第20話 決戦、黒騎士
溢れ出る悪魔の力に身を任せながら、俺は次々と魔法の詠唱を開始した。
「フィジカルエンハンス」
──肉体強化。筋肉が膨張し、全身が熱を帯びる。
「リジェネレート」
──回復力増強。深手を負っていた傷口が塞がっていく。完全にはほど遠いが、今は動けばいい。
「オーバードライブ」
──反射神経の強制加速。運動能力を引き上げる。
「メンタルフォーカス」
──精神加速。目の前の敵に意識を集中させる。
「マナアーマー」
──魔法耐性の向上。強固な結界を形成する。
立て続けに五つの強化魔法。常人が使えば、すぐに魔力枯渇になるほど無茶な多重起動。悪魔の力で底上げされた魔力があるからこそ可能な芸当だが、その反動は計り知れない。
だが、もう迷いはなかった。荒い呼吸を整え、研ぎ澄まされた視界で黒騎士を捉える。
──これで準備は万端だ。
「よし、行くぞッ!」
俺は意を決して地を蹴り、一気に黒騎士との間合いを詰めた。
そこにあるのは、身の毛がよだつほどの圧倒的な威圧感。きっとこいつは、ただのモンスターじゃない。何かもっと、根源的な災厄に近い存在だ。
けれど、怯んでいる暇はない。俺は瞬時に高く飛び上がり、落下の勢いのまま剣を振り下ろす。
「はああああっ!」
キィィンッ!と金属音が鳴り響き、激しく火花が散った。俺の渾身の一撃は、簡単に伏せがれてしまったのだ。
「なっ、マジかよ!」
続く黒騎士の薙ぎ払いを巧みに弾くと、俺は再び力任せに斬り上げる。だが、黒騎士はわずかに身をひねるだけでそれを回避。そして今度は、鋭いカウンターを放ってくる。
「っぶねぇ……!」
咄嗟に身を引き、ギリギリの反応でかわす。かすめた風圧が皮膚を裂き、熱い血が頬を伝うのがわかった。オーバードライブを発動していなければ、今ので心臓を貫かれていただろう。
「チッ、やっぱ速いな……」
どれだけ攻めても、すべて見切られてしまう。速さ、正確さ、間合いの取り方に、読みの鋭さ――そのすべてにおいて、完全に互角だ。
だが、一つだけ決定的な差があった。黒騎士の一撃には以上なまでの『重み』が乗っているのだ。防ぐたび衝撃が体の芯にまで響き、その積み重ねがじわじわと俺の体力を削っていく。
このまま単純な打ち合いを続けても、押し切られるのは時間の問題だ。この状況を打破するには、もはや剣だけでは足りない……。
ならば、魔法だ。奴の防御を崩すにはそれしかない。
「こうなりゃ奥の手だ……いくぞ、フレイム・ランス!」
即座に魔力を練り上げ、掌から灼熱の槍を放つ。狙うは胸部の魔石。直線で貫く、高速の一点突破だ。
だが──黒騎士は動じなかった。
黒騎士の剣が黒く輝き、炎の槍を弾き飛ばした。
いや、違う……弾き飛ばしたのではなく、消えた。奴の剣に吸い込まれるように、俺の魔法は消滅したのだ。
「なっ……魔法を、吸収したのかよ!?」
ありえない光景に思考が追いつかない。ならばと続けて二発、三発と魔法を放つも、そのどれもが黒剣に呑み込まれていく。より高位の攻撃魔法ですら、まるで意味を成さなかった。
「いやいや、冗談だろ……」
額から冷や汗が流れ落ちる。これが、こいつの固有能力だとでもいうのか……。
そして次の瞬間、俺はさらに信じがたい光景を目の当たりにした。黒騎士の剣が、吸収した魔力で赤黒く不気味な光を帯び始めたのだ。振り上げられた剣先から、先ほど俺が放ったはずの灼熱の炎が、こちらへ向かって逆流するように放たれる!
「嘘だろ……これ、俺の魔法じゃねぇか……!」
とっさに横へ跳んで回避する。直後、足元の大地が爆ぜた。肌が焼けるこの感覚、魔力の質、そして熱量。間違いなく、俺が放ったフレイム・ランスそのものだ。
「吸収して撃ち返すとか、そんなの反則だろ……」
だが、狼狽えている場合じゃない。黒騎士はすでに次の構えに入っていた。
「魔法は通じねぇってことなら……」
頼みの綱を封じられた今、残された道はただ一つ。剣術による真っ向勝負──どうやら、それしか残されてないみたいだ。
俺は勢いよく距離を詰め、再び黒騎士と刃を交える。力と技のせめぎ合い。時間が経つにつれ疲労は蓄積し、強化魔法の反動が身体を蝕み始める。
どちらが先に崩れるか、限界を競う終わりなき戦い。
──だがそのとき、違和感が走った。
何かが引っかかった。一瞬、ほんの一瞬だが、黒騎士の動きが鈍った気がしたのだ。
「……今のは、なんだ?」
気のせいか、とも思ったのだが、その違和感は一度だけでなかった──
「まただ……!」
ある特定の構えを取ったとき、間違いなく一拍、動きが遅れていた。大きく踏み込み、右から薙ぎ払う大振りの攻撃。その予備動作の瞬間、鎧の奥で何かが軋むような音が聞こえる。あの構えから見るに──
「……左肩、か?」
斬り合いの最中、意識のすべてを黒騎士の動きに集中させる。そして、観察を重ねるうちに確信へと変わっていく。これは偶然ではない。すなわち、奴の『弱点』はそこにあるはずだ。
「……なら、試してみる価値はあるな」
それから、意図的に左肩への攻撃を織り交ぜ始めた。あからさまではなく、あくまで自然に。だが、確実に負荷を集中させていく。
「どうした、反応が鈍ってきてるぞ!!」
斬撃を繰り出すたびに、黒騎士の動作に遅れが生じる。装甲の継ぎ目か、あるいは内部に損傷を抱えているのか──どちらであれ、そこに確かな隙があった。
「崩れろッ!!」
渾身の一撃が、左肩の装甲を粉砕した。金属の破砕音が空間に響き渡り、黒騎士の体勢が大きく乱れる。
「……今だッ!!」
この好機を逃す手はない。こちらの体力も、魔力も、もはや限界寸前だ。この勝負、長引けば確実に俺が死ぬ。
だからこそ、次の一撃。そこに己のすべてをぶつける。
黒騎士は砕かれた左肩を庇いながらも、なお執念で立ち塞がった。右腕一本だけで剣を振り上げ、全体重を乗せてそのまま振り下ろしてきた。
「ここしか……ないっ!」
俺は息を呑み、覚悟を決める。これは一か八かの賭け。俺は防御を捨て、その一撃を真正面から迎え撃った。
「うぐっ……うあああぁぁ!!」
凄まじい衝撃。黒騎士の刃は俺の腹の肉を裂き、肋骨を砕きながら深く突き刺さる。焼けるような激痛が全身を貫き、視界が真っ赤に染まった。
──しかし、全ては狙い通り。
俺を貫いたことで、黒騎士の動きが完全に止まった。この一瞬こそ、俺が命と引き換えに引き寄せた、絶対的な好機──!
「……捕まえたぜ、黒騎士」
血を吐き出しながら、俺は笑う。そして、意識の底に沈んでいた悪魔の力を引きずり出した。
「これで……終わりだぁぁッ!!」
俺の黒剣が、さらに深い闇色に染まっていく。空気が震え、足元の地面が唸りを上げた。右眼から溢れ出した紅い魔力が、黒い稲妻となって剣に収束していく。
「──喰らえ、グリムリヴァイアッ!!!!」
それは、俺が使える最大威力の剣術魔法。剣先から解き放たれた黒雷の奔流が、龍のような巨大な渦を描き、一直線に黒騎士を呑み込んだ。
ドガァァァンッ!!!
空間を破壊するかのような爆音。鎧は凄まじい風圧で砕け、胴体は木の葉のように千切れ、飛び散った。
やがて、すべてが静まり返ったそのとき――黒騎士の残骸が、音を立てて崩れ落ちた。砕けた魔石、ねじ切られた金属片。唯一、漆黒の剣だけが、虚しく床に突き立っていた。
「は、ははっ……勝った、のか」
勝った。確かに、俺はこの死闘に勝利した。
だがそれと同時、発動していた魔眼の効果が抜け落ちていく。悪魔の姿は霧のようにほどけ、代わりに訪れたのは容赦のない虚脱感と、斬り裂かれた肉の激痛だった。
「う、くっ……がはっ……!」
俺は限界を迎えた。膝ががくりと折れ、視界が揺れる。魔力も体力も尽き果て、もはや指一本動かす力も残っていなかった。
そんな意識が遠のいていく視界の端に、誰か駆け寄ってくる影が見えた気がした。
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