第16話 もう一人の

ゲートが閉まる。今日は戻りが早かった。

大熊が詠美に話しかける姿があった。

「戻りました。」

「いつも、ありがとうございます。」

大熊と同じように詠美に話しかける。

「戻りました。何か手伝うことはありますか?」

「ありがとう!うれしいな!でも、今日はもうやすんでいいんだよ。」

「それじゃあ、俺は管理人のところに報告行くから、また夕食のときに。」

大熊は事務室へ入っていった。詠美には休んでいてと言われたが、なにかしてあげたい。作業室を見回す。目についたものは床に落ちていた紙。紙を拾い、ゴミ箱を開ける。

「ちょっと待って!それは捨てないで!」

声の主は詠美だった。

「どうしました?」

「それも品物なの。そこで作業している娘が運ぶときに落としたんだと思う。」

ここに来た日に詠美に怒られていた人だった。その人の席まで紙を持って行った。

「これ落とした?」

「なに?あぁ、それは端に置いといて。」

お礼の言葉もないのか。少しムッとした。

「あのさ。どこに置けばいいかわからないよ。」

紙を仕分けしている人も睨むように見返し、手を出す。

「ちょうだい!わからないなら、聞いて!」

「なんだよ!」

口論になりそうなところを詠美に止められた。

「ごめん!私が見てなかったよ。悠君も栄美ちゃんもケンカしないで、ね。」

下の名前で呼ばれた。この人も栄美って名前なんだ。

「・・・むかつく。」

栄美と呼ばれた人は作業に戻った。

「さっきはごめんなさい。鹿島さんは事務室で休んでて。」

また名字だ。なんか寂しいな。何か伝えることができないかな。

「今日は店の掃除をしました。」

これしか出る言葉はなかった。

「・・・そうなの。また教えてね。さぁさぁ、事務室行こう。」

手を引かれて事務室へ向かう。

事務室へ入ると鳴海や大熊の姿はなかった。

「少しだけ話そうか。お店でしたことを伝えてくれて、ありがとう。」

椅子に座り、詠美に話しかけられる。

「そんなことありませんよ。毎日、掃除もがんばります。」

「うれいいな。きれいにしてくれると気持ちいいよね。」

ここで本当に言いたいことは『外に出て一緒にそれをしたい』ということだ。けど、言葉が出なかった。悔しいな。折角のチャンスなのに。唇に力が入る。

「また明日も知らせます!」

なんとか言葉が出た。

「ありがとう。」

いつもと違う雰囲気でお礼を言われた。伝わることはあったのかな。静かな雰囲気だが、沈黙を破る感じがした。さっきのギスギスした雰囲気なんてどうでもよくなった。やっぱり、言葉は大切だ。

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