第16話 レッツ・ショッピングデート
「花嫁修業をしたいのだけど、具体的にどういうことをしたら修行になるのかしら」
「それ、俺に聞く?」
先日の料理失敗事件を相当気にしているらしい神楽坂は、それ以来花嫁修業というワードばかりを口にするようになっていた。
「一般的には、料理とか洗濯とか裁縫とか、誰かの妻になるうえで、こういうスキルがあったら旦那さんは助かるだろうなーみたいな、そういうヤツじゃないか?」
「うーん……でも、私の母は家事をしないし、私の身近にいる人でそういうスキルが一番高い人ってなると、どうしてもあなたになっちゃうのよね、三崎くん」
「なるほど」
「旦那様になる人に、妻としてのスキルアップを面倒見てもらう花嫁って、なんだか滑稽よね……」
神楽坂のため息混じりの発言に、まあ否定はできないな、と苦笑いする俺。
確かに俺は料理・掃除・洗濯などの一通りの家事を日課のようにこなしているし、裁縫に関しても物凄く器用というわけではないにしろ、ボタンをつけたりなど簡単な作業は人並みにできてしまう。少なくとも、どの分野においても、お嬢様育ちのポンコツ神楽坂よりは高いレベルでこなせるはずだ。
「でもまあ、教えてもらわないことにはできるようになるわけないし、まずは素直に教えを乞うてみるというのも、悪くないと思うけどなあ」
「その相手があなたじゃなかったら、私も考えるのだけれどね」
「そうだな……あ、よかったらだけど。今日これからさ、一緒に買い出し行かないか?」
「買い出し?」
俺の提案に、神楽坂は不思議そうに首を傾げる。
今までは食材の買い出しは一人で行っていたが、これから料理を覚えるうえで何がどの売り場に置いてあるとか、値段はどのくらいが妥当かだとか、そういった知識も一緒に身につけていくことは、神楽坂本人にとっても非常にためになるはずだ。
俺はそういう考えがあることを説明してから、近くのショッピングモールへ二人で出かけないかと彼女を誘った。
「……そ、それって……!」
すると、それまできょとんとしていた神楽坂の表情が、次第に華やいでいく。
「で、デート……デートってことよねっ?」
「いや、食材の買い出しに行くだけだし……」
「それでもいいわ! むしろ、なんだか夫婦って感じ……!」
「……ま、なんでもいいや。そうと決まればさっさと行こうぜ」
一人で感激している神楽坂を顎でクイと促し、俺たちは揃って買い出しに出ることとなった。
***
ショッピングモールへの道中、嫌でも意識せざるを得なかったのは、俺たち二人に突き刺さる道行く人々の視線だった。……いや、厳密には俺「たち」ではなく、熱い視線を注がれているのは神楽坂のみであり、俺はその隣にいるモブAくらいの扱いであることは明白なのだが。
チラチラとさりげなく視線を投げてくる者もいれば、もはや開き直ってがっつり神楽坂を凝視してくる者もいる。やはり、こいつの顔立ちやスタイルは、学外の人間から見ても、ずば抜けて優れているということなのだ、と再確認させられる。
そんな芸能人顔負けの美少女と俺が並んで買い物に来るだなんて、なんだか不思議な気分だ。ほんの一か月前の俺からしたら、想像もできなかったことである。
「あ……ねえ、食材を買う前に、少しだけ他のお店も見て行かない?」
「え、別に俺、他に買うものとかないんだけど」
「私は見たいお店があるのよ」
足早に食品売り場へ向かおうとする俺を、浮かれた様子の神楽坂が引き止める。
普段から物欲のない俺は、いわゆるウィンドウショッピングというヤツをしたことがない。どうせ買えもしないものを見るだけ見たって、何の気分転換にもなりやしない。むしろ、心が荒んでいくだけだ。
まったく気が進まなかったが、ご機嫌な神楽坂に無理やり腕を引かれ、そのまま引きずられるようにして彼女の行きたいという店に連れていかれるのだった。
「……あ、あのさあ!」
そして連行されたのは、パステルピンクの店内がやけに羞恥心をくすぐるこの店。……女性物の下着を扱っているショップだった。
「お、俺がこんなとこ入ったらダメだろ! お前だけで見ろよ!」
「あら、別に男性客がNGだって決まりはないわよ」
「でも、他の女性客が迷惑するだろ?!」
「今は他にお客さんいないみたいだし、大丈夫よ。もう、照れてるの?」
「あ、だから、待てって……!」
その、いかにも女性が入る店……というような配色やレイアウトを見ただけで、俺の心臓は無駄にバクバクしているというのに。中に入るなんてとんでもない。こんな、フリルとレースとリボンだらけの空間にいたら、数分と経たず気がおかしくなりそうだ。
しかし神楽坂は俺が本格的に抵抗する暇を与えず、いやに強い力で俺を店内に誘い込んでいく。
あああ、帰りたい……!!
「ねえ、こんなのどうかしら?」
「ど、どうって……」
「三崎くんは、このピンクのやつと、こっちの黒いやつ、どっちが好き?」
「どどど、どっちでもいいだろぉ……!」
とてもじゃないが神楽坂が指さしているであろうソレを直視することができないので、この際色なんてものは何色だって構わなかった。そんなことより、とにかくこの息苦しい空間から早く解放されたい。頭の中はその思いだけに支配されている。
「えぇ、いけず。どっちでもいいって、女の子からすると一番退屈な答えよ?」
「う、うるせぇ……早く出るぞ!」
「三崎くんがどっちか選んでくれるまで帰らない」
動揺する俺を見て楽しくなってきたのか、神楽坂は完全に挑発モードに入っていた。今すぐ首根っこをつかんでその場を後にしたいものだが、なぜだかこの空間にいるとそんな気力もみるみる削がれていき、俺はただただ神楽坂がこの戯れに早く飽きることを祈るばかりであった。
「……じゃ、じゃ、じゃあ、右のヤツで」
「右? ……こっちの黒いほうね」
正直、全力で顔を背けている俺には左も右もまったく見えていない。なので、どちらがどうなのかはまるきりわからないが、ひとまず適当に答えることで、この地獄のような時間を早く終わらせる作戦に出た。
しかし俺の答えを聞いた神楽坂は、ふふ、と声に出して笑うと――
「……スケスケでセクシーなのが好みなのね? 三崎くんのえっち♡」
俺の腕をぐいっと自分のほうに引き寄せ、耳元で吐息たっぷりに、そう囁く。
「……!!」
「じゃあ私、これ買ってくるから……あ、サイズ、ちゃんと確認しなくちゃ。三崎くん、私、何カップあると思う?」
「し、知るかバカ!」
「教えてあげる♡ ……」
そのまま、続けて耳元で小さな声で囁かれたアルファベットに、俺の脳のキャパは限界を迎え――。
――その日はもう、食材を買うどころではなくなってしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます