第21話 自称従者と隠し部屋
「……っ、大丈夫ですか! しっかりしてください!」
耳に届いたのは必死に叫ぶ少女の声。崩れ落ちた俺の身体は、細く震える腕に受け止められていた。
「お前、ルゼ……か?」
「はい、私です。もう動かないでください、すぐに回復しますから……!」
彼女の手が俺の胸元……貫かれた傷口にそっと触れる。すると、柔らかな魔力が体内に流れ込み、じんわりと体が温まる。だが傷が深すぎたのか、即座に癒えることはなかった。
「ヒール……ヒール! もう一度っ……!」
何度も繰り返される詠唱。ルゼは息を詰め、焦るように回復魔法を注ぎ込む。その額には汗がにじみ、肩も震えていた。
「おい、そんな焦るなって。そう簡単に、俺は死なないっての……」
「……っ、少し黙っていてください!!」
ぴしゃりと返され、思わず苦笑する。
「はは、まったく。助けてやったってのに、相変わらず優しくねえな……」
「ふざけないでっ! なんで、どうしてこんな無茶をしたんですか!」
あれほど冷たかったルゼが、俺を抱きしめるようにして泣いていた。彼女の涙が俺の頬に落ちる。それは流れ出る血よりも熱く、心に染みた。
「自分を犠牲にするなんて、バカなんですかあなたは! もっと他に、別の解決法があったかもしれないのに……!」
震える声。嗚咽が混じるその声に、言葉が返せない。
「私は、そんなに頼りなかったですか? 何も役に立てなかったですか……?」
その一言が、鋭く心を締めつける。
違う、お前のせいじゃない。俺がお前を見捨てられなかったから、こうやって命懸けで戦った。
ただ、それだけのこと。
そう伝えたいのに声が出なかった。頭はぼうっとして、思考がどんどん霞んでいく。
ルゼが顔を覗かせる。涙でぐしゃぐしゃになりながらも、それでも必死に笑おうとしていた。
「……もう、こんな無茶はやめてください。これからはずっと、私があなたのそばにいます。絶対に、死なせたりなんかしませんから」
その声はどこまでも優しく、そして、揺るぎない覚悟に満ちていた。癒しの魔法よりもずっと深く、俺の魂に染み渡っていく。
こんなふうに、誰かに必要とされるなんて、いつぶりだろうか。
悪魔からも人間からも煙たがられるハーフデビル。そんな俺に「ただ、生きてほしい」と、真っ直ぐに願ってくれるヤツがいる。そんな単純なことに、こんなにも心を救われるなんて思ってもみなかった。
――おい、ルゼ。なんだよそれ。さっきまでの態度とぜんぜん違うじゃねえか。
皮肉のひとつでも言ってやりたかったが、もうその余力も残ってなかった。
ゆっくりと視界が暗くなる。静かに、けれど確実に意識が奪われていく。
最後に見えたのは、泣きながらも笑うルゼの顔。その姿はあまりに艶やかで、網膜に焼きついて離れなかった。
……とまあ、これが俺とルゼの出会いの話だ。
この出来事を境に、彼女の態度は一変した。俺が目を覚ましたことに気づくと、彼女はわっと泣き崩れた。どうやらルゼの回復魔法が、ギリギリのところで俺の命を繋ぎ止めたらしい。
そして、ルゼは落ち着いてから開口一番、こう言ったのだ。
「これより、貴方を私の『主様』と御呼びします。よろしいですか?」
「……はぁ?」
寝起きの頭には、あまりに突拍子もない言葉だった。
「いや、ちょっと待て。なんでそうなる」
「ノクト様は私の命の恩人です。この命は貴方のためにあります。ですから、貴方は私の主。当然のことです」
きっぱりと言い切る彼女の瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
わかってないようなので、俺は元魔王軍で人間と悪魔のハーフデビルなんだ、と説明したが「過去は関係ありません。むしろ、主様が人間界を生きていくには、私のサポートが必要でしょう?」と、まったく聞く耳を持ってくれなかった。
それからというもの、彼女は本当に俺を「主様」と呼び、自称従者として強引に同行するようになった。
正直、最初は鬱陶しいことこの上なかった。
一人で行動する気楽さに慣れていた俺にとって、常に誰かが側にいるというのは、息が詰まるようだった。どこへ行くにもついてくるし、食事から身の回りの世話まで、過剰なほどに世話を焼こうとする。
俺が一人で出かければ「主様がご心配で」と、どうやって調べたのか先回りして待ち伏せている。正直、ストーカー以外の何物でもなかった。
「おいルゼ、お前ちょっと世話の焼きすぎだ。流石にやりすぎだろ」
我慢ならなくなった俺は、ついに話を切り出した。
「主様はご自分の価値を分かっていらっしゃらない! 貴方のような方がふらふら一人で歩いていたら、どれほど危険か!」
「何言ってんだ、俺より強い奴なんざそうそういねえよ。知ってるだろ?」
「戦闘能力のことではありません! もう、全然わかってないんだから……。絶対にやめませんからね!」
「はぁ、もう勝手にしてくれ」
一人にしてくれと何回か頼んだが、ルゼはなぜか怒って頬を膨らませるだけだった。どれだけ突き放しても、どれだけ邪険に扱っても、彼女の意志が揺らぐことはなかった。
そして、気づけばどんなときも、彼女が当たり前のように俺の側にいる、そんな日常に慣らされてしまっていた。つまり、従者はルゼの方だったはずなのに、俺の方が飼われてしまったってわけだ。
彼女は時に呆れるほど真っ直ぐで、時に目障りなくらいにしつこくて、それでも――
「主様はわたしに命をくれました。だから、今度はわたしが守る番なんです」
そう言って微笑む彼女の笑顔は、薄れゆく意識の中で見たものと、少しも変わることはなかった。その笑顔を見るたびに、俺は心を許してしまうのだった。
ちなみに、転移先となったダンジョンのこの隠し部屋。後にここが俺たちの「隠れ家」となって住み着くことにもなるのだが……。
それはまた、別の機会に語るとしよう。
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