第10話 罠
四月になって、私は留年した。
三月の半ばごろ、春休みの最中に学校から連絡があった。
出席日数はギリギリ足りているので補習を受ければ進学できるという通告だった。
せめて進学はしたいと思って自主的に教えてもらったテスト範囲を勉強してみた。
でも、いざ学校に行こうと制服に袖を通した時――
目眩がして、気分が悪くなって、嘔吐が止まらなくなった。
私はもう、学校に行けない体になっていた。
「これからどうしようかな……」
ベッドの上で天井を見上げながら一人考える。
こんな状態の私が在学している理由なんてなにもない。
それなら、いっそのことさっさと退学してしまった方が良いかもしれない。
そうすれば、何も気にせず配信者として活動ができる。
「逃げちゃおっかな……」
逃げてもいい気がした。
家族に甘えれば、私の要望は容易く通るだろう。
ただ、それを許せない自分もいた。
◯
乳首ぴんこ:さーやってもうすぐデビュー半年?
naoya_110:マジだ
青柳(犬好き):個人勢の半年にしては同接多いよな
関西人やけど:顔出ししてた余波やろ
「あー、もうすぐ私の半年記念か」
配信中、リスナーのコメントに……というか東雲さんのコメントに知らされる。
「普通の配信者ってデビュー半年記念とかで何かするものなの?」
関西人やけど:しないと思う
naoya_110:しないんじゃね?
ちえぴ:普通は誕生日配信とかだよね
青柳(犬好き):やってる人もいる
関西人やけど:人によりけりってことで
「あー、じゃあ私はあんまりやらないかな。急に半年記念って言われても企画とか考えるの面倒くさいし」
関西人やけど:淡白で草
青柳(犬好き):さーやってそんな感じよな
乳首ぴんこ:残念…
「じゃあ誕生日とかの時は何かするよ。みんなで企画考えるようや雑談配信しても良いし。じゃ、今日の配信はこのへんで終わろうかな」
◯
配信を終え、ふーっと深い溜息が出た。
もうこんな生活を始めて半年が経ったのか。
留年したばかりということもあり、私からしたらとうてい祝う気になどなれない。
「これから先のことも分からないのに、何を祝えってんのさ……」
文句を言ったところで、答えてくれる人がいるはずもなかった。
家族は私を支えてくれている。
でも私の問題を解決することはできない。
心配ばかりかけてしまっている。
結局のところ、私の問題は私が解決せねばならないのだ。
ただ、解決させるような気力や、気概が、今の私にはなかった。
外に出ても通っていた学校が近づくと体調が悪くなる。
見覚えのある制服を見ると記憶がフラッシュバックする。
こんな状態で、何を解決できるっていうんだ。
何も考えたくない。
ただ静かに生きていたい。
できるなら、誰にも迷惑かけずに消えたい。
ネガティブな思考だけが脳裏をぐるぐると駆け巡る。
ふと見ると、スマホにLINEが届いているのが目に入った。
お母さんだろうか。
何気なく開き、私は凍りつく。
画面には『恵那』の名前が表示されていた。
動悸がして、呼吸が徐々に激しくなる。
私は胸を抑えた。
何とか心を整える。
一体、何のつもりで連絡なんてしてきたんだ。
見たくないと思った。
でも、手が勝手にメッセージを開いてしまう。
『留年したって聞いた。少しだけ会えない?』
『会えない?』だって?
何言ってるんだこいつ。
どんな顔してこのメッセージを打ったんだ。
スマホを持つ手が震える。
恐怖と、そして怒りが私の中にあった。
私が今、こんな風になったのは誰のせいだと思ってるんだ。
もし少しでも私に対する謝罪の念があるのなら、もう二度と連絡なんてしてほしくなかったのに。
唇を噛み締めていると、追撃するように次のメッセージが届いた。
『裏切って本当にごめん』
『学校でのこと、謝りたい』
『このまま紗夜と一生話せないのは本当に辛い』
次々と、恵那のメッセージが私のスマホに届く。
何通も、何通も。
こちらの感触を確かめるようにメッセージは届けられた。
それはまるで、雨の降り始めにも思えた。
ポツリポツリと、心もとないメッセージが降り注いでくる。
ブロックしようか迷った。
私のことを想っているように見えるが、並んでいるのは自己本位な言葉ばかりだ。
自分が罪悪感で押しつぶされそうだから謝りたい。
自分が辛いから私と会いたい。
そこにこちらの都合を考慮するような気遣いは見えない。
ほんの二、三動作でブロックできる。
そうすれば、苦しいことを眼の前から遠ざけられる。
現実に向き合おうとしなくても済む。
でも。
――とにかく、待ってます、私。東雲さんが絵を描くの。
東雲さんに言った言葉が蘇る。
そうだ、ずっと自分の中に引っかかっていたことが分かった。
一歩踏み出すことを怖がっていた彼女に、私は頑張るよう提案したんだ。
人には頑張らせるのに、自分だけ逃げ続けていることが引っかかっていた。
私だって、このまま一生、部屋に閉じこもって逃げ続けるだけの人生は嫌だ。
『分かった。会ってもいい』
だから、一度だけでも向き合ってみようと思った。
◯
キッチンに顔を出すと、お母さんが夕食を作っていた。
私はその背中に声をかける。
「ちょっと出てくる」
「どこ行くの?」
「いつものコンビニ」
「一人で大丈夫? 明るい時間に外出るの、学校の人と会いそうで嫌だって言ってたじゃない」
「うん、大丈夫。少しずつでも外に出られるようになっておきたいし」
「あまり遅くならないようにね」
「すぐ戻るよ」
友達に呼び出されたなんて言ったら心配させてしまうかもしれない。
私は嘘を吐いて家を出た。
待ち合わせの場所はウチの近所にある公園だった。
学校の近くで会うのは絶対嫌だったから、助かったなと思う。
早く来すぎたようで、まだ恵那の姿はなかった。
公園には人の姿はなく、私しかいない。
空は夕暮れ時を過ぎかけており、空は暗くなり始めている。
緊張で体が震えていた。
胃がひっくり返りそうになるのを、深呼吸して抑える。
手が震えるので、服の裾をギュッと握りしめた。
暑くもないのに、額から嫌な汗が流れている。
「紗夜」
背後から声をかけられ、ビクリと反応する。
恐る恐る振り返ると、制服姿の恵那が立っていた。
「来てくれてありがと」
「うん」
「私、どうしても紗夜に謝りたくて。あの時のこと」
「うん……」
「それから今日のことも……」
「今日のこと?」
私が首を傾げると、恵那は突然泣き始めた。
「ごめん……本当にごめん」
何だ、何を泣いているんだ。
私が混乱していると、ふと恵那の背後から誰かが近づいてくることに気が付いた。
やってきたのは、若槻ひろなだった。
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