナに同行したいかどうかの意志を確認すると、あっさりとついて行くことに許可を出した。

 半ば勢いで、当てつけのようにリアナを連れて行くと言ったフレイリスからするとこの状況は想定外。彼は断るものだと思っていた。


「すみません、ボルガスさん。勝手に同行者を増やしてしまって」


 それと想定外はもうひとつ。ボルガスもまた、リアナがついてくることを了承したのだ。


「あんたらがちゃんと仕事してくれるんだったらどうだっていい。それにガキが増えるのはこうつ……いや、なんでもねぇ。気にす――いだっ!?」

「だ、大丈夫ですか!?」

「……クソが。このぐらいほっといてもすぐに治る。気にすんな」


 額を木にぶつけてしまうボルガス。皮膚が切れ、血が滲む額を擦りながら、彼は忌々しげに木々を睨む。

 三人が歩いているのは獣道。足下に気を取られて頭上の注意が疎かになってしまっている。


「ボルガスさん、ちゃんと屈まないとずっと頭をぶつけますよ。ま、リアナはちっちゃいのでその必要はありませんが!」

「慣れてねぇんだよ。というか、なんであんたはちいせぇことを自慢げに言ってんだ。普通逆だろ」


 そうこう話していると、木々が密集しているルートから抜け出した。


「ここって――」

「ここでいいんですよね?」

「ああ。ありがとよ」


 目の前に広がるのは草原。そこだけ切り取ったかのように、廃れた神殿を中心にして木が一本も生えていなかった。


「あんたらはもう帰っていい。用済みだ」

「え、でも、」

「この辺りを調査すりゃオレ様の依頼は終いなんだよ。分かったら邪魔だから帰れ」


 そう言ったボルガスはフレイリスとリアナの間を通り抜けて、神殿へと向かう。フレイリスが彼を追うか素直に帰るべきか逡巡しているとリアナが口を開いた。


「――依頼で来たという話、嘘なんですね」

「あん?」

「レンさんから聞きました。ボルガスさんはこの森で妙な魔物の目撃情報を調べるために来たのだと」

「間違ってねぇよ。ギルドに確認してもいい」

「本当にこの場所で目撃情報があったのですか?」

「……違うかもしれねぇが、調査なんだ。絶対にここかどうかはわからねぇだろ」

「では、絶対にここでは無いので別の場所を調査した方がいいですよ」

「……なんでそう言い切れる?」


 ボルガスの片目が射殺さんばかりにリアナに突き刺さる。その眼光をリアナは何処吹く風かのように受け流し、彼女は続きを口にした。


「だってこの場所――ヴィタ・コルディス神殿に魔物は近付けないですから」


 地面を蹴る音がしたのと同時に、少女の口からは詠唱が紡がれる。


「『ウィンドブレス』」


 リアナの前の空気が爆ぜ、彼女とフレイリスは軽く吹き飛ばされた。


「――その判断の速さは褒めてやるよ」


 先ほどまで二人が立っていた場所に、ボルガスは剣を抜いて立っていた。リアナの判断が少しでも遅れていれば、その剣が二人の首を切っていたかもしれない。


「クソガキ、なんでこの神殿のことを知ってやがる」

「わざわざ教えると思いますか?」

「早めに言っておいた方がいいぜ。教えたくなるまでによ」


 両者の間に一触即発の空気が流れる。それを破ったのはフレイリスだった。リアナを庇うように前に出る。


「リアナちゃん逃げて。ここはあたしが足止めするから……!」


 剣を抜き、ボルガスを見据えて構えを取った。

 

「ごめんね。……ごめんね、あたしが連れて来たばっかりに。危ない目に遭わせて」


 震える剣先を見てボルガスは口元を歪ませる。


「あんたには興味はねぇがよ、剣を向けるのなら……覚悟しろよ」


 ボルガスはそう言うと地面を踏み締め、突進してきた。正々堂々、真正面から向かってくる。


「『アイスシャード』」


 水で作られた鋭い刃物がボルガスのもとに飛来していく。


「中級魔法か。――だが、威力が足りねぇなぁ!」


 魔法が命中しても動きを止めるほどの傷を与えられない。魔法の威力は熟練度と魔力量で決まる。フレイリスにはどちらも不足していた。


 剣を握る手に力が篭もる。魔法が意味をなさない以上、今は剣の腕に自分の命がかかっているのだ。ボルガスがフレイリスとの接触までほんの数秒。だが、その数秒のうちに動き出していた者がいた。


「ボルガス! さん! こっちを、見ろ! 『ストーンショット』!」

「あ――グッ!?」


 飛んできた小石が片目に直撃してボルガスは一瞬視界を失う。だが、彼は瞬時の判断で後ろに跳んでフレイリスに追撃されることを防いだ。


「り、リアナちゃん、なんでまだ残って――!」

「リアナも戦えます。冒険者ですから!」

「何言ってるの!? 危ないから逃げてよ! 死ぬかもしれないんだよ!?」

「リアナには死ぬ覚悟は無いです。でも、死なないために戦う覚悟ならあります。冒険者なので。子供では、……っないので!」


 震える体を武者震いなのだと言い聞かせ、フレイリスの隣に並び立ち、彼女よりも一歩前に出る。


 冒険者とは死と共に生きる道を歩むことになる。だからこそ、冒険者となるには死ぬ覚悟が必要だと考える者が多い。

 だが、それは違う。必要なのは死ぬ覚悟ではなく、生き抜く覚悟。理不尽な死に晒される冒険者にとって、生きるために抗い続ける意志が求められる。


 時としてその意志が有る者と無い者とで一瞬の判断の差を生むのだ。


 だからリアナはフレイリスに目で問いかける。お前はまだ子供なのかと。冒険者ではないのかと。


「――あたしはだってもう子供じゃない。冒険者なんだ」


 フレイリスも一歩踏み出して、ようやくリアナの隣に並び立つ。

 

「お喋りは終わりか? 終わってなくても終わりだがよ」


 目潰しから回復したボルガスはそう言い放つ。

 元々、威力が高い訳でもない魔法であったため失明させるほどの衝撃を与えられるとは考えていなかった。だが、回復がやけに早い。

 傷一つないボルガスの顔を見てリアナはそう分析する。


 しかし二人が取れる手はあまりない。二人とも魔力量は多くないため、魔法で打ち倒すほどの威力を出せない。だからボルガス相手に近接戦闘で勝つ必要がある。

 けれども、一対一で勝ち目は無い。であれば――。


「あんたらに勝ち目はねぇんだ。大人しく――」

「フレイお姉ちゃん!」

「うん!」


 二人同時にボルガスに向かって走り出す。

 彼を相手に近接戦闘で勝つためには動きを封じる必要がある。が、二人の魔力量では格上のボルガスの動きを一瞬でも止めるのはほぼ不可能。――そう、通常の手段ならば。


「『インベントリア』。――水よ!」


 リアナの魔法により空間に切れ目が入り、そこから水が濁流のようにボルガス目掛けて押し寄せる。


「『アイスヴェール』っ」


 フレイリスが氷魔法を唱え、水に呑まれたボルガスの足を凍らせた。

 彼女らの策は、一般の氷魔法の工程を二人で分担すること。これにより擬似的にひとつの魔法に費やす魔力量を増やすことが出来る。これであればぼるガスの動きを止められるのだ。


 そして、フレイリスは正面から、リアナは背後に回り込んでボルガスに向けて剣を振るう。多方面での同時攻撃。どちらかがやられてもボルガスの喉を斬り裂く。

 ――はずだった。


「――は?」


 その声はどちらのものなのかは定かでは無い。二人ほぼ同時に何かに殴り飛ばされ、骨が軋む音を聞きながら何が起こったのか分からず遠く離れた木に叩きつけられる。


「――っ。え……フレイ、お姉ちゃん……?」


 リアナを庇うようにして彼女を抱きしめるフレイリス。彼女は木とリアナの間に割り込むように挟まっており、折れて鋭く尖った枝がフレイリスの腹部を貫いていた。


「あっはは! 惜しかったですねー。あとちょっとだったのに」


 周囲に響くのは低く重い男の声ではなく、甲高い子供の声。

 ボルガスの身体がドロリと溶ける。すると中から少女の姿が露になった。少女の赤い目は爬虫類のようで、髪の色と同じ色の桃色の尻尾がゆらりと揺れている。


「擬態……? しかも、竜人……っ!?」

「大せーかい! クソガキ、あんた見た目の割に博識でやがりますね」


 ボルガスから出てきた少女は二人を吹き飛ばした尻尾を使って器用に氷を叩き割ると、動けないリアナの方に歩み寄った。


「ヴィタ・コルディス神殿に『龍の心臓』があるって話を聞きましてぇ。オレ様が竜になるためにはどーしてもそれが必要なんですよね。……あんたはどこにそれがあるか知ってやがるんですよね?」

「知らないっ。……知っていたとしても、教えるわけない……!」

「あーあ。あんま動かねー方がいいですよ? そこのクソザコよりはマシなようですが、多分骨折れちゃってるんで」


 リアナはどうにか立ち上がろうと体を動かすが、その度に激痛がはしる。


「いてぇですよね? つれぇですよね? 助けて欲しーなら……知ってることを話せよ」

「い……や……」


 首を掴み脅してみるも、リアナは掠れた声で拒絶する。


「レ……ン……たすけて……」

「レンってあのクソザコ坊主のことですか? あっはは! もっとマシなもんを頼るべきじゃねぇんですか? ま、頼ったところでどーにもなりませんけど!」


 リアナの小さな体にドス黒い大きな痣があり、今この瞬間も激痛が絶え間なく続いているはずだ。それでも、彼女は諦めない。生き残らなければならない。

 

「や……くそく、だから」

「……もういいです。オレ様飽きました。とっとと始末して自分で探しましょ――っ!?」


 少女の体が吹き飛んだ。

 突然の衝撃に少女は目を白黒させる。


「だ……れがぁ……っ!」


 少女の体は木々を数本突き破って止まる。そこでようやく、自分を吹き飛ばした正体を知った。


「よく頑張ったな、二人とも。だから――あとは僕に任せろ」


 その男は黒髪の青年だった。見た目に関して言えば、街中ですれ違っても気に留めないほど平々凡々。


「クソザコ……坊主……っ」


 魔力量も一般人程度。覇気も感じない。取るに足らないザコであると、考えていた。

 だが、少女の頭の中で警鐘が鳴り響く。目でも耳でも鼻でも感じ取れない何かを、本能だけが嗅ぎとる。


「なあ、お嬢ちゃん。僕はちっちゃくて可愛いものは大好きだけどさ――大切なものを傷つけられたら、怒るんだぜ」


 深紅の瞳を爛々と輝かせて、男はそう言った。

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