敵は居ないよ
ロビーにある売店で、蘭たちはお菓子を買っていた。
杏は食欲がなく、隅のソファに座っていた。
「課長に呼び出し食らったって本当か」
振り向くと、蜂谷が立っていた。
「いや、ちょっと言葉が過ぎちゃって」
「律のことじゃなくてか?」
と問われ、まあ、それもある、と答える。
横に腰を下ろした蜂谷が、
「俺も、ついてってやろうか?」
と珍しくやさしい言葉をかけてくれたのだが、杏は膝で頬杖をつき、溜息をついて言っていた。
「いや、いい」
実は今、ちょっと蜂谷にすがりたい気分だった。
真横に居るだけで、落ち着く蜂谷の体温を感じたし。
蜂谷だったら、いきなり、すがっても、倒れたりしないだろうし。
今朝の電車で蜂谷が体格のいい男を勧めてきた気持ちも今はちょっとわかる、と思っていた。
律くんとか、すがったら、私の重みで吹っ飛びそうだしな、とちょっと笑う。
吹っ飛ぶ律も想像したら可愛いが。
「そうか。
じゃあ、お前一人で行けよ」
おかしな妄想をしている間に、蜂谷の機嫌が悪くなったようだった。
何処で? 今、なにポイントで怒った? と顔を上げる。
「一人でノコノコ行って、課長に襲われろっ。
じゃあなっ」
と言い様、立ち上がり、蜂谷は何処かへ行ってしまう。
……いや、待て。
なんなんだ、あんたは、と思って見送っていると、
「あーあ」
という春香の声がした。
「今、いいチャンスだったのに」
「これだから、杏って、恋愛に発展しないのよねー」
と二人が畳みかけるように言ってくる。
「今、なにがいいチャンスだったの? ねえ」
春香が、それは一体誰の真似なのか、顔の前で祈るように手を合わせ、可愛らしい声で言う。
「ほんと? 蜂谷。
私、一人じゃ不安だったの。
蜂谷、付いてきてくれる?」
蘭がそれに続けて言った。
「私、蜂谷だけが頼りなのっ。
……とかないわけ? あんたは」
「この二人がいまいち上手くいかないわけがわかりましたね。
杏さん、蜂谷さんとは会社に入る前からお友達なんですよね?」
幼なじみとか? と春香に訊かれ、
「いや……いっそ、そうなら、なにも問題は起こらなかったんだけどね」
と杏は渋い顔をする。
杏のやつっ。
警戒心なさすぎだっ。
渡り廊下へのドアを開けながら、蜂谷は杏に向かい、毒づいていた。
向井の妻が出て行ったらしいという噂を、蜂谷も今日になって聞いた。
律のことを聞き出そうと、前、向井の部下だった男に彼の家族の話を振ったからだ。
律より、課長の方が危なくないか?
年回りもそう悪くないし、と思ったとき、前から隣の部署の先輩がやってきた。
「蜂谷、今夜、暇か?」
と笑顔で訊いてくる。
「今夜は……」
と断ろうかと思ったが、いつも世話になっている先輩だ。
断りづらいし、車があるのに、ずっと電車で杏を見張ってるのも、それこそ、杏が言うストーカーみたいだしな、と思い、呑みに行く話を受けた。
渡り廊下を歩きながら、浅人に電話する。
昼休みだからか、すぐに出た。
「浅人、そこに律は居るか?」
と言うと、居ないけど、と言う。
「お前、今日、杏か律について帰れ」
『えーっ。
俺、カラオケに……』
と言いかけ、
『いや、わかったよ』
と言ってくる。
昔のことで、自分に負い目があるからだろう。
なんだか脅したみたいになってしまったな、と思い、
「いや、忙しかったらいい」
と言ったのだが、律儀な浅人は、じゃあ、律もカラオケに誘うと言ってきた。
『律誘うと、女の子、半分あっちに流れちゃうんだけど』
と愚痴ってはいたが。
「悪いな。
今度、なんか奢るから」
と言って電話を切った。
「その小細工する労力を鷹村さん本人に向ければいいのにねえ」
と声がして振り向くと、同期の
いい奴なのだが、女性問題を結構起こしていて、ちょっとチャラい。
「鷹村さんさあ、ルックスはいいんだけど、変わってるよねえ。
大丈夫。
そんなに敵は居ないよ」
と言ってくるので、
「お前の基準で測るなよ」
と言うと、
「入社してきたときは、みんな、おっ、と思ったみたいなんだけど。
まあ、お前が最初から、ベッタリ側に張りついてたからね。
幼なじみなんだっけ?」
と訊かれる。
「違う」
幼なじみなら、弟くらい知っていた――。
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