第三十四話「夏目康二の運命」

 翌日の夜。

 事態は急展開を迎えた。


 暗殺屋チェーン上に『夏目愛子の殺害依頼』が、

 多額の報酬とともに投稿されたのだ。

 しかも、参加人数は無制限。


 これを確認した康二は、怒りに震えながら誠一に電話をかけた。


「……誠一、どういうことだ! 今すぐ取り消せ!」

「……康二が悪いんだろ。システムを壊すようなことを言うからだ」

「人の命よりこんなものが大事なのか?」


 誠一は不敵に笑った。


「その手で何人も殺しておいて、よく言えるな。結局、金のため、生活のためじゃないか? それと俺の行動に、何の違いがある? なあ、教えてくれよ。俺たちがコアメンバーとしてどれだけ優遇されているか、お前も知っているはずだ。それと天秤にかけた時、俺の行動に不合理な点があるか?」


 康二は言葉を失った。


 その沈黙は、誠一の暴言を受け入れ、そして、誠一を友人として見ることができなくなったという悲劇を受け入れるための時間だった。


「……何をすれば、取り消すんだ」

「簡単だよ。康二がコアメンバーを辞めなければいい」

「……辞めない。約束する」

「それで、信じられると思うか?」

「俺を殺してくれて構わない。財産だって全部くれてやる」


 誠一は、高笑いした。


「馬鹿か、お前は。お前が死ぬのと、コアメンバーから抜けるのは、ほぼ同じ意味だ。交換条件として成り立っていない。財産なんて、このシステムに比べれば取るに足らない。お前が一番よく分かっているだろうに」


 康二は分かっていた。

 

 妻の命が懸かっている。

 その安全のために差し出すべきものが何なのかを。

 不幸なことに、何度考えても、回答は変わらなかった。


「……娘の……命を……懸け、よう」


 誠一は嘲笑った。


「はっは。いいぞ、いいだろう。交渉成立だ。今後、システムを抜けるような素振りを見せたら、娘を投稿させてもらうよ」

「ああ……だから、早く、愛子の投稿を消してくれ」


 その後、誠一は投稿をキャンセルし、電話を切った。


 しかし、事態はそれだけでは終わらなかった。


 投稿は消滅したが、キャンセルされた時点で、既に複数の契約が成立していた。

 成立した契約は、依頼主と参加者のどちらからもキャンセルできない。

 今回の投稿には、最大の一年間の期限が設定されていた。


 康二は、誠一に再び連絡することはなかった。

 互いに状況は分かりきっていたからだ。


 康二は、一年間、愛子を暗殺屋から守り抜かなければならない。

 それができれば、娘が人質になったとはいえ、

 康二自身がコアメンバーとして残り続ける限り、問題はなかった。


 康二は荷物をまとめ、愛子と雫を連れて、

 澪浜駅近くの重厚な雰囲気のバーを訪れた。

 他に客はいなかった。


「……何のようだ」


 マスターをしているのは、康二に殺しを教え込んだ伊藤という男だった。


 新システムができる以前、暗殺屋同士で案件を交換する関係性が存在した。

 伊藤の暗殺屋もその一つで、康二は伊藤を尊敬し、弟子となった。


 その後、伊藤の暗殺屋は突如として全員が殺害されるという事件に見舞われた。裏切り行為が発覚し、抹殺されたのだ。


 しかし、康二はこの事件を信じることができなかった。

 伊藤の強さを知っていたからだ。


 そこで康二は、伊藤が暗殺屋ごとこの世界から姿を消したのではないかと推測し、捜索を始めた。そして、孤児の団体へ多額の支援をしている人物を見つけ、その情報をもとに接触を試みた。


 そこにいたのは、自分の顔も名前も声も知らない男だった。


 だが、康二は気づいた。

 異常なほど長い吐息、影が他人に被らないような動き。

 これらは伊藤から教わったものそのものだった。


 伊藤は、康二に自身の経緯を話し、組織ごと死んだことに見せかけたことを告白した。その後、助けが必要な時以外は絶対に会いに来るなという約束のもと、別れていた。


 そして今日、康二は、伊藤にこれまでの経緯を全て話した。


 伊藤は激昂した後、雫を匿うことを承諾した。

 孤児として組織に巻き込まれた自分と、雫の境遇を重ねたのだろう。


「……愛子さんは、大丈夫なのか」

「わたしは、大丈夫です。雫を、どうか……頼みます」


 愛子は、雫と一緒に逃げることを選ばなかった。

 自分の身が狙われることで、娘の命の危険まで高めてしまう可能性を危惧したからだ。


 こうして、康二と愛子は伊藤に雫を預け、逃亡を始めた。


 ——それでも、悲劇は避けられなかった。


 愛子は、逃亡中に路地裏で襲撃された。

 車に乗り込む寸前、胸を刺されたのだ。


 康二が気づき、銃を構えると、襲撃者は車で逃走した。


「……康二、もう……し、雫に……幸せに、なって………」

「……愛子、愛子、返事をしろ! おい! 返事をしろ! なあ、返事をしてくれ……!」


 愛子は息を引き取った。


 康二は絶望に打ちひしがれた。

 姉を失い、妻を失い、大切なものを奪われ続ける人生に、

 そしてそれを引き起こした自身の愚かさと無力さに。


 雫だけが、唯一の希望だった。


 康二は、雫を引き取りに伊藤の元へと行き、愛子が亡くなったことを伝えた。

 伊藤は、何も分からずこちらを見つめる雫の顔を見て、涙を流した。


 その後、康二は雫を自由にするための計画を打ち明けた。


「雫が姉と同じクロノスタシスの無限時間停止を使い、コアメンバー及びその関係者を抹殺。そして、同時に私も死ぬ。そうすることで、システムは完全に崩壊し、同時に死んだことで、コアメンバーによる犯行か、外部からの犯行か、分からなくなる。これで雫は自由になれます」

「……お前、娘に、殺されるんだぞ? 本気か? その意味が分かってるのか?」


 康二に躊躇いはなかった。


「はい」

「その方法に、確証はない。雫ちゃんが、まずクロノスタシスを使えるようになるのかも分からない。そして、殺すという非人道的なものにも慣れさなきゃいけない。そんなことをして手に入れた自由を、雫ちゃんは受け入れられるのか?」

「……私は……私は、間違っているのでしょうか?」


 康二も伊藤も、それ以外の方法がないことは理解していた。

 しかし、その現実はあまりにも残酷で、受け入れることができなかったのだ。


 そして、クロノスタシスによる無限の時間停止が起こるまでに、

 やるべきことを一つずつ、着実にこなしていった。


 それから十五年後。

 康二たちは、無限の時間停止がいつ起こってもいい状況を作り上げていた。


 一方で、雫には友達ができたようだった。


「愛子。最近、雫が、とても幸せそうなんだ」

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