AB組のセツメイ中。

タカノハナ

プロローグ


「だれか私にキン〇マ貸しなさいよッ!」





 教室の扉をあけたそばから教壇から聞こえてきたのは、ソレだった。



 まさか『おはよう』という挨拶よりも先に『キン〇マ』という極めて直接的下品ワードが飛んできたのはいささか驚いたが心配するほどじゃない。




 これでも、一年AB組は平常運転だ。



 声色からして女子の発したもので、AB組には男女合わせて五人の生徒、それも女子生徒はたったの一人……つまり朝から教室でめちゃくちゃ下品なセリフを炸裂させているのがだれなのかすでに答えは出ていた。



――高峰アリス。



 前から薬物検査に引っかかってもおかしくない言動ばかりする女だとは思っていたが、今回ばかりはどういう流れでそういう発言が生まれたのか想像もつかない。



「あら」

「あ……」


 そんなアリスと目が合ってしまう。



 切れ長な瞳の奥にどす黒い覚悟を揺らめかせ、立っている教壇からこちらへゆっくりと歩みよってくる。

 一歩また一歩と近づいてくるたびにさらりとした長髪がゆらりと揺れるが、そこには妖艶さよりも、むしろ妖魔的な気配を感じ、彼女の綺麗な指がナニかをもぎ取ろうとするような動きを見せたので、鞄でサッと股間を隠した。


 その眉間には苛立ちなのか憤りなのか、そのどちらともとれるようなシワがよっているが、どちらにせよ俺にメリットはない。



「ごきげんよう。テル」

「え? えっと、おはようアリス」


 ……なんだ、挨拶しにきただけか。



 恐る恐る股間から鞄を外してみたが襲われることはなかった。


 さすがのアリスも朝からクラスメイトの股間に手をかけるようなそこまで常識のない人間じゃな「キン〇マ貸しなさいよ」――そこまでしか常識がなかった。



 才色兼備でありながら傍若無人。

 


 天が二物を与えないのは耳にしていたが、いらぬ遊び心をくわえるとは知らなかった。


 おかげで『キン〇マ』を連呼する美少女が爆誕しているわけだが見るに堪えない。天よ、都合があうならばこの件について謝罪をよこせ。


 しかしクラスメイトを無視するほど俺も薄情じゃない。



「アリス。なにがあったかは知らないけどさ、まずは冷静になろう」


「冷静になれですって? 私はあなたに『キン〇マを貸して』とお願いをしているだけ。それのどこが冷静ではないと言うの? ……ああ、そういうこと」


 ああ、やべっ。火をつけちゃった。



 アリスの眼光が鋭くなった。


「もしかしてアンタは貧富の格差にジェラシーを抱いているのね。庶民の生涯賃金を小便感覚で生み出せてしまう大財閥の御令嬢でもあるこの私が庶民の庶民キン〇マを無償で借りようとしているから……それが気に入らないから私にイチャモンをつけて私にイチモツをつけさせないつもりッ!? ええ、そうとしか考えられないッ!! ふざけやがってッ!! 平凡な家庭に生まれて平凡な幸せを築いて平凡に死んでいく予定の、このクソ中流階級庶民がッ!! ……………ねえテル、あなたろくな死に方しないわよ?」



「俺、冷静になろうって言っただけだよ?」



 やっぱり無視しておけばよかった。


 アリスから容赦のない罵詈雑言を浴びせられる。それに毒舌がとめどなく回りだしたら彼女がヒートアップしているサインだ。


 こうなってしまうと下手に止めることはできない。


 彼女の怒りを抑えるには彼女の抱えている問題を解決するか、それができないのであれば感情の熱が冷めるまでおとなしくしているか、上手に怒りをかわしていくのが無難だ。


「…………」

「…………」

「…………」


 先に教室にいる新茶、エマ、鬼ヶ島がそうしているように。例によって三人とも席に着いて静かにしている。


 新茶は、アホ毛をピコピコさせながら道端で拾ってきた雑誌を読んでいた。


 エマは、女子にしか見えない愛くるしい顔を紅潮させて恥ずかしがっている。


 鬼ヶ島は、大岩のような頑健な巨体を狭そうな席に収めて眠っている。



 彼らもアリスの扱いを心得ているようだ。



 …………いや、違うなこれ。

 多分、俺がやってきて生贄になるのを待っていたな。



 さすがAB組のクラスメイトだ。



「仕方ないわね。ソレはいくらで貸してくれるのかしら」

「他人様の股間に指ささないでくれる?」


「1タマ、一億円でどうよ」



 …………本当に、金の玉になってしまった。しかも絶妙に揺らぐ金額。



 いやいや、俺のほうこそ冷静になれ。

 

 アリスはその大金を偽りなくポンと出せるから恐ろしいんだ。


 下手に首を縦に動かそうものなら、迷わず俺を外国へ飛ばして手術させ、いっぱしのレディにしてくれるだろう。まだ男でいたい。


 俺は確固たる意志で、首を横に振った。



「冗談じゃない。貸すわけがないだろ」

「ならいくらで貸すのよ」


「だから、貸してもらえる前提で話を進めるなって。そもそも借りようとしているブツがそこらのレンタルDVDのようにふらっと貸し借りできるものじゃないんだ」


「そんなこと百も承知よ。そのうえで頼んでいるんじゃない」

「そのうえで頼んでいるの? 恐ろしいね。というか、なんで借りようとするんだよ」


「フン、借りる理由ならアイツにあるわ」

 

 そう言ってアリスは鬼ヶ島を指さした。



「鬼ヶ島がなにかしたのか?」

「そうよ!」


 そこからアリスは熱く語りだす。


「今日は朝から麗らかな日和だったわ。木の枝でじゃれあう小鳥はさえずり、ぬくもりを含むそよ風は私の頬を優しく撫でる、まるで絵本の中の世界のような穏やかな朝。

 これぞまさに平和な世界と呼べるわ。けれど私は思ったの。そんな世界を殺伐とした雰囲気でぶち壊したら面白いかもしれない、とね。

 そう考えたら、私の中で次第に膨れあがる好奇心を止めることはできなかった。その答えを知るために、さっそく鬼ヶ島に喧嘩を売ってみたの。殺伐とした空気を作るために」


「おかしな話だ」

「いいえ。おかしいのはここからよ」



 いいや、もうおかしいよ。

 今の話も、おまえの思考も。


 アリスは話をつづける。


「彼、なんて言ったと思う? そう、『女は殴らない』とほざいたのよ。……女の子が可愛く喧嘩を売っているんだから男は黙って買いなさいよッ!」


 理解に苦しむ供述である。


 しかし、今の話を聞いても男のブツを借りる理由が見当た……いや、待てよ。



「もしかしてアリス……男だったら問題ないと思ったから借りようとしているのか?」


「そうよ!」



 ……金持ちはどうしてこうも狂人ばかりなんだよ。



「あのね、そんなことしても男になれないから」


「……たしかにそうね。私は、解剖学や現代医学では男になれないでしょうね。けれど哲学ではどうかしら?」

「…………と、いうと?」


「もし私がキン〇マを手にすることで男になれたという絶対的な確信が生まれたのなら私の精神はすでに男であり、その精神の収まる器が女であるだけ、ということになるわ!」

 


 あー、もう関わりたくないなー! 今のアリスに関わりたくないなー! 



 それでも俺は精神を乱さぬように気を付けながらアリスと会話をつづけた。



「そんな無茶苦茶な話があるかよ」

「なら聞くけど。あなたは安いリンゴジュースを飲んだことがあるかしら」

「そりゃまあ、ね」

「果汁は何パーセントくらいだった?」

「……だいたい、20%くらいか」


「ほらみなさい。あなたはたった20%しか果汁の入っていないジュースを当たり前のようにリンゴジュースと呼んでいるのよ。

 さっきあなたは『それだけで男になれない』と言っていたのに、リンゴジュースはたった二割の要素でリンゴジュースになっているじゃない。それならキン〇マの五割を手にすれば、もはや私は――」

「もうわかった! わかったから!」



 女の口から何回もキン〇マ、キン〇マって聞きたくない!



「どう? 私が正しいの! 私が正義なの!」


 アリスの表情には羞恥心の欠片もない。むしろ弁論で勝ったことを誇っている。



 ……くそう、このまま勝ち誇らせておくのは、なんだか癪に障る!



「じゃ、じゃあさ! もし俺の生徒手帳を貸したらアリスは俺になるのか!?」


「なるわよ。当たり前じゃない」



 淀みなく言われちゃったよ……。

 せめて反論の突破口でも作れ……ん?



「それで男の俺になれるなら生徒手帳を貸せばいいだけでは?」


「…………」

「なあ。アリス」


「……い、いいからキン〇マを貸しなさいよッ!」


 どれだけ負けを認めたくないんだよ!?


「それで貸すの!? 貸さないの!?」

「だから貸さないって!」


「いいじゃない2つもあるんだから! いっそのこと男らしく2つとも譲りなさいよ!」


「それだと俺が男じゃなくなるだろうが!?」


「安心なさい! 今は、男女共同参画社会&多様性の時代よ!」



「……いや女として生きていくつもりもないからな!?」



 ダメだ、手が付けられない。

 ここは助け船をよこしてもらうほかない。



「なあ! おまえらからもなにか言ってやってくれよ!」



 俺は新茶、エマ、鬼ヶ島に声をかける。


 返事はすぐにきた。



「タカミネアリス! 一億円は安すぎだろ!」と、新茶。


「も、もっと……高い、のかな?」と、エマ。


「……zzz……同意見だ」と、鬼ヶ島。



 不覚にも涙が出そうになった。悲しいほうの。

 

 べつに俺は自分のブツの査定が不満で抗議しているわけじゃないんだ。

 それと鬼ヶ島、おまえも一応は関係者なんだから寝てないで助けてくれ。



「だったら生涯年収の半額でどうかしら!」

「だから違う! 金の話じゃない!」

「もちろんよ! 玉の話でしょう!」

「うまいこと掛け合わせないでくれるか!?」


「今からここにテルのキン〇マオークションを開催いたしますッ!」

「勝手に開催するなッ!? 勝手に出品するなッ!?」



 一年AB組はこれでも平常運転である。

 ……これでも、だ。



 まったく、なんてクラスだ。

 


 けれど彼らに出会えたのは偶然や確率ではない、まさに運命に近いもの。



 一年AB組。なにせここは――。

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