第2話 ダンジョンを駆け抜ける
いざ出発だ。そう足を踏み出した瞬間、膝がぎしりと嫌な音を立てた。
三年間ほぼ寝たきりだった身体は、想像以上に鈍っていたのだ。まともに動かしたのはいつ以来だろうか。軽く腕を回すだけでも、関節が悲鳴を上げる。もし昔の俺がこの惨状を見たら、呆れて物も言えなかっただろう。
「……こりゃ、洒落にならねぇな」
軽く苦笑しながらも、気を引き締める。今さら嘆いても仕方ない。俺がすべきことはただひとつ、先に進むことだ。
目指すはひとつ下の五十階層。その一番奥には、地上へと繋がるワープポイントがある。そこから地上にさえ出てしまえば、あとは何とかなる……はずだ。
だが残念なことに、道は決して容易ではない。
四十九階層というと、それなりに深層。広大な石造りの迷宮であり、下層への進行を阻む障害に満ちている。
しかし、本当の問題はその先。仮に五十階層へ降りたとしても、そこには階層主が待ち構えているのだ。
しかも外へ出るには、その強力なボスモンスターを倒さなければならない。正直、かなりの骨が折れる相手だ。
となれば、道中で余計な消耗をするわけにはいかない。これから先、厳しい戦いになることは間違いないだろう。
──そもそも、ダンジョンとは何か。
ダンジョンとは、突如として地の底から湧き出るように形成される異空間であり、内部には無数のモンスターが生息する。モンスターは討伐されると消滅し、その場にドロップアイテムを残す。骨や鱗などの生物的な部位もあるが、時には金貨や宝石、武器や魔道具など、冒険者にとって価値のある物へと変換されることもある。
それはそれは、人様に都合のいいシステムである。
その甲斐あって原理は解明されていないものの、古くから「ダンジョンは財宝を生む地」として認識されてきた。
そして、ダンジョンには法則があり、それはどの階層にも共通して適用される。
例えば、ある一定の時間が経過すると討伐されたモンスターが自動的に復活する。これは『リポップ』と呼ばれる現象で、冒険者にとっては常に警戒すべき危険な要素だ。せっかく道を切り開いても、時間が経てばまたモンスターに占拠されるため、のんびり探索している暇はない。
また、ダンジョン内には一定間隔で『ワープポイント』が設置されており、これを利用して地上へ戻ることができる。
ただし、深層に進むほどその数は減少し、探索の難易度は一気に跳ね上がる。結果として、長期間の探索にはそれなりの準備が求められ、無計画に潜れば帰還すらままならなくなる。
軽い気持ちで踏み込めば簡単に命を落とす。ダンジョンとは、そういう場所なのだ。
そして、この四十九階層の特徴についても触れておこう。
この階層は、かつて神殿とされていた古代遺跡の一部、という設定のようで、石造りの通路が複雑に入り組んでいる。壁面には古びた装飾が施されているが、長い年月を経て崩れかけている部分も多い。また、天井の魔導石は辺りを青白く照らすが、この光は一定周期で明滅を繰り返し、視界を不安定にさせる厄介な代物だ。
さらに、この階層のモンスターは、主に『アンデット属』に分類される。
生息しているのはデッドナイト、カースドアーマー、ダークミスト。そして一番の強敵は、姿の見えない幻影の騎士、ファントムロード……。
正直、真正面から戦うとなると、どいつもこいつも厄介極まりない。
だが、俺は戦うつもりなどなかった。
そもそも、ニートにそんな体力はないからな。
というのも、このダンジョンには過去何度も潜り込んでおり、モンスターの縄張りや巡回ルートは全て頭に入っているのだ。バレずに通り抜けさえすれば、なんの問題もない。
俺は足音を殺し、壁の影に身を潜めながら最短ルートを進む。呼吸を抑え、視線の動きひとつにも気を配る。
廊下の奥、デッドナイトが剣を構えて巡回しているのが見えた。奴らの動きは鈍重だが、もし気配を察知すれば全力で突撃してくる。単調でバカ丸出しなのだが、それなりにウザいモンスターだ。
その後方ではカースドアーマーが壁に寄りかかるように待機し、獲物を待ち構えている。間合いに入らなければ問題ないが、下手に刺激すれば厄介なことになるだろう。
それだけではない。天井にはダークミストがゆっくりと漂っていた。霧のようなそれは、一定の範囲に侵入した者の生命力を吸い取る。直接の攻撃こそしてこないが、動きを鈍らせ、敵に発見される要因となるのだ。
──だが、迷っている暇はない。行くぞっ!
俺は影と影の間を滑るように移動する。息を殺し、姿勢を低くし、歩幅は最小限に抑える。モンスターたちは動いてはいるが、それぞれ行動範囲が決まっている。
つまり、すり抜けるだけの空間は必ず存在するのだ。
気配を感じさせないように、一瞬の隙をつく。
デッドナイトの背後を通過し、カースドアーマーの影に紛れ、ダークミストの境界線をかすめるようにして進む。恐ろしく近い距離を抜けながらも、彼らの気配に溶け込むように足を運んだ。
誰にもばれないように、慎重に……。
「よし、成功だ……!」
そしてそのまま広間を抜け、長い回廊へと入った。ここを抜けた先に、五十階層への階段が見えてくるのだ。
だが、先へ進むにつれて空気が変わった。
……何か、おかしい。
視界の端で、わずかに影が揺れた。単なる照明の明滅ではない。これは、あの厄介なモンスターの気配。
「くそ、ファントムロードか!」
姿を持たず、敵を察知した瞬間に殺しにかかる恐怖のモンスター。こいつとは戦うことすら愚策だ。気配を読まれたら最後、即座に首を刎ねられかねない。
俺はすぐに姿勢を低くし、気配を極限まで薄めた。姿は見えない。だが、ファントムロードはそこにいる。
一歩、そしてもう一歩。
張り詰めた静寂の中、影がわずかに揺れる。
次の瞬間、目に見えない刃が空気を切り裂いた。
俺は直前で気がつき、直感で横に転がった。すると、さっきまでいた空間が闇に引き裂かれたように揺れた。
……あっぶねぇ。
ファントムロードの攻撃パターンは単純だ。対象の気配を察知し、間合いに入った瞬間に一撃で仕留める。姿が見えない分この攻撃を避けるのは至難の業だ。
だが、その一撃の後は僅かな隙が生じる。この一瞬を突く事ができれば……。
俺は身を低くしたまま、隙を見計らう。そしてぎりぎりの間合いで立ち止まり、一瞬、呼吸を完全に止める。
次の瞬間、空気を裂く音が背後から迫った。それを避けるのではなく、足を滑らせるように前へ行く──!
ザッと一撃、後方で影が跳ねた。
その瞬間、俺は全力で駆け抜けた。影が揺らぎ、俺を追いかけるようにうごめくが、それじゃ間に合わない。
そして、五十階層への階段の境界線を越えた。
ファントムロードの気配が後方で揺らぎ、そして霧散していく。その姿を見て、俺はやっと一息つくことができた。
「ふぅ。ま、楽勝だな」
スリリングだったが、全て計算通りだ。こうして俺は、四十九階層を戦わずして突破したのだった。
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