早く振られてしまえ

鳴神ハルコ

叶わない想いは

用済みになったら消えてしまうのかと

ただ、それだけが怖かった


中学三年生。三歳年上の、西村という名字の人が好きだった。

彼とは部活が一緒で、家が近くて、彼の弟が私と同じ学年にいて、何組かにいる、らしい。

その程度。

バトミントン部の朝練で早くに家を出る少し億劫なあの時間。他の誰も居ない道の先には私のより小さく見えるラケットを背負う背中が在って。

それだけが嬉しくて、

それだけが支えで、

それだけが 好きの条件だった。

同学年の男子より広い背中だからラケットが小さく見える、なんて答えはどうでもよくて。

そのジャージ姿の背中が朝日を浴びてきらきらしているのが格好良くて、いつまでも見ていたかった。寝癖のついていない髪も、踏み潰した痕なんてないスニーカーの踵も。全てが彼を私よりずっと大人に見せた。

試合前の比にならない緊張を手に、…どんな声か、聞いてみたくて。持っている限りの勇気を振り絞った朝。何度も何度も練習した台詞は躓くし、自分でも何を言っているのか解らないくらい。

言葉を繋ぎながら、全然、ダメだ、と悟っていたのに。

『おはよう。…ありがとう』

律儀に冒頭、私が口にしたのであろう基本の挨拶を返してから少し驚いたようにお礼を云ってくれた。台詞以上に何度も想像した声が頭の上から降ってきて顔を上げたら、想像が追い付いていない、照れたような柔らかい笑顔が見れた。

ああ、また、好きになってしまう。


それから、弟とも面識を持つようになって、一年近くが経とうとしていた。

卒業間近の或る日。一年前は他人だったとは思えない程親しくなった彼の弟が訪ねてきてこう言った。

『兄貴家出る、から』

から、何と続けようとしたのだろう。それとも弟は、確かに続けていたのか。それが思い出せないくらい、頭の中が一度真っ白になって、行き着いた先にはあの時と似たような決意があった。

決意というか、当たり前のように“わないと”と思い込んだ。

好きです。好きでした。ずっと、今まで。好きです。

今度の練習は、音にしたら泣いてしまいそうだった。

いざ音にしたら、彼は。あの時より驚いた表情をして『気付かなかった』と。

『ごめん』と。謝った。

私はその『ごめん』が気付かなかったことに対してなのか、この想いに応えられないことに対してなのか、聞けるほど、大人じゃなかった。

辛かったのは、それを口にした貴方の表情が、今までで一番辛そうだったこと。

私の想いは、好きな人にそんな表情をさせるものだった。


『おはようございます』も『好きです』も、小さな声でたくさん、たくさん練習したベッドの中で私はその日の夜、初めて声を殺して泣きじゃくった。もう二度と、繰り返さないように。


そうして私と彼の弟は高校三年生になった。

まるでこうなる事を解っていたかのように別の高校に進学した彼の弟は、皮肉にも、あの頃の彼によく似た背中を見せるようになっていた。


「帰って来る。おまえにも会いたいって」

私たちにも卒業が近付く冬。久々に掛けられた声は、それだった。

思わず逸らした目。震える指先を悟られたくなくて隠そうとしたら、手首を掴まれた。

「会えよ」

ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、弟の手は痛い程冷たくて、

どれ程の時間寒い外で待っていたのかと思うと、

云うべきか迷っていたのかと思うと、気付いてはいけないことに触れそうになって蓋をした。



「なな」

そうして、三年振りに聞くことになった声。そう呼ばれていたことを思い返したら涙が溢れそうになって、俯きかけた。

「可愛さ増した?」


そういうところ。

俯きかけた時、思わず顔を上げてしまうようなことを言うところが

すごく、好きだった。


彼のする思い出話は今も私にとっては夢のような話だったけど、


「ここで挨拶? してくれたんだっけ」


そう、ふと指した時の左手薬指に、指輪を見つけて。

私が避けた三年は、知らない好きな人を作るのには充分すぎる時間だと思い知る。


その後は只管心の中で自分に何かを大丈夫だと言い聞かせて、

「またね、」

笑って、言いたくもない台詞で格好付けて、大好きだった背中を見送った。



「……で。まーーた独りで泣くと」



家族の居る家に入ることもできず玄関脇の茂みに隠れていると背後から憎らしい声がして「泣いてない」とだけ声を強めた。


「おまえ隠し事向いてないよ。振られた次の日も目パンパンに腫れてたし、俺、初めて会った日にななが兄貴のこと好きだって気付いたけど」


「やっぱり知ってて仕向けたな……口頭で婚約だか結婚だかしたって教えてくれればいいものを」


「そしたら兄貴に会わねーだろ」


「会う必要ないもん」


「俺が困るんだよ。好きな奴に三年も避けられてお預けくらう身にもなれ」



「は?」


どいつもこいつも。思わず振り返って目にした“彼の弟”は、

暗がりでも判ってしまうくらい真っ赤な顔で「ばーか」と子どもみたいに吐き出してから

大人びた表情で微笑んだ。


「“叶わなかった想い”ごと、好きなんだよ」




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