第2話 脅迫
「では、原因はどこにあるというのか?」
例えば、
「父親が会社でリストラに遭い、それを家で当たるようになったりして、子供が家に居場所がなくなったりした」
という場合。
あるいは、
「両親が、リストラやそれ以外で、不倫などという問題で毎日喧嘩をしている」
などという状態において、
「どうしていいか分からない」
などという状態になると、
「ストレスばかりが溜まってきて、苛めでもしないと、自分の気が狂いそうになる」
という場合などが考えられる。
どちらの場合も、
「家庭の事情」
ということであるが、元をただせば、
「会社のリストラ」
というものによるもので、もっといえば、
「リストラしないといけないようになった世の中が悪い」
ということになる、
そうなってくると、
「政治が悪い」
だから、
「政府のせいだ」
ということになる。
「政府や政治が悪い」
ということになると、この人だけの問題ではなく、
「一部の特権階級だけが得をして、それ以外の人はひどい目に遭う」
という、
「繰り返す歴史の、悪しきたとえ」
とでもいうこととなり、
「苛め」
という社会問題の原因は、
「苛めに限らず、いろいろなところに派生させる社会問題が引き起こしている」
ということになれば、
「繰り返させる歴史」
というものを勉強しないというのは、
「生きているということに対して冒涜だ」
ともいえるのではないだろうか?
昔のように、
「詰込み教育」
というものが、落ちこぼれを作ったり、本物の政治家の目を摘み取る」
ということになるのではないだろうか?
平成になってから、
「苛め」
というものが生まれ、それが、昔からある、
「いじめっ子といじめられっ子の関係」
というものとを、
「同じものだ」
という意識を持っている人が、
「教育者として、その場でこの問題に当たらなければならないとすれば、どう解釈することになるだろう?」
昔をなまじ知っている人は、
「昭和の解決方法を考えるのではないだろうか?」
すると、完全に痛い目に遭う。
なぜなら、
「いじめられっ子には、自分が悪い」
ということを分かっていると考えるものだと思っているとすると、それは大きな間違いであり、
本当は、
「いじめっ子に対して。その人が感じている、自分が悪いという気持ちを素通りして、そのうちに、いじめっ子を増長させてしまう」
ということで、
「完全に初動捜査を間違えた」
ということになるだろう。
そうなると、もう収拾はつかない。
いじめっ子の対象が、今度は、先生になるかも知れないからだ。
本当であれば、
「俺のことを助けてくれる可能性があった」
といわれる、唯一の大人だったにも関わらず、
「とんちんかんなことをしてしまい、本当は悪いはずの自分を悪いとは感じていない」
ということになると、
「先生は永遠に気づいてくれない」
と考えるだろう。
そうなると、
「苛めが始まったばかりで、途中で辞めるわけにはいかない」
もし、
「辞めてしまうと、自分が初めてしまったことを、絶対にやめられなくなる」
という烙印を、自らで押してしまうと考えるからだった。
大人というものを、いかに自分の中で解釈しようとすると、
「あんな大人にはなりたくない」
という見本しか目の前にはいないことになる。
本当は、
「早く大人になって、今まで受けてきたことを、自分からやってやろう」
と思っていたかも知れないが、
「助けてくれるはずの大人の限界」
というものを、見つけることができずに、もっといえば、
「そんな大人の限界を子供の自分の存在によって、まるで鏡のように見せられた」
ということになったと考えると、
「大人になりたくなんかない」
という理由が、
「すべて自分から出ている」
と感じると、
「子供の限界が大人というものへの入り口だ」
と考えると、
「理不尽でしかない」
と思うのだ。
ここまできても、
「大人というのは、子供が成長したものだ」
と信じて疑わないという自分の考えに、
「驚愕してしまう」
と考えるからであった。
そんな虐める側の気持ちを、虐められる方は分かっているのだろうか?
そもそも、
「自分に悪いところがあるのでは?」
というのは、いじめられっ子としては、最初に必ず考えることである。
それは、
「昭和の頃であっても、平成になって以降」
でも同じなのではないだろうか?
しかし、いくら考えても、その理由が分からない。
そうなると、
「俺は悪くないんだ」
という考え方と、
「俺が悪いはずなのに、そのことに気づかないというのは、俺がバカだからだろうか?」
というような、
「両極端な考えに陥る」
ということなのかも知れない。
それこそ、
「鏡という発想」
である。
「ただ、そのどちらも考えるのではないだろうか?」
片方を考えて、それが間違っていると思うことで、もう片方を考える。
それによって、今度は、
「これでも答えが出なければ、もうどうしようもない」
ということから、どうしていいのか分からなくなるのだ。
そこで、できることというのは、ただ一つ、
「引きこもってしまう」
ということだ。
虐められている方は、まずは、
「自分にできることをしよう」
と考えるはずだ。
「理不尽な苛め」
というのを受けているわけなので、必至になって、その理由であったり、原因を突き止めようとするに違いない。
それこそが、
「死活問題」
ということであり、そこからがスタートラインで、
「いかに、虐められないようにすればいいか?」
ということを考えるのだ。
それが、
「自分の中でのゴールなのかどうか分からない」
ゴール自体がどこにあるのか分からないわけで、そのゴールを決めるのは誰なのだろうか?
それこそ、
「歴史が答えを出してくれる」
といわれることがあるが、
「その答えって、どこにあるんだ?」
というのと同じことである。
歴史というものが、その答えが分からない。
「未来が、現在になって、一瞬にして過去になる」
未来が問題提起であれば、現在は、その瞬間であり、過去が答えだ」
というざっくりとした考え方をするのであれば、
「現在というものは、少しずつ進みながら、ただ移動しているだけだ」
といえる。
つまり、未来から過去に行くまでに、本当は何らかの答えが必要なのだ。
それが、時系列でつながっているから、大きな問題は、
「一つ一つ解決していくことで、問題が解決する」
ということになるのだろう。
それを、
「順番を間違えたり、別の解釈をしてしまったりすると、歴史の中の正解というものが、すでに過去に行ってしまうことで、永遠に、答えが見つからない」
ということになる。
「人生というのは一度しかない」
ということは、
「その瞬間は、一度きりだ」
と考えると、
「歴史が答えを出してくれる」
ということであれば、その答えは、
「自分にしかないもので、簡単に通り過ぎていくもの」
と考えると、
「敢えて、答えを厳粛に求めることはないのではないか?」
といえる。
「答えが見つからなかったとしても、時系列で経験していることが、自分の中の本能と一緒になって、答えを同じ効力を示してくれる」
といってもいいだろう。
「歴史というものを、なかなか勉強したくない」
というのは、そういう意識を本能的に持っていて、
「歴史に答えを求めたくはない」
という考えがあるからなのではないだろうか?
そういう思いを抱いていないと、
「いじめ問題」
をはじめとした、
「平成以降になってから問題となっているもの」
というものに対応することは難しくなるだろう。
といえるのではないだろうか?
その一番の問題というのは、言わずと知れた、
「バブル崩壊」
という問題に違いない。
ということなのだ。
昭和の終わり頃、実態のないものを、完全に信じていたというそんな時代。今から思えば、
「そこに何の答えがあったというのか?」
ということである。
「苛め」
というものが、
「脅迫」
という感覚に似ていると考えるのは、おかしなことだろうか?
ただ、
「苛めと脅迫」
というものを、それぞれの観点から考えた時、明らかに、脅迫という方が、罪が重く、その問題は大きなものであろう。
相手の弱みに付け込んで、脅すわけだから、営利誘拐であれば、その罪はかなり重たい。
しかも、
「苛め」
というものは、基本的に法律で裁くことは難しい。
「人を脅しているわけでも、脅して、その後に金品を要求したり、命を取ったりするわけではないからだ」
ただ、
「相手を傷つけたりすれば、暴行や傷害罪に当たり、万引きなどの犯罪を強要すれば、強要罪に当たったりするだろう」
とはいえ、
「あくまでも、それが苛めが原因であった」
とは言っても、それを
「苛め」
としての罪ということではない。
だから、本来であれば、根本的な解決方法ではなく、虐める側が、
「犯罪に引っかからない方法」
を使えばいいだけだということになる。
まったく根本的な解決になるわけではなく、結果として、虐められている側に、
「神も仏もないものだ」
ということで、
「誰も助けてはくれない」
ということになることを思い知らされるだけのことである。
伊東教授は、少年時代のいじめられっ子だったことを、大人になるにつれて忘れるようになってきた。
そして、その苛めが、
「昭和の頃の、苛めのようなもの」
という意識を持っていて。
「平成以降の苛めとは種類が違うものだ」
ということをちゃんと自覚していた。
だから、
「自分が受けていた、苛めのようなもの」
というのは、今はもうなくなっていて、そのかわり、
「種類としては似ているが、それ以上に凶悪で、理不尽な苛め」
というものが、今の時代には蔓延っているということを、理解もしているのであった。
「確かに今のような苛めを受けていたら、今の自分はいなかったかも知れない」
そういう意味でも、
「いい時代に生きてきた」
とも思えた。
伊東教授は、一度30歳代に結婚したが、5年ほどで離婚している。
子供もおらず、今はずっと一人で暮らしてきた。
40歳代半ばくらいまでは、
「まだまだ結婚できない年齢ではない」
と思っていたが、40歳代半ばで一度、同い年くらいの女性と付き合ったが、せっかくいい雰囲気になりながら、別れることになったのを機会に、
「もう、結婚は考えない」
と思うようになった。
「ここから先は、自分の好きなように生きよう」
と考えるようになったのだ。
「好きなように」
というのはどういうことなのかというと、
「好きな歴史研究に勤しめばいいんだ」
ということであった。
大学の方も、
「自分には、そこまで期待しているわけではなさそうだ」
ということも分かっていて、その分、大学からの研究費用もそこまではないのだが、
「ないならないで、自分にできるだけのことをすればいいんだ」
と思うことで、気が楽になるのだった。
実際に、大学の研究において、基本的には、
「誰もが疑問に思っている歴史の謎」
の研究をしようと思っていた。
それが3つの研究であり、
「乙巳の変」
「本能寺の変」
「坂本龍馬暗殺」
の3つであった。
これは、それぞれに、
「大きな時代の節目ことにそれぞれあることだ」
ということで、
「古代」
「中世」
「近世」
とそれぞれに存在する事件であった。
「古代」
の代表である、
「乙巳の変」
というのは、いわゆる、
「大化の改新」
と呼ばれるもので、
「中臣鎌足と、中大兄皇子が企んで、当時の最高権力者であった蘇我入鹿暗殺を行ったという一種のクーデター」
であった。
この事件の問題は、
「被害者である蘇我入鹿であるが、今までは、蘇我氏が賢慮奥におぼれて、皇族を滅ぼそうとしていたのを、中臣鎌足と中大兄皇子が、それを阻止しようとして、行った暗殺だった」
といわれているが、
「果たしてその真相は?」
ということであった。
「本能寺の変」
というのは、中世、特に戦国時代という時代に、
「風雲児」
と呼ばれ、新しい改革を次々に行っていた織田信長が、天下統一という一大事業を目の前にして、部下の明智光秀に謀反を起こされ、暗殺されたという事件であった。
ここで問題になってくるとは、この事件に、
「黒幕がいたのかどうか?」
という、
「黒幕存在説」
というものであった。
「光秀の単独犯なのか?」
それとも、
「黒幕説」
というものがあったのか?
ということが問題であった。
そして、今度は、幕末において、近世の日本を、
「開国したことによって、日本を、外国の中の日本として見た場合に、どのような国家にすればいいのか?」
ということを考えていた坂本龍馬を、ほとんどの、
「幕末の志士」
は、鬱陶しく思っていたことだろう。
そこで、暗殺に踏み切ったのだが、歴史的には、
「犯人は誰なのか?」
ということが分かっていない。
実行犯は後から出てきたというが、それも、
「身代わりに自首させられた」
というようなもので、政治的な野心を持っての犯行ではないことで、黒幕が誰なのか分かったわけではなく、その謎は今も続いている。
この3つの事件は、
「それぞれの時代に、それぞれの思惑があり、それぞれ違う形での謎を残していることで、日本史における三大暗殺事件」
となっているというわけである。
時代としては、すでに、かつての大日本帝国から日本国となっているわけで、今の時代であれば、その事実がどうであったのかということが、今の政治や世の中に、何かのかかわりを残すということはありえない。
だから、
「その謎を究明できたとしても、困る人は誰もいないだろう」
つまりは、
「近世ということで、今の時代から一番近い、坂本龍馬暗殺事件であっても、その犯人が判明したといっても、その犯人が、今の歴史や政治に何らかの影響をおよぼすということはありえないのだ」
ということである。
だから、
「歴史研究家」
というのは、その事件をどんどん掘り下げ、いろいろなところで、この、
「三大暗殺事件」
というものを、研究しているに違いない。
実際に、伊東教授も研究していたわけであり、その結果というものが、発表されることはなかった。
というのも、歴史研究をしている伊東教授に対して、
「脅迫をしてくる:
という輩がいたのだった。
「歴史研究をしている人間に脅迫をするなんて、あまり考えにくいことだ」
と思っていた。
実際に、研究をしていた内容としては、
「乙巳の変」
と、
「本能寺の変」
の二つだった。
どちらの方が研究材料として興味深かったのかというと、伊東教授とすれば、
「乙巳の変」
の方であった。
その理由とすれば、
「歴史が古く、最近でこそ、いろいろ言われるようになった蘇我入鹿であるが、その汚名返上ということに関して、興味深い」
と考えていた。
それは、自分の子供の頃とも重ね合わせるところがあり、今の蘇我入鹿研究は、
「子供の頃の苛めに似たもの」
というのが、
「子供の頃の自分と、どう違っているのか?」
ということを考えさせる意味でも、興味深かったのだ。
「いまさら子供時代のことを思うなんて」
というのも、無理もないことなのだが、
「子供の頃というのは、自分の立場というのが、よくわかっていなかった」
ということであった。
そのくせ、
「苛めに遭うその理由は分かっていた」
というのは、
「自分が、まわりに対して、それまで、何も分からない」
いや、
「分かろうとしなかった」
ということが、罪悪のように思っていたことで、分かった時から、どんどん、それまでの謎が消えていき、成績がどんどん上がってくると、それまでの自分がまるでウソのように、
「俺は、天才だったのかも?」
などといううぬぼれが生まれてきたのだ。
それも、
「うぬぼれ」
だということは分かっていたはずだ。
しかし、そのうぬぼれというものが、まわりのひんしゅくを買ってしまうということに気づいていなかったのだ。
「俺は、それまでの俺とは違う」
ということを、まわりに思い知らせてやりたかった。
それまでは、誰も自分に対して意識もしていなかったはずなのに、自分が成績がどんどん上がってきても、誰も今の自分にも興味を示そうとしない。
結局、
「成績がよかろうが悪かろうが、誰も相手をしてくれない」
ということで、
「何とか、自分をアピールしよう」
と考えたことで、
「自分はお前たちと違って、頭がいいんだ」
ということを、言いふらすかのごとく、それまで、まったく表に出ようとしなかった自分を、
「自慢する」
ということで、表に出そうとしたのだ。
まわりとすれば、
「そんな鬱陶しいやつは、放っておけばいい」
という人がほとんどだったが、いじめっ子には、そういうわけにはいかなかったのだろう。
当時の、
「苛めに似たもの」
というのは、
「いじめっ子」
というものに、一定の、
「苛めの大義名分」
というものがあった。
伊東に対しては、
「勧善懲悪」
というものが絡んでいるといってもいいだろう。
それまでは、そんなに目立ちもしなかったくせに、成績が上がったということで、自慢を始めた。
まるで、成績がいい自分が、特権階級であるかのように自慢をするのだから、これは、
「鬱陶しい」
という感覚となることだろう。
「報復するほどのものではなく。鬱陶しいだけの相手に対しては、いじめっ子からすれば、その、
「大義名分」
というものが、
「勧善懲悪だ」
ということになり、
「苛めの対象」
ということになるのだった。
ただ、それは、
「小学生だったから分かったこと」
だったのだ。
大人になって、子供の頃から好きだった歴史の成績がよかったことで、歴史の道に進んできて、少なくとも、この頃までに、
「歴史の先生になったことを後悔する」
などということは一度もなかった。
「歴史というものが、どんなに楽しいものかということに気づいていて、歴史研究の楽しさというのは、人生の楽しさとは一線を画したものだ」
と考えるようになった。
だから、私生活で、
「決して楽しい」
ということがなかったとしても、
「歴史研究」
において、楽しさというものを見つけることができて、それと共有できる楽しさを味わうことができているのだとすれば、
「これ以上の満足というものはないに違いない」
と考えるのであった。
そんな、
「歴史研究だけをやっていれば幸せだ」
と思っていた伊東教授のところに、
「研究を行っていたことに対して、脅迫状が送ってきた」
という事実は、本人にとって大きなことであった。
しかし、伊東教授は、それを世間に公開するということはなかった。
なぜなら、その脅迫状というものが、
「教授が一番熱心に研究していたものではない」
ということだったからである。
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