宵闇

鳥尾巻

宵闇

 あの人に会ったその足で私は彼の家に向かう。開いたドアの隙間から伸びた手が私の体を抱き寄せる。慌ただしく鍵の閉まる音、電気も点けない部屋の中、性急に輪郭をなぞる冷たい指先はごつごつと骨っぽくて、少し乱暴にも思える。

「今日は何したの?」

 低く囁く声が耳たぶを掠め、私はその息の熱さに思わず首を竦めた。

「……キス」

「キスだけ?」

「他にもいろいろ」

「どんなふうに?」

 彼は私の答えなど待たず、舌打ちと共にブラウスのボタンを引きちぎる勢いで外し、首筋に顔を埋めた。私はあの人がどんな風に私を抱いたかを細かく彼に伝える。彼はあの人が私につけた痕跡を探すように執拗に肌を辿る。まるでそこにあの人がいるかのように。そして溢れるほどにあの人の愛を注がれた私という器を今日も彼は獣のように抱くだろう。


 私達三人は幼馴染だ。ふたつ年上のあの人と、同い年の私と彼は、幼い頃から隣り合った三軒の家を行き来する仲だった。両親に愛され太陽のように明るくて優しいあの人と、家族に恵まれず口下手で不器用な彼。二人の幼馴染は私を大事にしてくれたけれど、彼らの背丈が私をはるかに追い越した頃、関係にも少しずつ変化が現れた。


 ある夏の日にあの人は私を「好きだ」と言った。三人で花火大会に行った帰りだったと思う。家の前まで送ってもらい、門の前で照れながら告白された時、目の前が暗くなるような気がした。夏の宵の空気が重くて、浴衣の帯がきつくて、履き慣れない下駄も痛かった。なんだか泣きそうだった。俯いて黙っている私に、あの人は「返事は急がなくていい」と明るく言ってくれた。優しくてとても鈍い人。

 あの人を見送ってから一人になって見上げた二階の彼の部屋は暗くてカーテンも閉じていたけれど、ずっと視線は感じていた。彼に「違う」と言い訳したかった。でもあの日起きたことは何も違わなくて、私の言い訳はどこにも辿り着けずに宙を漂ったままだ。


 私は彼の不器用さを愛おしく思っていた。思ったことは裏返り口に出る言葉はぶっきらぼうだけれど、その態度は優しくて何かを恐れるように生きている。子供の頃からずっと見ていたから分かる。その視線の先にあるものも、彼の想いも。私が彼を想うほどには彼が私を見ていないことも。

 だから私はあの人と付き合うことにした。彼の代わりにあの人に愛され、その愛を彼に伝える。最初に引き摺り込んだのは私だ。「意味が分からない」と逃げる彼を捕まえあの人の痕跡を分け与えた。あの人を裏切る後ろめたさは微塵もない。これが愛でなくても構わない。私と彼はどこまでいっても一方通行の執着に酔い痴れ、いっそ全部あの人に教えて同じ地獄に堕としてもいいとさえ思う。


 彼の呼吸が切羽詰まって荒くなる。私は暗闇の中で声を殺し彼の髪を掻き乱す。私はあの人の身代わりに彼に愛されるだけの器だ。私の中であの人の残酷な優しさと彼が抱える行き場のないあの人への激情がドロドロに溶けてぜんぶ混ざり合えばいいのに。

 あの人に恋焦がれ、あの人に愛される私を憎みながら抱く、かわいそうでいとしい私の好きな人。

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