第9話 彼女のイラスト

「すいません、レジお願いします」

「あ、はいただいま……って、さーや?」


数日後の午前四時。

いつものように客として現れた私を見て、東雲さんは目を丸くする。

店内ではコンビニの軽快な店内放送が流れていた。


「もう大丈夫なの? 外出控えてるって言ってたけど……」

「はい。あの時は結構発作的なものだったので、数日様子見たら落ち着きました。って言っても、今日も兄に付き合ってもらってますけど」


雑誌コーナーで立ち読みしている兄の尊を顎で指す。

店内にいるのは私たちだけだった。

それを見た東雲さんは「そっか、よかった」と笑みを浮かべる。


「最近、また配信してくれてるよね。さーやの声聞けて、安心してるんだ」


何度か会って気付いた。

この人の言葉には嘘偽りがないのだと。

いつも必死で言葉を紡いでいる。

打算とか、裏がないその言葉が、私を安心させてくれた。


「あの、一つ聞いていいですか?」

「何?」


私はおもむろにスマホを取り出すと、Xの画面を表示した。

画面には『りん』のアカウントが映っている。


「これ、東雲さんですか?」


私の問いに、東雲さんはしばしじっくりと画面を見たあと。

やがて顔を真っ赤にして「あぁぁぁぁぁぁ……」と聞いたこともない声を上げた。


「ななな、何でこのアカウントを?」

「実は最近、リスナーさんがどんな人なのか知ってみたいなって思って。お休み中にフォロワーの人たちのアカウントを眺めてたんです」


「で、でもどうしてこれが私のアカウントだって?」

「だってよく見たら乳首ぴんこと同じ画像じゃないですか?」

「あぁ……本当だ。画像変えるの忘れてたぁ」


ガクッと東雲さんはうなだれる。

流石に悪い気がしてきた。


「すいません、別に東雲さんのプライベートを暴いてやろうって訳じゃないんです。ただ……自分の配信を普段見てくれてる人がどんな人なんだろうって思って。私に興味を持ってくれている人のこと、少しでも知りたかっただけなんです」

「そうだったんだ……」


彼女はそう言うと、私の言葉を咀嚼するように小さく頷いた。


「うん、私も興味持ってもらえて嬉しい。推しに興味持ってもらえて嬉しくないはずないからね」

「そんなもんですか?」

「そんなものだよ」


その笑みはぎこちなかったけど、素の反応であることは分かる。

この様子なら、気になっていたことを尋ねても大丈夫だろう。


「東雲さんってイラスト描くんですか?」


ピクリ、と東雲さんが反応する。

私は続けた。


「プロフィール画像も自作ですよね? 素人目にもすごく上手いなって思います。これだけ描けるのに、どうして作品を発表しないんですか?」

「そ、それは……」


東雲さんは口ごもる。

聞かれたくないことだったかもしれない。


「すいません、言いたくないなら無理に言わなくて良いんです」

「ううん、そうじゃないの。ただ、自信がなくて……」


彼女はそう言いながら、商品のスキャンを始めた。

ピッという機械音が店内に響く。


「以前、私が片親だって話したよね」

「はい」


「昔、お母さんがまだ生きてた頃ね、お誕生日に似顔絵を描いて上げたことがあったんだ。その絵を見たお母さん、すごく喜んでくれて……。それで絵を描き始めたの」

「素敵な思い出ですね」


「うん。でも、絵を学べば学ぶほど分からなくなった」

「分からない?」


「いろんな人の絵を見れば見るほど、何が良い絵で、何が悪い絵なのか判断がつかなくなったの。私はすごく良いと思った絵も、世間では全然評価されてなくて……」

「それで、発表するのが怖くなった?」


私が尋ねると、彼女は頷く。


「本当はね、イラストレーターになりたかったんだ。って言っても、偉大な目標がある訳じゃなくて、ただ絵を描くのが好きだからっていう単純な理由。そんな薄っぺらい人間の絵なんて、誰も見てくれないんじゃないかって思っちゃったんだ」


それなら、私だって一緒だ。

私も、偉大な目標や志があって配信を始めたわけじゃない。


「それって、そんなにいけないことなんですか?」

「えっ?」


「何かをするのって、そんなに偉大な気持ちがないとダメなんですか? 好きだから、とりあえず気が向いたから、そんなので始めるのはいけないんですか?」

「それは……」


私は、ただゲームが好きで、画面に向かってしゃべるのが好きで、自分にすこしでも生きている意味を持たせたくて配信を始めた。

でも、それくらいでいいと思ってる。

最初の階段は、低すぎるくらいがちょうどいい。


「こんなこと言ったら、東雲さんをがっかりさせてしまうかもしれないけど……でも私は少なくとも、立派な目的があって配信をしてる訳じゃありません。ただ好きだからやってるだけです」

「がっかりなんてしないよ」


「やってみたいからとか、何となくとか、そんなので良いんじゃないですか。何かに挑戦する理由は。最終的には、継続するための志とか要るかもしれないですけど」


私の言葉が言うと、東雲さんは黙ってしまった。

何かを考えるように商品を袋詰めしている。

そんな彼女を見て、ふと思いついた。


「東雲さん、よかったら私にイラスト見せてみませんか?」


私の言葉を聞いた東雲さんは、まるで眠っていた猫が起きたかのように目を大きく見開く。


「え? えええええ!? だだだ、ダメだよ! だってまだ全然ちゃんとしたもの描けてないし!」


「いつでも良いです。いつか納得できるものが描けたら、真っ先に私に見せて下さいよ。私だけだったら、見せるのも恥ずかしくないんじゃないですか?」


「ううう……それは、そうかもしれないけど……」


「私、なるべく待ってます」


そう言ったあと、「あっ」と声が漏れた。


「でも、十年後とかは無しでお願いしたいです」


「えぇ……。さーや、厳しいよぉ」


「だって、十年後だと私……」


生きてるかわからないですから。

そう言いそうになって言葉を止めた。

余計な心配をかけたくなかったから。


こんな精神状態の私がこの先、生きている保証なんてどこにもない。

何かの拍子に自殺でもするんじゃないかと、自分を客観的に見て思ってしまうんだ。

ただ、それを悟らせたくはない。


何て言おうか迷っていると「そっか、そうだよね」と東雲さんは言った。


「推しがいつまでも活動してるとは限らないもんね。推せる時に推さないと」

「そう……ですね。そうしてくれると嬉しいです」


都合よく解釈してくれて助かった。

誤魔化すように私は笑みを浮かべる。


「とにかく、待ってます、私。東雲さんが絵を描くの」

「う、うん。頑張るね」


差し出されたビニール袋を「どうも」と言って受け取った。

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