Nihil

椿谷零

Nihil

僕、山吹海斗(やまぶきかいと)は顔を鏡に向けていた。鏡に映る自分の顔は、まるで他人が被るための仮面のようだった。不細工な顔立ち、冴えない目、ガチャガチャとバランスの崩れた歯、自信なさげな表情。鏡の中の僕は、いつもどこか他人行儀で、本当の自分を見つけることができずにいた。

その鏡の中の影は、日に日に醜く歪んでいくように感じた。まるで、鏡の中の自分は、もう僕ではないかのように。

両親は、僕の存在をどこか遠くに置いていたように感じる。弟の成績を褒める声は、我が家のリビングに響き渡る音楽のように日常的で、僕の耳に突き刺さる。まるで、僕はこの家族の脇役、あるいは邪魔者でしかないかのように。

弟が新しいゲーム機を買ってもらった時の、両親の笑顔。それは、まるで僕には決して訪れない、温かい光のようだった。誕生日プレゼントは、いつも形だけのもの。欲しいものを言っても、いつも「そんなものは必要ない」と一蹴された。

クラスメイトからのいじめは、日常茶飯事だった。理由なんてあってないようなものだ。彼らは自分が優位に立ちたいが為にいじめをする。体育の授業中、バスケットボールが取ることの出来ないほど速く顔面に飛んできた。ぶつかった時の痛みよりも、体育館中に響き渡る嘲笑の方が、ずっと痛かった。視界が白く染まり、耳鳴りがひどくて、まるで自分の心臓が鼓動を止めようとしているように感じた。

「おいおい、顔真っ赤じゃん!」

彼らの嘲笑は、僕の心をバラバラに引き裂く。先生は、いつも通り無関心で、彼らはまるで僕を標的にしたゲームを楽しんでいるように見えた。

体育館を出る時、後ろから誰かが足を引っ掛けた。膝から血が滲み出ていることに気づいたが、痛みよりも屈辱感が僕を襲った。体育館を出た後も、彼らの嘲笑が耳の中に残っていて、まるで僕の心を蝕んでいくようだった。

教室に戻ると、机の上には落書きがされていた。「死ね」の文字が、真っ赤なペンで大きく書かれていた。まるで、僕の心に直接書き込まれた呪いの言葉のように。その文字は、僕を呪詛する黒い影のように、僕の心を覆い尽くした。

毎日、同じようなことが繰り返される。陰口を叩かれたり、物を隠されたり、故意にぶつかられたり。少しでも隙を見せると、容赦なく攻撃される。

「なんで、僕だけこんな目に遭わなきゃいけないんだ?」

自問自答しても、答えは見つからない。鏡の中の僕は、日に日に憔悴し、血の気を失っていく。まるで、鏡の中の自分は、もう僕ではないかのように。鏡に映る自分の目は、光を失い、虚ろな瞳孔だけが虚無を見つめていた。

ある日、いつも通りクラスメイトにいじめられていると、一人が近づいてきて、にやりと笑った。そして、ポケットから何かを取り出した。それは、光を反射する鋭いナイフだった。

「お前なんか、いなくなって仕舞えばいいんだよ!」

ナイフの冷たい光が、僕の瞳に突き刺さる。心臓が止まるかと思った。相手の顔は歪み、狂気じみた笑みを浮かべていた。ナイフの先端が、僕の喉元を掠める。その瞬間、僕は死を覚悟した。相手は刺す気はなかったようで、僕の反応を見たかったようだ。幸い怪我することはなかったが、絶望感が僕の心を覆いつくした。

「もう、限界だ…」

そう呟きながら、部屋に戻ると、母の薬箱から睡眠薬を盗み出した。小さな白い錠剤が、まるで僕の希望の光を消し去るかのように、薬箱の中に並んでいた。

「これで、全てが終わるんだ」

そう自分に言い聞かせながら、15錠の睡眠薬を飲み込んだ。口の中に広がる苦味と、喉を通り過ぎる冷たい錠剤の感触。その瞬間、僕の心は、まるで氷で覆われたように冷え切った。

孤独感、無力感、絶望感。それらの感情が、僕の心を押しつぶしていくようだった。

意識が朦朧とする中、様々なことが頭に浮かんだ。幼い頃の楽しかった思い出、大好きなおもちゃで遊んでいたこと、家族皆で夕食を囲んでいたこと、手芸で賞を取った時のこと。でも、それらの記憶は、すぐにクラスメイトにいじめられている自分の姿に置き換えられてしまう。

幼い頃から僕はいつも一人ぼっちだった。友人がいる人を羨ましく思い、誰かと心を通わせたいと願っていた。でも、クラスではいつも浮いた存在で、誰とも本当の友達になれなかった。

小学校の頃は、数人の友人がいた。小物を作るのが好きで、賞をもらったこともある。でも、私立の中学校に入ると、その才能も嘲笑の対象になった。

「手芸なんて、なんの役にもたたねぇだろ」

クラスメイトの言葉は、僕の心を深く傷つけた。それ以来、小物を作ることを恐れるようになった。

中学時代は、陸上部にも所属したが、すぐに打ちのめされた。ピッチが上がらず、タイムが縮まることもなく、大会ではいつも最下位。先輩や仲間から馬鹿にされ、心を閉ざしてしまった。

高校に入ってからも、状況は変わらなかった。新しい環境に期待していたけれど、すぐに同じような日々が繰り返された。

「なんで、僕はこんなにダメなんだろう」

自問自答しても、答えは見つからない。

鏡の中の自分の顔は、日に日に醜く歪んでいくように感じた。

「もう、こんな自分なんていらない」

そう思うようになったのは、いつからだろう。

「死んだら楽になれるのかな」

そんな考えが、頭の中に浮かぶようになったのは、いつからだろう。

睡眠薬を飲み込んだ後、僕は何度も何度も同じことを繰り返していた。

「なんで、僕はこんなにも惨めな人生を送らなければならなかったのか」

「なぜ、誰も僕のことを理解してくれなかったのか」

「どうして、僕はこんなに孤独なのだろう」

吐き気を感じ、意識が朦朧としてきた。本や雑誌の散乱した床が、吐瀉物で汚れていく。脱水症状で意識が遠のいていく。目の前がぐわんぐわんと歪む。そのまま僕はただ一人、カーテンの締め切った暗い部屋で静かに息を引き取った。

僕の亡骸は、数日後に発見された。警察は自殺と断定したが、誰も僕のことを深く悲しむ者はいなかった。クラスメイトたちには、僕の死を噂話のように楽しみ、すぐに別の話題に変わっていた。両親は、僕の部屋で亡骸を見つけた時、少し安堵したような表情をしていた。まるで、邪魔者が消えたように。

僕は、この世から消えたいと願っていた。でも、本当に消えてみると、こんなにも虚しいものなのだと気づいた。誰も僕のことを必要としていなかったんだ。

もし、あの時、誰かが手を差し伸べてくれていたら、僕はこんなことにならなかったのかもしれない。

でも、もう遅い。

僕は、この世から消えてしまった。

永遠に。

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Nihil 椿谷零 @tubakiyarei155

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