第7話 ラプソディ

 時刻は午前二時――望遠鏡を担いで踏切に集まる時間だ。だけど俺にはそんな青春じみた時間はやってこない。今の俺にあるのは――煮詰まった夜であった。


「くっそ……次どんな展開にしようか迷うな……」


 椅子の背もたれにぐったりと身を任せ、天井を見上げる。

 俺は今、「ブラッド・マギクス・ガーデン」の523話の執筆に取りかかっている。

 ——の、だが。ノートPCの画面は真っ白であった。タイトルすらまだ決まっていない状況だ。


「この前、イリーナメインの話書いたし……次、誰メインでやるかなぁ」


 俺は基本的に、一話完結で書くように意識している。

 それが小説投稿サイトにおいて最も好まれる手法で、これをするとしないでは閲覧数やいいねの数も違ってくる。そして、同じキャラクターを主軸にしてばかりでは読者は離れて行ってしまう。


「新キャラ、出してみるか……?」


 全然ありな話だ。最近、一定のキャラクターばかりで話を進めていたから、そろそろマンネリ化している頃合いだろう。ここで新しい登場人物を加えて風を吹かせてみるのも、悪くない。


「でも、どんなキャラを出したもんかな……」


 更に熟考する。どんな関係で、どんな因果でキャラを創り出すか――それが重要だ。俺はぽっと出のキャラというのがあまり好きじゃない。何かしらの因縁や、薄くともかかわりがある者でなければ物語は面白くならないと思っている。


 どうするべきか――俺がそんな事を考えていると。


 ピコン。通知が来る。

 それはXからの通知であった。スマホを手に取り、通知の正体を見る。


「お、新しいイラスト投稿してる……」


 画面に映し出されているのは「あきら」という名前のイラストレーターの投稿であった。


『skebで描きました! 日本刀を持ったおじキャラ……最高!』


 そんな文言と一緒に、黒いコートを身に纏い、日本刀を携えるガタイの良いイケおじのイラストが貼られていた。背景の血飛沫がハードボイルドでダークな雰囲気を醸し出していた。


「相変わらず、上手いな……いいよなぁ、イラスト描けるのって」


 隣の芝生は青く見えるとは、よく言ったものだ。

 俺はこんなカッコいいイラストも、無論可愛いイラストも描けない。こういう技術があるのが羨ましい。俺には文章を書くしか取り柄がないから、こうやって明確にキャラを表現できる方法が欲しいと時折思ってしまう。


「……いやいや、そんな事言ってる場合じゃねぇな。それよりも、新キャラ――」


 と、脱線しかけた思考を軌道修正しようとする。

 だが、脱線した先に道はあった。


「待てよ? ……刀と、おじ……最強の居合……黒……闇の、執行者……」


 俺はあきらの投稿したイラストを眺めながら、考える。

 枯れていたはずのアイデアが、間欠泉の如く湧き出てくる。イメージが次第に構築されていく。

 

 浮かび上がるのは、深夜の路地裏。地面と壁を染める、無数の血飛沫。

 そこに佇むのは――漆黒のコートを身に纏い、太刀を持った中年の男。


「いいじゃん……すげぇ、いいじゃん! よっしゃ、早速取りかかるぞ!」


 自然と俺の手は動いていた。

 523話――タイトルはそう――



「よかったよ、今日の話。めっちゃカッコよかった」


 昼休み、空き教室で空峯が早速そう言ってきた。その頬は僅かに綻んでいた。


「お、読んでくれたのか。ありがとな。……いやぁ、もう天啓を得たって感じだよ」


「ノクトの師匠で、ファルスの同期とか……最高。しかもめっちゃ強いし」


 ノクトとは、主人公・アベルの所属する特務機関の同僚で、苦戦するアベルを何度か助けていた事もあった。不愛想なアベルと引き換えに陽気な性格をしている、でこぼこコンビ的な立ち位置だ。


 今回の新キャラ――ラプソディは、ノクトの師匠にあたる男だ。

 特務機関における最強の執行官エージェントにして、神速の剣術を扱う者。とにかく謎が多い不可思議な男――という風なキャラクターである。


「実は昨日、Xに流れてきたイラストから着想を得たんだよ。黒コートと日本刀とイケおじ……もうカッコよさしかない要素だろ」


「分かる。……それ、でさ。実は今日、ラプソディに合う感じの曲を、考えてたの」


「マジ⁉ 聴かせてくれよ、それ!」


 思わず空峯の肩を掴んでしまった。新キャラのテーマ曲を早速作ってきてくれたんだから、嬉しくない訳がない。


「ちょ、ちょっとそんな興奮しないでって! なんとなく登校中に考えてただけで、ちゃんとは出来てないから……あんまり、期待しないで」


 空峯は鬱陶しそうに、そして恥ずかしそうに俺の手を振り払う。

 流石に俺も興奮しすぎたか。いやでも、paleの新曲誕生に立ち会っているんだ、興奮するなと言われる方が無理ある話だ。


「悪かった。だけど、期待はさせてもらうぞ。paleの新曲だからな」


「……だから、そういうのいいって」


 と言いつつ、空峯は青色のストラトを抱え直す。それからジャン、ジャンと軽く音色を見て、深呼吸をする。

 ——瞬間、教室の空気が涼し気な蒼に染まる。


 奏でられるのは、比較的ローテンポな灰色の旋律。周囲がまるで埃と鮮血に覆われているかのように思える、短調なメロディ。無論、音は歪んでいない。だが、彼女の指が、そして弦が歪んでいるかのように錯覚させる。


 彼女の神秘的にも思える白銀の髪と蒼天の瞳は、爽やかな雰囲気を感じる。

 が、そんな容姿からは想像出来ないような黒く重い旋律が、空峯心向そらみねこなたの手から――そしてあの青いストラトキャスターから生まれていた。


「ま、まだ一部しかメロディ出来てないから、これからもっとブラッシュアップしていくつもり……だ、けど……」


 空峯の言葉は次第に失速し、絶句へと変わっていた。

 俺の顔を見て、絶句していた。涙を流して、茫然と座る俺を見て。


「え、な、どうしたの⁉ なんか嫌な事でも思い出した? だとしたらごめ――」


「……いや、普通に感動してた。最高にカッコよすぎて、心臓が止まっただけ」


「それ死んでるじゃん! ……ま、まぁ喜んでくれたなら……よかった、うん」


 穏やかに微笑む空峯。その姿は、無邪気で可憐な子供のようだった。

 俺は涙を袖で拭いて、彼女の目をしっかりと見る。


「マジで、ありがとな。これからももっと、頑張るよ」


「……うん、私もいい曲作るよ」


 そうお互いに笑顔を交わして、俺たちの昼休みは終わった。



 放課後になって、俺は帰る支度をしていた。

 空峯は既に帰っていたようで、教室に姿はなかった。今日は部活もないから、そのまま直帰する事になる。そんな俺のもとに、桜色の髪の少女が現れる。


「彼方、帰ろぉ」


「分かったよ。今日は漫研の方はない感じなのか?」


「うん。だから一緒に帰れるね」


 ともりはそう微笑みかける。ここ数日、燈は漫画研究部の方で放課後が忙しかった。そのせいで、一緒に帰る機会が少し減っていた。更に言えば、昼休みも一緒に過ごす事は減っていた。

 まぁ、空峯と昼休みを過ごす事が多くなったのが原因なのだが。


「ねぇねぇ、彼方。最近、心向ちゃんと仲良いよね」


「ん? まぁ、そうだな」


「前まで特に話してた訳じゃないよねぇ? それどころか彼方、私以外のクラスの女子と全然話してなかったじゃん」


「……まぁ、それは」


 素直に「実は空峯は俺が好きな同人音楽の活動者で、それで仲良くなったんだ」なんて言う訳には、当然いかなかった。空峯自身、自分がpaleである事はリアルの人間に知られたくないようだった。

 友達として、そして同じクリエイターとして、そこら辺のプライバシーは守る必要があるんだ!


「それはぁ?」


「あれだ、今期気に入ってるアニメ見てたんだよ。たまたま知って、それでな」


 咄嗟に嘘を吐いてしまった。燈は「ふーん、そうなんだぁ」と呆気なく俺の虚偽の返答に頷いた。

 それにしても燈は俺に関する異性との関係に機敏だと思う。確かに俺は昔から趣味的な理由で女子と話す事があまりなかったけれど、流石に空峯一人と仲良くなったくらいで問い詰める事はないだろう。


「そうだ、今日ファミレス寄ろうぜ。勿論、俺の奢りでな」


「どうしたの急にぃ。彼方、万年金欠だーとか言ってたじゃん。私に対して強がらなくていいからね? 気持ちは嬉しいけどさぁ」


「違うって。俺がお前にそんな見栄張る訳ないだろ? 実はな、今日投稿した話さ、あきらのイラストを見て着想を得たんだよ」


「あ、やっぱりぃ? なーんか特徴見た事あるなーって思ったら、そうだったんだぁ……


「マジでカッコよかったぞ。……でも相変わらず、筋肉もりもりなのな」


「属性と筋肉は盛れば盛るほど最強になるんだからねぇ?」


 ――花守燈はなもりともりは、イラストレーターであった。

 その筆名は「あきら」——男性的な名前を使っているネカマ的な存在だ。実際、燈の描くイラストは全部筋骨隆々なイケメン、イケおじばかりで、フォロワーの中にはあきらをガチの男性だと思っている者もいる。

 

 ——かのように思えるが、たまに投稿されるBL的な漫画が女性作家である事を如実に示していた。


「ま、何にせよお前のおかげで良い話が書けた。感謝の気持ちに、な?」


「やったぁ! なーに食べよっかなぁ?」


 燈は楽しそうに歩いていた。まぁ、たまにはこういう風なのもいいな。

 俺はそう思いながら、一緒にファミレスへと歩き出す。


 

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