第33話 助けに行けるのは

 私とザウエル、カプリエルは森の中に流れている川に足を運んだ。夕方近くで空の色は薄暗いが、視界は問題なく見えている。こんな森の奥の奥に人などおらず、全裸でいても気にならない。なんせ、八年住んでいて森の中で人と会った覚えが一度もないから。

 この場は地下から湧き出ている源泉と川の水が混ざり合った丁度いい温度のお湯の温泉が楽しめる。昔はありがたみなんて一切無かったが、冒険者寮の共同風呂や寮の浴槽などを考えると凄く贅沢な場所だと、今さら気づく。

 ただ、今回は温泉を堪能しに来たわけではない。拷問で見るに堪えない姿になっているザウエルとカプリエルに綺麗になってもらうためだ。


「カプリエルちゃん、体くらい自分で洗えるよね」

「は、はいっす……」


 威勢がよかったカプリエルは私たち同様に子供っぽい体型を曝し、体を川の水で綺麗に洗ったあと暖かいお湯が滞留している川辺に浸す。ザウエルも川の水で体を洗ってからお湯に浸かった。私も疲れを癒すため、裸になって温泉に入り込んだ。


「ねえ、二人共、私なら魔王に勝てると思う?」

「キアスなら百回に一回くらい勝てるかも」

「まず無傷で勝つのは不可能っすね。おれとザウエルの二人係でもボコボコにされるっす。ほんと手も足も出ないっすね」


 魔族領の中はルークス王国よりも治安が悪いようで、村を盗賊が襲ったりするのは日常茶判事らしい。加えて魔物を操れる者は魔物より強くなければならず、ほとんどの魔族は魔物を操れないんだとか。ザウエルとカプリエルの二人は魔物を操れる魔族の盗賊に村を襲われ、孤児になった者だった。


 魔王は村を襲う魔物と魔族を瞬殺し、孤児を保護しているんだとか。良い奴なのか悪い奴なのかわからない。魔王に救われたザウエルとカプリエルの忠誠心は山よりも高く、渓谷よりも深い。そんな二人の口から語られる魔王の強さは恐らく本物。


「……キアスは魔王様を殺さないと言っていたが本当か」

「コルトの身に何かあれば、許せないかもしれない。でも、魔族領で魔王がやっていることが間違っているとも思えない。そいつの狙いが私なら、私が魔王に会いに行けばルークス王国に攻撃する必要はなくなるよね」

「キアスさんが魔王様のもとに訪れなければ魔王様はまた別の魔人を送りつけてくると思うっす。不思議なくらい『黒羽の悪魔』に固執していたっすから」

「なんで、私なんかを狙うんだろう。私はただの女の子なのに」


 ザウエルとカプリエルは私の方に丸い目を向けてくる。なんなら口までぽっかり空いていた。状況が理解できていない子供のようだ。


「キアスが普通の女の子? はははっ! 冗談きついって。オーガを含めた何百体の魔物を蹴散らす女の子がどこにいるんだよ」

「二人の魔人を捕まえて、鎖もつけずに野放しにしている女の子ってなんすか?」


 ザウエルとカプリエルからしたら、私はただの女の子ではないらしい。確かに、言われてみたら普通ではないかもしれないけれど、心は根っからの女の子なんだけどな……。


 私はお湯の中で華奢な膝を抱え、赤子が母親の腹の中で縮こまっているような恰好になる。私を女の子扱してくれたのは、一五年生きて来た中で死んだ両親と村の人達、あとコルトだけ。


 コルトはベッドの上で私を抱きしめてきたり、可愛いって言ってくれたり、一緒に遊んでくれたりした。彼は私の人生で初めてのことばかり経験させてくれた。もし、彼が死んでしまったらと思うだけで、薄暗い河川がぼんやりと滲んで見えてしまう。


 魔王がコルトを保持しているのだとしたらコルトを助けに行けるのは、おそらくルークス王国で私しかいない。私でも魔王に勝てるかわからないのに、ルークス王国が軍を作って魔王を倒しに行っても勝てるかどうか。そもそも、軍を動かすとなると何カ月もかかってしまう。その間、コルトが無事でいてくれる保証はどこにもない。

 もう、コルトが誘拐されてから一日開いている。コルトが心配過ぎて昨晩も眠れなかった。寝不足は肌にも悪いし、心にも悪影響を及ぼす。早くしっかりと眠らなければ。


「明日の朝、ルークス王国に戻る。そのままの姿でいてもいいけど、逃げようとすれば殺す」


 寝不足で目つきが悪くなっている私の視線が相当怖かったのか、ザウエルとカプリエルは互いに抱き合って涙目になりながら震えていた。

 二人を私と師匠が住んでいた家に招き、異空間に入れておいたパンや食材を使った簡単なサンドイッチを振舞う。お腹が空いていたら力が出せないので、食べたい気分じゃなかったが無理にでも食べた。歯を磨いてから私が使っていた部屋に入る。魔法で埃を綺麗に除去してから毛布を床に敷いて簡易的な寝床を作る。


「じゃあ、二人は床で眠って。私はベッドで眠るから」

「……今さらっすけど、キアスさんはなんでおれたちに優しくするんすか。その場で殺されても文句を言えないのに」

「カプリエルちゃんは私に殺されたいの?」

「い、いや、そういう意味じゃなくて。キアスさんがおれたちを生かしておく理由がわからないっす。キアスさんくらい強かったらおれたちは必要ないっていうか……」

「生かしておく理由がないのと同じだよ、私に二人を殺す理由がないだけ。無駄に殺して誰かに恨まれたくないし、女の子の話し相手がいないし、一人でいたら多分、色々ありすぎて気がおかしくなってたから、近くに敵がいた方が冷静になれる」


 私はベッドに座り、毛布の上で正座しているカプリエルに本心を伝えていた。カプリエルもザウエルと似た境遇、つまり私と同じ境遇でもある。魔王に助けられて鍛えてもらったという点を聞くと、本当に境遇が同じだ。仲良くなれない方がおかしいだろう。


「ほんと、何で魔王様はキアスさんを殺せなんて命令してきたんすかね。本当にわからないっす。キアスさんはめっちゃいい人っすもん」

「確かにな。キアスは変人だが魔王様を殺す気がない。なのに魔王様がキアスを執拗に狙う理由がわからない」

「まあ、それだけ私が怖いってことでしょ。このままだと、魔族と人族の戦争が起こりかねない。誰かが止めに行かない限り……」


 私はベッドに寝転がり、薄手のシーツを肩まで掛ける。誰かが止めにって、師匠がいない今、戦争を止められるのはルークス王国の中で一人しかいないじゃないか。


 私はベッドの上で上手く寝付けなかった。床に視線を向けると表情が緩み切ったザウエルとカプリエルが気持ちよさそうに眠っている。いい夢を見ていそうだ。


「コルト……」


 私は異空間からコルトが着ていた制服の上着を取り出した。少し湿っている気がする。身に羽織ってみると、彼のにおいがした。本人に抱き着かれていたら全然寝付けなかったのに、においと温もりに誘われた喫茶店の時のように、自然な眠りに誘われる。

 私はいったいどれだけコルトのことを……。


 次の朝、目を覚ます。まだ日の出前で、窓から差し込んでくる光は弱い。

 私はコルトの制服を抱き枕のように使って熟睡してしまった。頬が熱くなるが、しっかりと眠れた。感謝以外の言葉はでない。

 制服は綺麗に畳んで異空間に収納。キャミソールと下着姿から、短パンと薄での上着を身に着け、革製の胸当てを装着。冒険者時代に使っていた白い外套を肩から羽織る。

 ザウエルとカプリエルが身に着けていた薄手の衣類は綺麗に洗濯されており、しっかり眠って表情がさっぱりしている二人に再度着てもらう。


「ねえ、二人共、魔王がいる場所はわかる?」

「……ああ、もちろん」

「魔王様はおそらく旧魔王城にいるっす」

「教えてくれてありがとう。でも、魔王の居場所をそんなに簡単に教えてくれるなんてね」

「キアスを倒せるのは、魔王様くらいしかいない。これ以上、他の魔人が酷い目にあわされるよりはマシだと思った。あ、あんな思いをするのは、うちだけで充分だ」

「ほんと、おれもザウエルと共食いし合う思いはこりごりっす。で、でも、キアスさんに拷問されるのは、悪くないかもっす……」


 ザウエルとカプリエルは養女体型の体をくねらせ、ニタニタと汚い笑みを私に向けていた。尻尾の先を私の手に巻き付けてくるほど、私に従順だ。

 私は二人の尻尾をぎゅっと掴み、引っ張った。「んんぁあっ!」と色気のこもった声が響くと同時、魔法を発動して二本の羽根ペンに変えた。外套の内側に収納する。


 私は小屋の外に出て空を飛び、生まれ故郷に足を運んだ。春の花は散り、草原が広がっている。梅雨の時期が過ぎれば夏になり、より一層緑が濃くなった草花が元気よく咲こうと蕾を作っていた。何なら、もう開きかけている。


「なんもない場所だが、ここはどこだ?」

「キアスさん、ただの石の前に立ってどうしたっすか?」

「私の故郷で、両親のお墓」


 両手を握り合わせながら両親に祈ろうとしている最中、ザウエルとカプリエルに話しかけられ、少し気が散った。だが、私が祈りを捧げようとしているとわかったのか二人はしんと黙り込む。


 私は村の者や両親を救ってくれなかった神を信じる気などさらさらない。だが、命を散らした人間の魂が天界のような安らかな場所に誘われているという話は少し信じている。そうじゃなければ魔物に無慈悲に殺された者たちが不憫だ。

 皆に祈りを捧げられるのは、唯一生き残った私だけ。すでに顔や名前があやふやなほど過去を思い出せない。いや、思い出したくないだけかも。両親の温もりを思い出したところで、すでにこの世にないのだから。


「お父さんとお母さんが私を命がけで守ってくれたように、私も命を懸けてでも救いたい人ができました。まあ、彼は女の子が苦手で私を男だと思っている鈍感野郎だけど凄く良い人です。狼のような男ではないので、安心してください」


 私が祈りを捧げていると、東から上った日が薄暗い森の中を眩い光で照らし始める。それと同時、体を巡る魔力が練り込まれ、足下に展開した魔法陣が村全体に広がる。


「お母さん、私を生んでくれてありがとう。お父さん、魔物から助けてくれてありがとう。そのおかげで、私は大切な人を助けに行けます」


 私の魔力を受け取った草花は朝の湿気と陽光によって輝きを増し、膨らんだ蕾をじんわりと動かして花弁を広げていく。

 花々が咲き誇ったころ、私は手を離して目尻から零れる雫を何度もぬぐう。

 もっとたくさん話したかった。甘えたかった。遊びたかった。私が大人になるまで、母親になって皴が増えるまで生きていてほしかった。そのんなこと思っても、意味はない。すでにいないのだから。


「こんな思いになるのは、私だけで十分だ」

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