第48話 寝不足

 何もかもが分からなくなりそうで、私は軽く額を押さえた。

 その仕草を見た詩織が、少しだけ表情を変える。


 「……ねえ、もしかして、結菜ちゃんって最近あんまり寝てない?」

 「え?」


 思いもよらない指摘に、思わず詩織を見つめる。


 「なんか、目がちょっと赤いし、ぼんやりしてるし……あと、クマもできてる」


 そう言われて、私は無意識に目の下に手を当てた。

 確かに、最近まともに寝ていない。


 夜が来るたびに、穂香は私を求めてきていたから。


 まるで私を確かめるみたいに、何度も、何度も。

 そのたびに私は応えて——気づけば、夜遅くまで。


 思い返した瞬間、胸の奥に、何とも言えない感情が押し寄せる。


 「……まあ、ちょっとだけ寝不足かも」


 言葉を濁しながら答えると、詩織は呆れたようにため息をついた。


 「ちょっとどころじゃないでしょ」


 カップを置く音がして、詩織がじっと私の顔を覗き込む。


 「今何時か分かってる?」とでも言いたげな視線に、私はスマホを取り出して画面を見る。 

 時刻はまだ午前十時過ぎ。


 「朝なのに、すごい疲れた顔してるよ。いつもそんな感じなの?」

 「……最近は、まあ」


 口をつぐむと、詩織は呆れたように眉をひそめた。


 「ちゃんと寝なかったら、頭も働かないし、余計に悩んでも答えなんて出ないよ」


 詩織の指摘はもっともだった。

 寝不足のせいで体が重いし、頭もぼんやりしている。

 考えようとしても、同じことをぐるぐると繰り返すばかりで、何一つ整理できないままだった。


 「とりあえず、少し休んだら?」

 「でも……」

 「いいから」


 詩織が私の肩を軽く押す。


 「ここ、別に遠慮しなくていいし、ソファでもベッドでも好きなとこで寝ていいから」

 「……そんな簡単に寝れるかな」

 「じゃあ試しに目を閉じてみなよ。絶対すぐ寝るから」


 そう言われて、私はソファの背に身を預けた。

 半信半疑のまま目を閉じると、途端にまぶたが重くなる。


 「……あれ」

 「ほらね?」


 詩織がくすっと笑う声がした。


 「ほら、毛布かけてあげるから。朝ごはん食べてないなら、お昼になったら何か作るし、それまで少しでも眠ったほうがいいよ」


 そう言いながら、詩織がふわりと毛布をかけてくれる。

 それが温かくて、心地よくて——。


 「……お母さんみたい」


 思わず呟くと、詩織はくすっと笑った。


 「だったら、お母さんの言うこと、ちゃんと聞いて?」


 その言葉に、私は小さく息を吐き、静かに目を閉じた。

 心地よい眠気が全身を包み込んでいく。


 ——今だけは、何も考えずに、眠ろう。


 そう思いながら、私は静かに意識を手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る