第三十五話「最後の場所」
全てが終わった。
本当に、全てが終わったんだ。
全てが終わって解放される。
解放されたあと、わたしには何が残るのだろうか。
わたしはパパに引き金を引いたあと、
一度も顔を上げることなく部屋を出た。
「パパは、幸せ、だった?」
それを知る術は、もうどこにもない。
パパも何かから解放されたのだろうか。
もともと能力を持たなかったパパは、
お姉さんが死んだことで能力を引き継いだという。
こんな一家に生まれているのだから、普通の生活をする、ということはできなかったかもしれない。いや、パパがわたしにできるだけ普通の生活をするようにしてくれたことを見ると、当時のお姉さんはパパに普通の生活をさせていたのかもしれない。
パパは知らなかっただけだ。
神様に選ばれた者だけが、普通の生活を享受できるということを。
ただそれだけのことだ。
庭に出るとポメラの犬小屋の前で仰向けになって寝っ転がった。
模範解答のようないい天気に、わたしは少し気分が悪くなる。
「あー、疲れた」
言葉が感覚に遅れていた。
碧と別れて体育館を出たあの時から、一体何日が経ったのだろう。
今思えば、自分が眠った回数をメモしてば良かったなと思う。
でもそうしていたら余計パニックになっていたとも思うから、
これが正解だったのかもしれない。
それにしても、疲れた。
人を殺めたからではない。
長い時間が経ったからでもない。
ただ、疲れてしまった。
眠りに落ちる寸前に感じる、
重力のない時間に取り残されたような、そんな日々に。
「そろそろ、行こっか」
芝生の感触を確かめ終わると、両手に力を入れて立ち上がる。
わたしは、三階の窓に向かって大きく手を振った。
愛を込めて。
*
この場所を選んだのは、自分のことを嫌いになれた場所だったからだ。
好きとか嫌いとかいう感情はいまだによく分かっていない。
許せなくなったり、ムカついたりすることとは違うような気がしている。
じゃあ、好きや嫌いは結局のところ何なのかと聞かれると、
うまく説明することはできない。
志保に相談すると、「難しく考えちゃダメ!」と笑われたけど、
わたしには、その言葉がぴったりくる瞬間なんて、
そう多くはないように思う。
そんなわたしが自分を嫌いになった場所、
それがこの遊園地だった。
家からのんびりと自転車で四時間。
入り口の前で自転車を停め、園内に足を踏み入れる。
思いの外、人は多かった。
手を引っ張る子どもに振り回される父親をあちこちで見かける。
わたしは、入り口付近のスタンドに置かれた園内マップを広げた。
「ちょっと死ぬには騒がしすぎるかな……」
理想の死に場所って、どんなところなんだろうか?
静かにひっそりと消えたい人もいれば、
大切な人に見守られながら逝きたいと願う人もいる。
わたしはその答えをまだ見つけられないでいる。
遠心力で吹き飛ばされそうになったコーヒーカップ。
固定バーが痛かったジェットコースター。
馬の中に紛れ込んでいる犬に乗ったメリーゴーランド。
もう一年以上前のことだけど、
一度目にすると、記憶は意外なほど鮮明に蘇る。
この場所で感じた体の温度が、
今のわたしを繋ぎ止めている。
でも、今の思い出は、
もうどこにも繋がることはなく、
宙を彷徨い続けるだけなんだろう。
「……ここにしよっかな」
わたしは観覧車の前に立っていた。
綺麗な白色の鉄骨に、色とりどりのゴンドラが吊るされている。
その優しい配色とは裏腹に、観覧車は冷たく、わたしを見下ろしていた。
わたしがわたしを嫌いになり、
そして、そんな自分を好きになれた場所。
水に混色の絵の具を垂らしたときに広がる、あの不快感と高揚感。
自分が何者かであるように錯覚する、あの罪悪感。
この観覧車を見ると、不思議と、それに似た感覚が蘇る。
観覧車のゴンドラは全部閉まっていた。
どうやら中で死ぬことは叶わないらしい。
まあ、こんなところで死なれても後々迷惑をかけるか。
誰に?
「観覧車から見た景色ってことで、ここもありにしよう」
なんで死に場所にこんなにこだわっているんだろうか。
やっぱり、パパのところで一緒に死んじゃえば良かったな。
観覧車の近くの芝生に腰を下ろし、ぼんやりとする。
そのとき、視界の隅で何かが動いた気がした。
——碧だ。
碧は疲労困憊といった様子で、ふらふらしているのが遠目でもよく分かる。
まだ、わたしには気づいていないようだけど、時間の問題だろう。
このままここで碧がリセットされるってまずいんじゃないか。
だって、学校からここまでの距離は相当離れているはずだ。
距離が身体的影響の要因だってことは、
体育館に碧の様子を見に行った時に分かった。
ここでリセットさせるわけにはいかない。
会わないようにしていたけど、そんなことを気にしている暇はない。
わたしは、思い切り息を吸い込む。
「碧ー!!」
無音の空間にわたしの肉声が伝わっていく。
碧が体をビクつかせた後、こちらを振り向く。
「雫!? 本当に、いる!?」
碧はノソノソと駆けてくる。
ここまで、全速力できたのだろうか。
もう力が残っていない。
わたしのもとに辿り着き、観覧車側に立ってわたしを見下ろしている。
「わあ、本当に、雫だ」
「何? いて悪かった?」
「……いて、ほしかった」
死ぬ直前だというのに、体の温度が上がっているのを否応なく感じる。
「……で、碧はどうしてここにいるの?」
「雫に、会わなきゃと思って」
「……っていうか、早く戻らないと、時間が来ちゃうって。志保のとこの手帳見たでしょ?」
碧はポケットから手帳を取り出し、これみよがしに見せつける。
「ほら、持ってきた」
「え、持ってきていいの? 消えちゃわない?」
「実は、ポケットに入れておけば消えないことが分かったんだよね」
「へー、そうなんだ……いや、そんなことより、早く戻ってよ!」
碧は真面目な表情を浮かべた。
「戻らない」
「え?」
碧はわたしの瞳を見つめながら、さらに優しく微笑む。
「雫に会いたいと思って会えたんだ。戻る理由がないよ」
「でも、それじゃあ……死んじゃうかも、しれ、ないでしょ?」
「大丈夫だって。研究結果はそう示しているよ」
碧は白い歯を見せる。
たぶん嘘だ。
この人はいつも嘘をつく。
「……わたしは、碧に。生きてほしいの」
「俺も、雫に。生きてほしいんだ」
「わたしは死なない。碧みたいにリセットされることもない。だから、わたしはこれからも時間を進めるための調査をする……食べ物にだって困らないし、便利だよ?」
「……じゃあ、なんで、雫は、泣いてるの?」
わたしは、頬を伝う涙に気付かなかった。
碧を早く帰さなきゃいけない。
分かっている。
分かっているんでしょ。
その時、碧がわたしを包み込んだ。
火照った体の熱と鼓動の音が、わたしの全てを肯定する。
視界はずっと滲んでいた。
碧の声はわたしの声にかき消された。
さっきの何倍もの涙を、溢れ続ける涙を抑えることができなかった。
甘えてはいけない優しさに触れてしまった。
こうなることが怖くて、体育館では会わずに行ったのに。
わたしは、
あまりにも弱くて、
あまりにもわがままで、
あまりにも碧のことが好きなんだなと、
この時、初めて知った。
この観覧車の前で、また、わたしはわたしが嫌いになる。
なのに、こんなわたしが愛おしくてたまらなくなってしまう。
それじゃ、ダメなのに。
強くならなければいけないのに。
誰も救われない物語なんて、誰も見たくない。
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