第4話 名の由来

リスナーと近所のコンビニで出会うことほど気まずいことはない。

何で彼女はここに居るんだ。

今日はバイト休みなんじゃなかったのか。


色々考えていると「あ、ご、ごめんなさい」と東雲さんは言った。


「せっかく肉まん食べてたのに、邪魔しちゃって」

「別に、特に気にしてないので」


メチャクチャ気にしたが、何でもない素振りを見せる。


「東雲さん、今日バイト休みだと思ってました」

「あ、うん。お休みなんだけど、何となく配信終わりにここにきたらさーやに会えるかなって思って……」


その言葉に思わずピクリと反応した。


「……狙ってきたってことですか? ストーカーですよ、それ」

「ご、ごめんなさい! そんなつもりはなくて、ただ会いたかったから……」


ストーカーという言葉に東雲さんはビクビクと体を震わせる。

相変わらず小動物みたいな人だ。

その癖、自分の行動の悪質さを自覚していないのが厄介だし、腹立たしい。


私はリアルでリスナーとなんて会いたくないのだ。

特にこの人とは、関わりたくなかった。

私の醜さを自覚させたこの人とは。


東雲さんを見ていると、自分の汚い部分を目の当たりにしている気がして、メンタルが削られる。

この人は悪くないのに、ただ一方的に罪悪感で私が潰される。

現実から逃げたくて部屋に閉じこもったのに、また現実を突きつけられるなんて最悪じゃないか。


「あの、私 こう言うことされると……」


そこまで言いかけて言葉が止まる。

何となく、私に元気をもらったと言っていた彼女の姿が思い浮かんだ。

そんな人にキツイことを言ってしまって良いのだろうか。

ここでこの人を責めたら、また罪悪感や自分への嫌悪感に苛まれそうな気がする。


私が押し黙っていると東雲さんは不思議そうに首を傾げた。

何か別の話題を出そうとして、無理やり言葉を紡ぐ。


「……何で、乳首ぴんこなんですか」


割と最悪な質問が飛び出た。

予期していなかったのか、東雲さんは「えっ?」と声を出す。


「あのハンドルネーム。何で乳首ぴんこなんて名前にしたのかなって」

「あ、ごめんなさい。やっぱり変だね」


「まぁ変ですけど。東雲さんのこと、おっさんだと思ってたんで意外だなって」

「そうだよね。普通、そんな名前つけないもんね」


東雲さんは少し寂しそうな笑みを浮かべ、視線を落とす。


「乳首ぴんこはね、昔の私のあだ名なんだ」

「あだ名?」


酷いあだ名だ。

彼女は続ける。


「私、片親でね。お母さんを小さい時に亡くしてるの。それで、お父さんが一人で私を育ててくれたんだ」


「へぇ……」


「小学六年生の時にね、胸が膨らみ始めたの。普通ならブラをすると思うんだけど、お父さんは男の人だからそういうの気づかなくて。私も何となく言い出しにくくて、ずっと我慢してたんだ」


「スポブラとか、ブラトップも着てなかったんですか? 何もつけないと擦れて痛いでしょ?」


「うん……。でも私、気が弱かったから。お父さんも片親で大変そうだったし、言えなくて。それで我慢して学校に行ってたんだけど、男子に『乳首立ってる』って馬鹿にされちゃって。それからあだ名が乳首ぴんこになったの。中学に入ってようやくブラを着けたんだけど、ずっとその名前で呼ばれ続けてて。男の子たちの見る目もちょっとジメッとしてたっていうか、嫌らしい感じがして、だんだん怖くなって学校に行けなくなったんだ」


「そうだったんですか……」


あのマヌケなハンドルネームがそんな闇の深いものだとは思わなかった。

というかそんな嫌な記憶に紐づいたあだ名をハンドルネームにするだなんて、この人もどこかおかしいのかもしれない。


まぁ……おかしくてもいいか。

私だって十分おかしいのだから。


「引きこもってからはずっと外に出るのが怖くて家にいたの。高校は通信制のところにして、四年かかったけどどうにか卒業できて。この先どうしようって思った時に、さーやの配信を見つけて、私も頑張ろうと思ってアルバイトを始めて。でも人が怖くて上手く話せなくて……働いてはすぐに辞めての繰り返しちゃって」


「それで深夜のコンビニに?」


「夜勤帯だったら、あまり人と話さずに済むかなって思ったから。ここなら家からも近いし」


そして私と出会ってしまったのか。

なんとも妙な縁だな、なんて感じる。


「仕事は……続けられそうですか?」


「うん。嫌な人もいないし、さーやとも会えるから頑張れそう」


「そうですか……」


そんなことを言われるとますますコンビニを避けづらくなってしまう。

私だって引きこもりで、社会不適合者で、この人より年下なのに。

どうして自分のことで精一杯の人間が、誰かを支えるために無理しなきゃならないんだ。


東雲さんは私の素性を聞いてこない。

たぶんそれがリスナーとしての正しいあり方だと思っているのだろう。


律儀なのか、図々しいのか、全く分からない。

世間的な感覚が少しズレているのも、引きこもっていたからなのだろうか。


……あるいは私も、同じなのだろうか。


「今日は帰ります。もう遅いんで」

「あ……そ、そっか。気をつけてね、さーや。お疲れ様」

「……東雲さんも」


東雲さんの視線を振り払うように、足早に家に向かう。

何故だか胸の内にあったもやもやは消えていて、スッキリとした感覚があった。

思えば家族以外の人とまともに会話したのは久しぶりだ。


話せて良かったなと、少しだけ感じている自分がいた。

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