ダンジョンニートは隠居したい
Shig
第1話 従者の帰りが遅すぎる
「お、遅い……」
無機質な部屋の中、俺――ノクトはベッドの上に寝転がっていた。一日中寝て過ごそうが、ボーッと天井を見つめてようが、誰にも文句を言われない。そんな最高の環境で、一人ダラダラとくつろいでいたのだ。
けれども、今日はどうにも落ち着かない。体勢を変えても寝返りを打っても、やはり違和感が拭えない。
その原因は分かっていた。いつもならとっくに戻ってきている俺の従者──ルゼが帰ってこないからだ。
まったく、少し帰りが遅いだけで大げさだな、なんて思われてしまうかもしれない。普通の主従関係ならそうだろう。
だが、俺たちの関係は違う。彼女の不在は、この生活の終わり……つまり、俺の人生の破綻そのものを意味するのだ。
俺が住処にしているこの部屋は、まさに理想郷だ。灰色の石材でできており、広さはざっと二十畳ほど。ベッドと最低限の家具しかない殺風景な空間だが、俺にとっては十分だった。
食事は時間になれば運ばれてくるし、眠たくなれば眠ればいい。誰にも干渉されず、期待もされず、ただ存在することだけを許される。
俺の人生は、もうこのベッドの上で完結していると言っても過言ではなかった。
そして、この神環境をたった一人で支えているのが、俺の従者であり、凄腕の冒険者でもあるルゼなのだ。
彼女は月に一度は出稼ぎに行き、山のような食料を抱えて帰ってくる。そして帰ってきては、働きもしない俺の世話を焼き、毎回ご飯まで用意してくれる。出かける時は「主様は気楽に待っていてくださいね」と明るく笑う、それはもう気味が悪いくらいによくできた自慢の従者である。
ところが、そんなルゼの帰りが今回やけに遅い。
彼女は冒険者ギルドに所属しており、いつも高額報酬のクエストを受注しては、サクッと片付けて帰ってくる。
普段なら余裕をもって三日、遠方へ行くとしても五日程度で帰ることが多い。けれども今回、もう一週間は経っていた。
もちろん、いつもより高難度のクエストで時間がかかっている可能性はある。想定外の仕事が舞い込んだのかもしれない。
彼女のことだから、致命的なトラブルに巻き込まれたとは考えづらいが、これだけ待たされるのは初めてだった。
「ルゼのやつ、金稼ぎに難航してるんかなぁ」
そう呟いてみたものの、そこまで焦る気にはならなかった。彼女は強いし、優秀な冒険者だ。大抵のことは難なく解決してしまうだろう。
だからこそ、俺はこのベッドから起き上がる気にもならなかった。うんうん、これは仕方がない。もはや、ルゼが悪いとまで言っていいだろう。
「ま、放っておいてもそのうち戻ってくるよな」
そう決め込んで、俺は再び怠惰に身を沈めるのだった。
──あれから一週間後
だが、遅い。流石に遅すぎる。ルゼのことを信じているとはいえ、こうも不在が続くと不安を拭いきれない。
加えて俺の方にも問題が出てきた。こっちの方が深刻と言っていいだろう。
……食料が着々と減ってきているのだ。
水はなんとかなるのだが、食料は自給自足できるような場所ではない。仮にできたとして、今さら俺が狩りや採集なんてのは無理だ。
だって俺は三年間まともに動いていない、筋金入りの引きこもりニートなのだから。
「ルゼ、このままだとお前の主様が餓死するぞー。おい、おーい……」
虚しい呼びかけが、壁に反響して消えていく。今回ばかりは、本格的に何かあったのかもしれない。
うーむ、一体どうしたものか。
「食料はあとどれくらいあったっけ……」
重い腰を上げて、木箱の中身を確認する。
残るは乾燥肉が数切れ、パンが五個、あとは缶詰が一、二個あるくらいだ。これらを小食に分配すれば、あと数日はなんとかなる。
けどそれ以降は、どう考えても飢え死にコースだ。
なのに「ルゼを探しに行く」という選択肢が浮かばないのは、我ながら呆れる。彼女が帰ってくる前提で生きているので、どうにも行動する気にならないのだ。
まあ、もう少し待つことにしようか。
外に出るなんてのはまっぴらゴメン、というか無理だ。街なんて何年も行っていない。人と話すのは億劫だし、仮に行ったところで何ができるのか。想像するだけで気が滅入る。
そうなると、やはり頼りになるのはルゼしかいない。ここまで人をダメにしたのだ、彼女は責任を取る義務がある。
でも、帰ってきたら少し説教しないといけないな。
ルゼはしっかりもので、ニートな俺と大違いではあるのだが、それでも誰かのもとで働く以上「報連相はしっかり守れ!」と言ってやらねば。これが一番大事なことだからな。
……まったく、世話のかかる従者なことだ。
そんな決意を胸に抱いて、俺はベッドに潜り込む。腹減りでよく眠れないが、身体を動かさない限りは多少なりとも消耗を抑えられるだろう。
──さらに、一週間後
結論から言おう。完全に食料が尽きた。予備の分も完全に空になった。終わりだ。もう終わりなのだ。
木箱の中身はすべて空っぽ。底をなめ回してみても、やっぱり何も出てきやしない。
俺は見事に詰んだのだった。
「ル、ルゼェ、どこいっちまったんだぁ……」
床にへたり込みながら、情けなく呟く。
今までは「もうちょっと待てば戻ってくる」と高をくくっていたが、ここにきて本気で焦りだす。
もしもルゼが俺を見限り、二度と帰ってこないと決めていたとしたら? そう考えると、胃がひりつくような感覚に襲われる。
……そんな可能性、いくらでもあるんだよなぁ。
だって俺はニート。働きもせず、のうのうと暮らすだけのヒモ男だ。
主従関係はって? いやいや、あんなものはただの建前。実際のところ、なぜか彼女が面倒を見てくれていただけなのだ。
俺に対する忠誠心なんて、本当は無かったのかもしれない。ただの気まぐれ、俺が死なない程度に食わせておくのが楽しかっただけとか。あるいは何か別の理由があって、利用するために傍にいただけとか──
「帰ってきてくれるなら、土下座だろうが何だってするのによぉ……」
薄暗い部屋に声だけが響く。返事なんてあるはずもなく、待てど暮らせど扉は開かない。
そしてあまり考えたくないが、もう一つの可能性。
ルゼの身に何かあったかもしれない、ということだ。もし何か不測の出来事が起きて、彼女が帰れない状況に陥っていたとしたら? もし助けを待っているとしたら?
そうなれば、残る手段は一つしかないわけで。
「くそっ、行くしかねぇか」
本当に嫌だ。外になんて出たくなんてない。だが生き残るためには、どうにかして食料を得るしかない。
俺は重い腰を上げ、渋々と準備を始めた。
「そうだ。外に出るならあれを用意しないと……」
重要なことを思い出し、俺は部屋の一角にある小さな棚へと向かった。そこには昔の装備やちょっとした貴重品などが雑多に詰め込まれている。多くは使えそうにないガラクタだが、底のほうを探れば懐かしいものが出てきた。
一枚の、黒い眼帯。
これは、かつて地上で素性を隠すために使っていたものだ。これがないと俺は街に入れない。
というのも、俺にはバレるとそれなりにまずい『秘密』があるのだ。これも俺が外に出たくない理由のひとつであり、人との交流を避けている原因でもある。
だがこれをつければ、ある程度は一般人として活動することはできる。実際、昔はなんとかなった。
「しかしこんなもん、まだあったんだな……」
眼帯を手に取り、じっと眺める。きっとルゼが捨てずに取っておいてくれたのだろう。
これを着けて外を歩くのはいつ以来だろうか。妙に懐かしいような、ちょっと苦いような気分が胸をかすめる。
俺はその眼帯を右目に装着した。左右の視野がずれる感覚に少し違和感を覚えるが、すぐに慣れるだろう。
そして、部屋の隅に放置していた黒い剣へと手を伸ばす。かつて相棒だったはずの剣だが、今や見る影もない。手入れを怠っていたため埃を被り、刃はどこかしらくすんで見えた。
「……まあ、ないよりはマシだよな」
剣を鞘へと戻し、腰に固定する。ベルトを調整しながらその重量を確かめると、どっしりとした感触が伝わってきた。
これで、最低限の準備は整った。
「よし、あとはやるしかねぇな」
覚悟を決めて扉に手をかける。その瞬間、鉄製の扉が音を立てて開き、湿った空気が隙間から流れ込んできた。ひんやりとした風に、俺は思わず身震いする。
──待ち受けていたのは、石造りの大空間
所々に埋め込まれた魔法灯が、薄暗く石壁を照らす。足元に目を向ければ、かつての戦闘の痕跡が残る石畳。踏みしめるたび、わずかに砂がこすれる音がした。
懐かしい。いや、どこか落ち着く。
久しぶりのはずなのに、不思議と違和感はない。それどころか、妙な高揚感すら湧いてくる。まるで、ずっと戻ってくるのを待っていたかのような感覚だ。
――何を隠そう、ここはダンジョンの四十九階層
外に出なさすぎて忘れかけていたが、俺はダンジョンの隠し部屋に住み着いていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます