勝てない人
狭倉朏
好きな人の好きな人
リンと鈴の音が鳴る。
お線香の匂いが、嫌い。
でも、私の好きな人が私の家に来るときは、いつもお線香の匂いがする。
この人は、毎月、お姉ちゃんの仏壇に手を合わせにやってくる。
最初の一年、お姉ちゃんのお葬式を終えた後、この人と顔を合わせることはなかった。
聞けば仕事にも行かずに、ずっと家に籠もってたらしい。一年間。
一周忌に再会した『お兄ちゃん』はすっかりやつれて、目に光がなくって、今にも死んじゃいそうだった。
「お姉ちゃん、お兄ちゃんに会えなくて寂しかったと思う」
私が言ったのは、たったそれだけ。
そうしたら次の一年は毎月月命日にやってくるようになった。
先月、三回忌を終えて、そしてまた今月の月命日も来てくれた。
仏壇の写真。会ったことのない父方のひいお祖父ちゃんと、ひいお祖母ちゃん。私が小学生の時に亡くなっちゃったお祖母ちゃん。
そしてお姉ちゃん。
斜めから取った笑顔の写真。
まさかこんな若くに遺影が必要になるなんて誰も思わなくて、慌てて探した写真。
『お兄ちゃん』とのデートで、『お兄ちゃん』が撮った写真。
仏壇の前でじっと手を合わせている『お兄ちゃん』。
私はそれを見ていると、なんだかこの部屋に不釣り合いなのは自分みたいな錯覚に襲われる。
ここ、私の家なのに。
しばらく経って、お兄ちゃんはこちらへ向き直った。
「……ありがとう。今日はごめんね、日曜日に押しかけて」
「別に、私、用事とかないし」
今日はお父さんもお母さんもお仕事だ。
これまでの一年間も、そういう日は何度かあって、部活とか入ってない高校生の私は、こうして留守番して、『お兄ちゃん』を迎え入れてる。
「……お姉ちゃんも、嬉しいだろうし」
「そうだと、いいんだけど……。一年も放置してたら、普通はフラれるよな」
そう言ってお兄ちゃんはまた仏壇のお姉ちゃんの写真を見た。
そんなこと言ったら、最初にいなくなったのはお姉ちゃんの方だよ、なんて言葉が慰めになるわけもないから、私は黙る。
一年でお兄ちゃんはすっかり健康を取り戻した。
でも、元気ではない。
ずっと暗い影を背負ってる。
「……そろそろ受験だけどね」
「そっか、もうそんな年齢か。そんなに経ったか」
三回忌を終えたんだから、そりゃそうだよ、ってのもなんだかやっぱり言えなくて、黙る。
「勉強、わかんないとこあったら、言ってよ。俺、一応、頭はそこそこいいから」
「大学時代、塾の先生やってたもんね」
「覚えてたんだ」
「うん、なんか覚えてた」
お姉ちゃんと『お兄ちゃん』は大学で一緒になって、社会人になって、お互いの仕事が落ち着いたら、結婚しようかって話をしていて、そしてその矢先にお姉ちゃんが事故で死んじゃった。
大学時代からお姉ちゃんは『お兄ちゃん』を家に連れてきていて、お互いのお家で公認って感じで、だから、こんなことになるなんて、誰も思ってなかった。
「……でも、いいや。勉強はお姉ちゃんに教わるのが好きだったから」
「……そっか」
『お兄ちゃん』は泣き出しそうな顔で笑った。
これは本当だけど、方便だ。
お姉ちゃん、教えるの上手だったし。
でも、本当はこれ以上、会うのが怖いんだと思う。
一ヶ月に一回。
それがこの心がギリギリ我慢できる頻度。
「……俺、いつまでここに来て良いのかな」
私に聞かないで欲しい。
「……彼女ができるまでじゃない?」
こう答えるしかないじゃん。
「彼女、かあ」
はははと力なく笑う。
「できないんじゃないかなあ」
その声は力がないけど、強い意思が混じってた。
「そっか。……私、きょうだいお姉ちゃんだけだったし、たぶんこの仏壇、私が継ぐから……」
我ながら、一体何年後の話をしているのだろう。
仏壇。父方のお祖父ちゃんが施設に入るとき、我が家に引き取られた仏壇。
お祖父ちゃんもまさか自分より先に、孫がお祖母ちゃんのところに行くとは思わなかっただろう。
もう、お祖父ちゃんはそういうことがわかる状態でもないけれど。孫のお葬式にも、出られないくらいだ。
「私の家なら、いつでも来て良いよ」
「……ありがとう」
『お兄ちゃん』は小さく微笑んだ。
「じゃあ、また、来月」
「うん、……お姉ちゃんと待ってる」
バイバイって手を振って、玄関で見送った。
「はー……。お姉ちゃん、来たね、今月も。嬉しい? 私、余計なこと言っちゃった……?」
仏壇の写真に話しかける。
ねえ、お姉ちゃん、私、『お兄ちゃん』のこと、お兄ちゃんだと思ったこと、ないよ。
「――さん」
お姉ちゃんがいつも楽しそうに呼んでいた名前をつぶやく。
けれども、私にその名前は呼べない。
きっと来月も、そのまた次の月も。
何年、経ったとしても。
私の好きな人の好きな人は、私の大好きなお姉ちゃんなんだから。
勝てない人 狭倉朏 @Hazakura_Mikaduki
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