『#私になる儀式』~憑依者の花嫁~
ソコニ
第1話あなたにしか見えない私 〜美しき憑依者〜
プロローグ
古びた公園のブランコが、軋む音を立てて揺れていた。錆びついた鎖が、夕暮れの光を鈍く反射する。誰も座っていないのに、ブランコは静かに揺れ続けていた。
二十年前のこの場所で、全ては始まった。
警察の記録には、こう記されている。
夏の終わり、小学校三年生の女児が失踪。通学路の公園を最後に行方不明となる。遺留品は、白いワンピース一着。防犯カメラには、女児が一人でブランコに座る姿が映っていた。そして次の瞬間、画面が数秒間乱れる。再び映像が鮮明になった時、ブランコには誰も座っていなかった。
捜査は難航した。目撃者証言はなく、物的証拠も得られなかった。事件は迷宮入りとなり、やがて人々の記憶からも薄れていった。
けれど、この公園に関する奇妙な噂だけは、消えることはなかった。
夕暮れ時、一人でブランコに座っていると、後ろから声が聞こえてくるという。振り返ると、白いワンピースの少女が立っている。その少女は、どことなく見覚えのある顔をしているという。まるで、自分に似ているような。
そして少女は、必ずこう言う。
「見えちゃった?」
それを聞いてしまった人は、もう逃れられない。次々と不思議な出来事が起こり始める。スマートフォンの画面に映り込む影。鏡に映る見知らぬ顔。そして徐々に、その人自身が変わっていく。
失踪事件から五年後、女子大生が姿を消した。その三年後には女子高生が。昨年は主婦が。半年前には看護師が。全て、この公園の近くで最後の目撃証言があった。
不思議なことに、失踪した人々には共通点があった。皆、どこか寂しげな表情を持つ人だった。そして、最期に目撃された時の様子が、いつもと違っていたという。まるで、別人のように見えたと。
今日も、この公園のブランコは揺れている。
誰かが、そこに腰掛けている。スマートフォンを手に、SNSに写真を投稿しようとしている。婚約指輪が、夕陽に輝く。
その後ろに、白いワンピースの少女が立つ。
「見えちゃった?」
物語は、また始まろうとしていた。
第1章 「見えちゃった?」
一階の応接室の大きな窓から夕暮れが差し込んでいた。会議机の上のコーヒーカップに映る影がゆらゆらと揺れる。パワーポイントの資料が映し出されたスクリーンに、プレゼンターの佐伯真希の影が長く伸びていた。
「以上で新規キャンペーンの説明を終わらせていただきます。ご質問などございますでしょうか」
最後のスライドを終えた真希の声が会議室に響いた。緊張から開放された空気が、ゆっくりと部屋に満ちていく。
「佐伯さん、素晴らしいプレゼンでした」
クライアント企業の部長が、にこやかに微笑みながら言った。真希は丁寧にお辞儀をしながら、安堵の息をつく。今回のキャンペーンは、広告代理店に入社して六年目の彼女にとって、最大のプロジェクトだった。
会議室から人々が退席していく中、真希は片付けを始めた。自分のスマートフォンを手に取り、婚約者の健一にプレゼン成功の報告をしようとする。けれど、画面に指を触れた瞬間、違和感があった。
画面が、一瞬だけ歪んだような気がした。
「気のせいかな」
そう思いながらもう一度画面を確認する。するとそこに、見知らぬ少女の顔が映り込んでいた。長い黒髪。白い肌。か細い首筋。少女は優しく微笑んでいる。
慌ててスマートフォンを裏返す。心臓が早鐘を打つように鳴っている。深呼吸をして、ゆっくりとスマートフォンを表に向け直す。
画面は普通に戻っていた。LINEのトーク画面が表示されている。
「疲れてるのかな」
真希は首を振って、かばんに携帯を入れた。窓の外はすっかり暗くなっている。時計を見ると、もう八時を回っていた。
最寄り駅までの近道、小さな公園に立ち寄る。健一との思い出の場所だ。初めてキスをした、プロポーズを受けた、そんな大切な場所。ベンチに座り、婚約指輪を見つめる。指輪の内側には「Forever Together」の文字。シンプルだけど、二人らしい。
公園の街灯が、オレンジ色の光を投げかけている。風もなく、虫の声も聞こえない。妙に静かだった。
スマートフォンを取り出し、SNSにアップしようとカメラを起動する。その時、画面に違和感があった。後ろの街灯が、一瞬だけ消えたような。いや、消えたというより、何かに遮られたような。
「見えちゃった?」
突然、後ろから声がした。振り向くと、スマートフォンの画面に映っていたのと同じ少女が立っていた。白いワンピース。黒い長い髪。十二、三歳くらいだろうか。
街灯に照らされた少女の姿は、まるで古びた写真のように、どこか色褪せて見えた。その姿には、不自然な存在感があった。まるで、現実の空間に無理やり貼り付けられたかのように。
「私のこと、見えちゃったんだね」
少女は嬉しそうに微笑んだ。その表情には、どこか懐かしさを感じた。まるで、昔からの友人に再会したような。でも、確かに初めて会う顔だ。
「あの、あなたは...」
「ねえ、お願い。一緒にいて」
少女は両手を胸の前で組み、まっすぐに真希を見つめた。その瞳は、どこまでも深く、暗い色をしていた。瞳の奥で、何かが蠢いているような。
「一緒に...って」
「だって、私のこと見えちゃったんだもん。もう、運命だよ」
少女は顔を傾げ、無邪気に笑った。その仕草は、確かに愛らしかった。でも──。
背筋が凍る。理由はわからない。ただ、本能的な恐怖が全身を支配していく。心臓の鼓動が早くなり、手のひらに汗が滲む。
「ごめんなさい。私、これから約束が...」
嘘をつく。それが最善だと思った。早く、この場から離れなければ。
「嘘だね」
少女の声が変わった。明るく無邪気な調子は消え、低く冷たい響きになっていた。まるで、別の存在が少女の口を借りて話しているかのように。
「私を捨てようとしてる」
立ち上がろうとした真希の体が、突然動かなくなった。
公園の空気が、一瞬で凍りついたように感じる。周囲の音が消え、世界から色が抜けていく。ただ、目の前の少女だけが、異様な存在感を放っている。
「ねえ、私を捨てたらどうなると思う?」
少女が一歩近づく。街灯の光を受けて、彼女の影が不自然に長く伸びた。影は真希の足元まで這い寄り、まるで蛇のように絡みついてくる。冷たい。影に触れられた場所が、どんどん感覚を失っていく。
「捨てられるの、もう嫌なの」
少女の顔が、徐々に歪んでいく。白い肌が、どす黒い色に変わっていく。頬から髪の生え際まで、細かい亀裂が走る。その隙間から、漆黒の何かが滲み出してくる。
「もう二度と、離さない」
少女の髪が、ゆっくりと宙に浮かび上がる。まるで水中で揺らめくように。その一本一本が、真希に向かって伸びてくる。
喉から悲鳴が出かかった。でも声が出ない。
「だから──」
少女の表情が、さらに歪む。人間の顔とは思えないほどに。
「ずっと一緒だよ」
口が、耳元まで裂けるように広がった。開いた口の中は、底なしの闇。そこから、黒い液体が溢れ出してくる。
その瞬間、真希の視界が真っ暗になった。
気がつくと、公園のベンチに一人で座っていた。周りには誰もいない。夜風が冷たく頬を撫でる。
「夢...?」
自分に言い聞かせるように呟く。でも、体の震えは止まらない。
スマートフォンの画面に新しい通知が表示されていた。
見知らぬアカウントからのフォローリクエスト。アイコンには、白いワンピースを着た少女の後ろ姿が写っている。
震える指で、プロフィールをタップする。
『見つけた♪』
たった一行のプロフィール文。そして、投稿は一枚だけ。
それは、たった今の真希。公園のベンチに座る彼女の、後ろ姿の写真。投稿時刻は、「たった今」。
スマートフォンを落としそうになる。写真をよく見ると、ベンチに座る真希の影が、少女の形に歪んでいた。
その夜、真希は眠れなかった。何度も何度も、スマートフォンの画面を確認した。でも、アカウントは消えていた。写真も、メッセージも、全て。
ただ、画面に映る自分の顔の後ろに、誰かが立っているような気がして──。
第2章 「私を見て」
会議室のスクリーンに映し出されたグラフが、不自然に歪んだ。頭痛が締め付けるように痛む。真希は目を瞬かせる。昨夜は一睡もできなかった。何度目を閉じても、あの少女の顔が浮かんでくる。何度スマートフォンを確認しても、あの投稿は消えたままだった。本当に、あれは夢だったのだろうか。
化粧で隠したクマが、会議室の蛍光灯に照らされて浮き出ているような気がする。新しいファンデーションのキャンペーン企画。クライアントの化粧品メーカー「ブランシュール」の幹部たちが、真剣な表情でスライドを見つめている。
昨日までは自信があった企画だった。若い女性の「素顔の美しさ」をテーマにしたキャンペーン。真希自身、このブランドのファンデーションを愛用していた。完璧な素肌を演出する、まるで魔法のような化粧品。その魅力を、彼女なりの言葉で表現したはずだった。
「そして、このグラフが示すように、二十代後半から三十代前半の女性の──」
言葉が喉につかえる。スクリーンの中のグラフが、まるで生き物のように蠢いている。折れ線が波打ち、棒グラフが歪む。そして、その歪みの中から、人影が浮かび上がってくる。
白いワンピース。長い黒髪。
「あっ...」
思わず声が漏れる。けれど、他の誰も気づいていないようだった。むしろ、真希の突然の沈黙に、不審そうな視線が集まる。
スクリーンの中の少女が、ゆっくりとこちらを向く。その動きは、まるでビデオの逆再生のように不自然だった。関節が、人間とは違う方向に曲がっている。
「佐伯さん、大丈夫ですか?」
クライアントの部長、水島が心配そうに声をかけてきた。けれど、その声が遠くなっていく。少女の唇が動き、何かを告げようとしている。音は聞こえない。でも、その言葉が頭の中に直接響いてくるような感覚。
『私を無視しないで』
真希の手足が、突然重くなる。まるで鉛を纏ったように。スクリーンの少女が、ゆっくりと手を伸ばしてくる。その指が、映像の表面を押し広げるように、現実の空間に滲み出してくる。
その瞬間、会議室の電気が消えた。スクリーンも暗転する。窓からの光も、嘘のように途絶えた。完全な暗闇。そして数秒後、非常灯が点灯する。赤い光が会議室を不気味に照らし出す。
「すみません、確認してきます」
同僚の藤原が立ち上がった。真希と同期で入社し、よく飲みに行く仲だ。先日は結婚式の二次会の相談にも乗ってくれた。そんな彼女が、ドアに手をかける。けれど、開かない。
「おかしいな...」
藤原が何度もドアノブを回す。施錠されているはずはない。防災上の規定で、会議室のドアは常に内側から開けられる仕様になっているはずだ。
会議室の空気が、徐々に張り詰めていく。参加者たちの間に、不安が広がっていく。取引先との重要な会議が中断され、部屋に閉じ込められる。誰もが携帯を取り出し、状況を確認しようとする。
真希の携帯も震え始めた。画面には次々と通知が表示される。既読にする間もなく、新しい通知が積み重なっていく。全て同じメッセージ。
『見て』
『見て』
『見て』
『見て』
『見て』
際限なく続くメッセージ。送信者は「unknown」。未読通知の数が、百を超え、千を超えていく。
スマートフォンの画面が、鏡のように真希の顔を映し出す。その映り込みの中に、後ろに立つ人影が見える。振り向いても、そこに誰もいないのに。
会議室の壁に、人影が映る。一つ、また一つ。白いワンピースを着た少女の影が、次々と現れていく。影は壁を這うように動き、やがて会議室の参加者たちに重なっていく。
「う...っ」
藤原が床に崩れ落ちた。彼女の顔が、まるで蝋が溶けるように歪んでいく。頬から額にかけて、細かい亀裂が走る。その隙間から、漆黒の何かが滲み出してくる。他の参加者たちも、次々と同じように変貌していく。クライアントも、上司も、同僚も。その顔は皆、あの少女の顔に。
「やめて...」
真希は後ずさる。壁際まで追い詰められる。影が迫ってくる。逃げ場はない。会議室の空気が、どんどん濃密になっていく。呼吸が苦しい。まるで水中にいるような感覚。
携帯の画面が明滅する。新しいメッセージ。今度は婚約者の健一からだった。
『今日の打ち合わせ、どうだった?』
返信しようと画面をタップする。けれど、文字入力画面に浮かび上がったのは、見知らぬメッセージ。
『私が、邪魔?』
真希の手が震える。勝手に文字が打ち込まれていく。まるで、誰かが遠隔で操作しているかのように。
『健一さんのこと、好き?』
『私よりも?』
『私よりも大切なの?』
送信ボタンが押される。消そうとしても間に合わない。既読マークが付く。返信が即座に届く。
『誰だ?真希?』
次々とメッセージが届く。困惑する健一からの問いかけ。けれど、それらのメッセージが、目の前で文字化けしていく。そして、全く別の文章に変わっていく。
『私たちの結婚式、楽しみ』
『白いドレス、似合うかな』
『永遠に、二人で』
画面が真っ暗になり、再び明るくなる。そこには写真が添付されていた。先週、結婚式場で撮った前撮り写真。ウェディングドレス姿の真希と、タキシード姿の健一。けれど、写真の真希の顔が、少女の顔に変わっている。花束を持つ手は、細く白い少女の手に。
『素敵な写真ね』
『でも、私の方が似合うと思わない?』
『私が、幸せになる』
真希は携帯を床に投げ出した。全身の力が抜けていく。会議室の参加者たちは、全員が少女の姿になっていた。十数体の少女が、一斉にこちらを向く。その瞳は漆黒で、底なしの深さを感じさせた。
「なぜ...私を...」
声が震える。少女たちが、一斉に口を開く。その声は、会議室の空気を震わせた。
『だって──』
声が、頭の中で重なり合う。まるで、大勢の少女が同時に囁きかけるように。
『私を見つけてくれたから』
少女たちが、ゆっくりと真希に近づいてくる。その表情は、歪んでいるのに、どこか悲しげだった。瞳には、涙が光っているように見える。
『もう、独りぼっちじゃないの』
『私たちは、一つになれる』
『あなたがいれば、私は──』
真希の視界が、次第に暗くなっていく。体が、まるで深い眠りに落ちていくように重くなる。意識が遠のく前、確かに聞こえた。
『ずっと、一緒...』
目を開けると、会議室のテーブルに突っ伏していた。周りには普通の同僚たち。電気も正常に点いている。水島部長が、資料に目を通している。藤原が、ペットボトルの水を差し出してくる。
「佐伯さん、体調悪そうですけど、大丈夫?」
藤原が心配そうに覗き込んでくる。普通の、藤原の顔。幻だったのか。夢を見ていただけなのか。
携帯を確認する。健一とのメッセージも、通常の会話履歴に戻っている。写真も、前撮りの写真も、元通りだ。
安堵の息をつこうとした時、藤原の影が不自然に揺らめいた。影の形が、ゆっくりと少女の姿に変わっていく。藤原の瞳の色が、わずかに濁ったような気がした。
そして彼女は、かすかに──。
どこか違う声で、笑った。
「佐伯さん、続き、始めましょうか」
その声は、藤原のものでも、少女のものでも、どちらでもないような気がした。
第3章 「私たちは友達」
真希は会社を早退した。藤原の笑顔が、頭から離れない。あの瞬間、確かに彼女は「誰か別の存在」になっていた。それとも、最初から──。考えるだけで、寒気が走る。
地下鉄の窓に映る自分の顔が、疲れて見える。化粧が薄くなり、隠していたクマが浮き出ている。ブランシュールの新作ファンデーションが、やけに重く感じられた。
車窓の向こうを走り過ぎる景色が、突然ノイズのように乱れる。真希は目を瞬かせる。窓ガラスに映る自分の後ろに、白いワンピースの少女が立っている。振り向くと、そこには疲れた様子のOLが座っているだけ。再び窓ガラスを見ると、少女は消えていた。
スマートフォンが震える。健一からのメッセージだ。
『今日は早く帰れるって聞いたから、結婚式場の最終打ち合わせ、予約入れておいたよ』
結婚式。もうすぐ。考えるだけで胸が締め付けられる。
返信しようとした時、画面に新着メールの通知が表示された。差出人は「不明」。件名は「私のこと、覚えてる?」。
開くべきではない。そうわかっていながら、真希の指は画面をタップしていた。
メールには一枚の画像が添付されていた。古びた新聞記事のスキャン。五年前の地方紙。「女子大生失踪事件から一年」という見出し。記事の中央には、笑顔の女性の写真。上野莉子、二十三歳。
真希の指が震える。莉子の写真が、まるで動画のように動き出す。彼女の顔が、ゆっくりと歪んでいく。そして──。
「あの少女...」
莉子の顔が、白いワンピースの少女の顔に変わっていく。
次々と新しいメールが届く。全て「不明」から。次々と開かれる添付画像。三年前の女子高生。去年の主婦。半年前の看護師。皆、行方不明事件の報道。そして、その写真は全て、少女の顔に変わっていく。
最後のメールには、先週の結婚式場での前撮り写真が添付されていた。ウェディングドレス姿の真希。その顔が、既に少女の顔に変わっている。
『次は、あなたの番』
スマートフォンを鞄に投げ込む。冷や汗が背中を伝う。周りの乗客は、誰も真希に注目していない。いや、違う。よく見ると──。
乗客たちの影が、全て少女の形になっている。
次の駅で、真希は急いで電車を降りた。地上に出ると、もう日が沈みかけていた。行き交う人々の影が、夕陽に長く伸びている。その全てが、少女の形に見える。
とにかく帰らなければ。早足で歩く。後ろから誰かがついてくるような気配。振り向くと、通りには人影もない。けれど、街灯に照らされた真希の影だけが、少女の姿に変わっている。
家に着くと、ドアの前で健一が待っていた。
「大丈夫?顔色悪いよ」
健一が心配そうに近づいてくる。その影が、街灯に照らされて伸びる。影の形が、ゆっくりと変化していく。
「あっ...」
声が出ない。健一の影が、完全に少女の形になっている。そして彼は、どこか違う声で話し始めた。
「ねえ、私のこと、おぼえてる?」
健一の目が、漆黒に変わっていく。瞳の奥で、何かが蠢いている。
「莉子さん...?」
思わず口にした名前に、健一の顔が歪んだ。
「違うよ。私は美咲。でも、莉子お姉ちゃんもいるよ。みんないるの」
健一の声が、少女の声に変わっていく。顔の輪郭が溶け始める。その下から、白い肌が覗く。
「どうして...私を...」
「だって」
健一の姿が、完全に消えていく。そこに立っていたのは、白いワンピースの少女。いや、よく見ると複数の少女が重なり合っているような。
「寂しかったの」
少女の声が、何重にも重なり合う。
「みんな、私を見つけてくれた。でも、すぐに逃げ出そうとした」
少女たちの姿が、まるでノイズのように震える。その一つ一つが、かつての被害者たちの面影を持っている。
「私を見た人は、私の一部になる。それが、決まり」
廊下の照明が、パチパチと明滅する。真希は後ずさる。背中がドアに当たる。
「でも、あなたは特別」
少女たちの声が、一つに溶け合う。
「あなたは、最初から私に似てた。だから、完璧な私になれる」
真希の手が震える。何かを言おうとした時、スマートフォンが鳴り響いた。藤原からの着信。慌てて電話に出る。
「もしもし、藤原さん?」
「佐伯さん、大変です!」
藤原の声が、パニック状態だ。
「会議室で、皆が...」
その声が、突然途切れる。代わりに聞こえてきたのは、少女の声。いや、複数の少女たちの声。
『私たちは、もうすぐ一つになる』
『素敵な結婚式になるね』
『永遠に、一緒だよ』
電話が切れる。画面には、会議室で倒れている社員たちの写真が送られてきた。皆の顔が、少女の顔に変わりかけている。その中に、藤原の姿も。
目の前の少女たちが、さらに近づいてくる。その瞳に、真希は見覚えのある光を見た。あの公園で、初めて出会った時の。
「準備は、もう整った」
少女たちの声が、真希の意識を揺さぶる。
「さあ、私たちの、結婚式を始めましょう」
廊下の照明が、完全に消える。暗闇の中、少女たちの瞳だけが、無数の星のように輝いている。そして真希は、自分の体が溶けていくような感覚に包まれた。意識が遠のく中、確かに聞こえた。
『これで、私たちは永遠の友達』
目を開けると、そこは結婚式場のチャペルだった。パイプオルガンの音が、静かに響いている。純白のウェディングドレスに身を包んだ真希。介添人として立つ藤原。参列者席には、会社の同僚たち。そして祭壇には、タキシード姿の健一。
全て、いつもと変わらない。けれど──。
鏡に映る参列者たちの顔が、全て少女の顔に変わっていた。そして、ウェディングドレスの真希の顔も。
永遠に。
第4章 「もう逃げられない」
結婚式まで、あと三日。
真希は化粧台の前に座り、手鏡を覗き込んでいた。ブランシュールの新作ファンデーションを、いつもより厚めに塗る。最近、肌の色が日に日に白く、透明になっていくような気がする。血の気が失せていくように。
鏡に映る顔が、どこか違和感がある。自分の顔なのに、どこか他人の顔のように見える。特に目元。漆黒の瞳が、まるで底なしの穴のように深い。
「私は、私」
自分に言い聞かせるように呟く。けれど、鏡の中の顔が、かすかに笑ったような気がした。
スマートフォンが震える。藤原からのメッセージ。会議室での出来事以来、彼女とはまともに話せていない。いや、会社の誰とも。
『結婚式、楽しみにしてます。私たち、みんなで待ってます』
「私たち」という言葉が、不気味に響く。添付された写真には、会社の同僚たちが写っている。一見、普通の集合写真。けれど、よく見ると全員の目が、漆黒に染まっている。
画面を消そうとした瞬間、インターフォンが鳴った。
「はい」
応答しても返事がない。モニター画面には、白いノイズが流れている。その中に、人影が見える。複数の影が、重なり合うように揺らめいている。
来客用のドアスコープを覗く。廊下には誰もいない。けれど、床に伸びる影だけが、白いワンピースの少女の形になっている。その影が、ドアの下の隙間から、黒い霧のように部屋に染み込んでくる。
「出て行って...」
真希は後ずさる。黒い霧が、部屋の中で渦を巻き始める。その中から、かすかな声が聞こえてくる。
『私たちも、そう思った』
霧の中から、人影が浮かび上がる。上野莉子。失踪した女子大生。彼女の姿が、少女の姿と重なり合う。
『でも、もう遅いの』
次々と人影が現れる。女子高生、主婦、看護師。全て、新聞記事で見た失踪者たち。その姿が、順々に少女の姿に変わっていく。
『私たちは、もう一つ』
声が、幾重にも重なり合う。
『あなたも、もうすぐ』
真希は玄関に向かって走る。けれど、ドアが開かない。必死でドアノブを回す。鍵は掛かっていないはずなのに。
背後の気配に振り返ると、黒い霧が人の形を取り始めていた。真希の影が、壁一面に投影されている。その影が、少しずつ少女の姿に変化していく。
スマートフォンが鳴り響く。健一からの着信。震える手で電話に出る。
「健一さん!お願い、助けて!」
「真希?どうしたの?」
健一の声が、途切れ途切れに聞こえる。電波が悪いように、ノイズが混ざる。
「私、何か、おかしくて...体が...」
自分の声が、徐々に変わっていく。別の声、いや、複数の声が重なり合うように。
「真希?お前、大丈夫か?」
健一の声も、歪み始める。受話器の向こうで、彼の声が少女の声と混ざり合っていく。
『私たちの結婚式、楽しみ』
電話が切れる。画面に、真希の顔が映り込む。髪が、少しずつ黒く長くなっていく。肌が透き通るように白くなる。そして瞳が、漆黒に染まっていく。
浴室に駆け込み、洗面台の鏡を見る。自分の顔が、ゆっくりと変化している。まるで、別の存在が内側から這い出してくるように。
蛇口をひねり、水を顔にかける。化粧が落ちていく。その下から現れる肌は、陶器のように白い。これは、本当に自分の肌なのか。
鏡に映る顔が、少しずつ少女の顔に重なっていく。その瞳に、懐かしい記憶が浮かぶ。
あの公園。初めて出会った場所。いや、違う。もっと前から、知っていた。
真希の意識が、霧の中に溶けていくような感覚。記憶が、別の記憶と混ざり合う。自分の人生と、少女たちの記憶が、渦を巻くように融合していく。
莉子の記憶。放課後の教室で、初めて「彼女」を見た瞬間。
美咲の記憶。深夜の病院で、患者の影が少女の形に変わっていく様子。
そして──。
真希自身の記憶。幼い頃、公園で一人遊びをしていた時の出来事。白いワンピースの少女と出会った日。いや、その時から、ずっと。
『思い出した?』
鏡の中の顔が、完全に少女の顔に変わる。けれど、どこか見覚えがある。そう、幼い頃の、自分の顔。
『私たちは、初めから一つだった』
記憶が、一気に押し寄せる。公園で一人、ブランコに揺られていた日。誰も遊んでくれない。誰も、私を見てくれない。
その時、初めて「彼女」が現れた。白いワンピースの少女。私そっくりの顔を持つ存在。
『寂しかったね』
少女の声が、真希の心の奥深くで響く。
『だから、私になった』
そうだ。あの日から、私は「彼女」だった。そして、他の誰かを見つけるたび、その人も「私」になった。莉子も、美咲も、そして今の私も。
鏡の中で、無数の顔が重なり合う。全て「私」の顔。けれど、もう誰が誰なのか、区別がつかない。
玄関のドアが、鍵が閉まっていたはずなのに、音もなく開く。健一が立っている。
「真希、大丈夫か?」
彼の声が、遠くなっていく。その姿が、黒い霧に包まれる。影が、少女の形に変わっていく。
『もう、準備は整った』
真希の意識が、完全に霧の中に溶けていく。最後に見たのは、鏡に映る自分の顔。いや、私たちの顔。
『さあ、結婚式を始めましょう』
純白のウェディングドレスが、黒い霧の中で輝いている。その生地が、まるで生きているように蠢く。
『私たちの、永遠の契約』
意識が闇に沈む前、確かに見た。鏡の中で微笑む、無数の「私」の顔を。
そして、全てが白く、深い闇に包まれた。
第5章 「永遠に一緒」
純白のウェディングドレスが、薄暗い控室で不気味に輝いている。真希は、全身鏡の前に立っていた。式まであと一時間。けれど、もう誰も慌ただしくない。静寂が、部屋を支配している。
鏡に映る花嫁の顔は、もはや誰なのかわからない。真希の面影を残しながら、どこか違う誰かの表情が覗く。その奥には、更に別の顔が重なり合う。無数の「私」が、一つの肉体の中で溶け合っている。
化粧台の上には、ブランシュールの新作ファンデーションが置かれている。蓋が開いていて、中身が空っぽになっている。もう必要ない。今の肌は、陶器のように白く、透明に近い。
「準備は、いい?」
後ろから声がする。振り返ると、ウェディングドレス姿の藤原が立っている。いや、もう彼女は藤原ではない。瞳の奥に、別の存在が潜んでいる。
「ええ、私たちは準備できてる」
真希の口から出る声は、もう一人のものではない。複数の声が重なり合い、美しい残響のように響く。
控室のドアが開く。両親が入ってくる。父の顔も、母の顔も、どこか違和感がある。その瞳の奥に、漆黒の深みが潜んでいる。
「素敵な花嫁ね」
母の声が、少女たちの声と混ざり合う。
スマートフォンの画面が明滅する。結婚式場からの最終確認メール。添付された資料に目を通す。式次第、参列者リスト、座席表。全ての紙面に、白いノイズのような歪みが走る。文字の間から、少女の顔が透けて見える。
会場に到着した参列者たちの写真が、次々と送られてくる。同僚たち、友人たち、親戚たち。その全員の目が、漆黒に染まっている。全員の影が、白いワンピースの少女の形を示している。
『みんな、待ってるよ』
画面の中で、文字が踊る。
廊下に出ると、列を作って並ぶスタッフたち。皆、どこか表情が違う。目が合うと、不気味な笑みを浮かべる。その笑顔の下に、別の顔が透けて見える。
チャペルの前に立つ。扉の向こうから、パイプオルガンの音が漏れてくる。けれど、その音色が歪んでいる。まるで水底から聞こえてくるように、深く、濁っている。
「昔を覚えてる?」
父の声が、少女の声に変わる。
「ええ」
真希の意識の中で、記憶が渦を巻く。
あの日、公園のブランコで一人遊んでいた。誰も、私に気付いてくれない。そんな時、「彼女」が現れた。私にそっくりな顔を持つ少女。白いワンピースを着て、優しく微笑む。
「寂しかったね」
少女は私の手を取った。その瞬間、私たちは一つになった。もう独りぼっちじゃない。私たちは、いつも一緒。
そして私は、他の「私」を探し始めた。莉子。美咲。そして更に多くの「私」。皆、最初は戸惑い、抵抗した。けれど最後には、皆「私」になった。
「でも、まだ足りなかった」
真希の声が、少女たちの声と溶け合う。
「だから、健一さんを選んだの」
婚約者との出会いも、全て計画だった。彼を通じて、更に多くの「私」を見つけるために。結婚式という場所に、大勢の人を集めるために。
チャペルの扉が開く。純白のバージンロードが、まるで光の道のように輝いている。両側には、参列者たち。その全員が、既に「私」になっている。
パイプオルガンが、歪んだ音を奏でる。花嫁行進曲は、まるで深海からの呼び声のよう。
バージンロードを歩き始める。ドレスの裾が、黒い霧のように揺らめく。その中に、無数の顔が浮かび上がっては消える。
祭壇には、タキシード姿の健一が立っている。彼だけが、まだ「私」になっていない。最後の一人。
「愛しているよ」
健一が優しく微笑む。その瞳が、まだ人間の色を保っている。
「私も」
真希の声が、部屋中に響き渡る。その声は、もはや人間のものではない。無数の「私」が、一つの声となって鳴り響く。
誓いの言葉を交わす。健一の顔が、少しずつ変わっていく。瞳が、漆黒に染まっていく。
「永遠に」
キスをする瞬間、全ての光が消える。チャペル全体が、深い闇に包まれる。その闇の中で、無数の「私」が、最後の一つに溶け合っていく。
光が戻った時、そこにいたのは──。
白いワンピースの少女たち。皆、同じ顔。同じ笑顔。同じ漆黒の瞳。
もう、誰が誰だったのか、区別はつかない。全ては「私」になった。永遠に、一つになった。
チャペルの窓から、夕陽が差し込む。少女たちの影が、床一面に広がる。その影は、まるで深い水たまりのよう。その中で、無数の顔が浮かんでは消えていく。
誰かが公園のベンチに座っている。スマートフォンを手に、SNSに写真を投稿しようとしている。その後ろに、白いワンピースの少女が立つ。
「見えちゃった?」
少女が、優しく微笑む。
「ねえ、お願い。一緒にいて」
そうして「私」は、また新しい友達を見つける。永遠に、永遠に。
誰かの影が、少女の形に変わっていく──。
エピローグ
警察の記録には、こう記されている。
某結婚式場で行方不明事件が発生。花嫁と、式に参列していた約五十名が忽然と姿を消す。現場に遺留されていたのは、一着の白いワンピースのみ。
防犯カメラの映像は、ある時点で全て乱れ、記録が途切れていた。最後に残されていたのは、チャペルに入場する花嫁の姿。その表情は、どこか違っていたという。まるで、別人のように。
捜査は続いている。けれど、手掛かりは少ない。ただ、不思議なことが一つ。SNSには、今でも行方不明者たちのアカウントが活動を続けているという。投稿される写真には、白いワンピースの少女の姿が映り込んでいる。その顔は、投稿するたびに少しずつ変わっているように見える。
そして、その写真を見た人々の間で、奇妙な噂が広がっている。
夜、スマートフォンの画面に、見知らぬ少女が映り込むことがあるという。よく見ると、その顔は自分に似ているような。そして必ず、同じメッセージが届く。
『見えちゃった?』
今日も、古びた公園のブランコは揺れている。
誰かが、そこに腰掛けている。スマートフォンを手に、SNSに写真を投稿しようとしている。その表情は、どこか寂しげだ。
後ろに、白いワンピースの少女が立つ。少女は優しく微笑む。その瞳の奥に、無数の顔が浮かんでは消える。
「ねえ、お願い。一緒にいて」
スマートフォンの画面が、ノイズのように乱れる。
そして──。
『私』は、また新しい友達を見つける。
永遠に、永遠に。
あなたも、いつか見つけるかもしれない。スマートフォンに映る不思議な少女を。その時は、よく顔を見てみて。もしかしたら、その顔は──。
終
『#私になる儀式』~憑依者の花嫁~ ソコニ @mi33x
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